Cub Stories

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Special生産累計1億台達成記念
特別寄稿

Cub Stories

「完成された市場・ヨーロッパ」への展開、
その先兵を担ったのはスーパーカブであった

ヨーロッパへの進出は、アメリカ・ホンダ設立の2年後、1961年(昭和36年)から開始された。当時の西ドイツにホンダ100%出資の現地法人ヨーロッパ・ホンダ・モーターを設立し、いよいよ二輪車の本場である年間200万台市場へのチャレンジが始まったのである。

この1961年にホンダはマン島TTレースの125ccと250ccクラスで圧勝し、二輪グランプリ世界選手権でも両クラスのチャンピオンを獲得するが、二輪車を発明して発展させてきた伝統あるヨーロッパ各国の二輪メーカーからみれば、世界最大規模の二輪メーカーであるホンダとて新興メーカーにすぎなかった。
ヨーロッパ各国の町には市民の足であるモペッドがくまなく普及し、大型二輪のラインナップも充実していて、ヨーロッパ地域は二輪の生産から販売まで市民たちの暮らしのなかに根づいている「完成された市場」だった。ホンダが進出する余地はなかったと言っていい。

しかし、二輪の本場だからこそチャレンジし、伝統あるヨーロッパの二輪メーカーと肩を並べて共生共存することに価値があると当時のホンダは考えていた。
したがって西ドイツのヨーロッパ・ホンダを拠点にして、ヨーロッパ各国の入念な市場調査がおこなわれた。ヨーロッパの国々は、それぞれにダイナミックで複雑な歴史をもった民族国家であったから、ひとくくりにすることはできるはずもない。

最初のベルギー工場で初ラインアウトはスーパーカブ

スーパーカブに続きベルギー工場で生産されたC310。ホンダの現地向け仕様海外生産モデルの第一号でもあった。

スーパーカブに続きベルギー工場で生産されたC310。ホンダの現地向け仕様海外生産モデルの第一号でもあった。

2年がかりでイギリス、フランス、オランダに支店網を広げると、1963年にはホンダ・ベルギー工場を設立して操業開始早々に現地で生産を始めたのだ。現地生産はその国の法規や文化にしたがい、ゼロから工場を立ち上げなければならないので、大変な困難をともなう。だが現地生産することで、現地の人びとと働き、現地の協力メーカーや販売店との信頼関係を築き、ヨーロッパ社会に溶け込み、伝統あるヨーロッパ各国のメーカーの仲間入りをするという覚悟がホンダにはあった。

このベルギー工場で最初に製造されたのがスーパーカブC100だった。しかし、自転車から発達してきたペダル付き2ストロークエンジンのモペッドやスクーターに親しんできたヨーロッパの市民たちをスーパーカブが魅了したかといえば、そうでもない。モペッドの仲間入りはできたが、人気車種にはなりえなかった。モペッドはヨーロッパの市民たちの生活文化のひとつであり、毎日の暮らしのなかにあるものだから、4ストロークエンジンのスーパーカブの高性能が日本で認められたからといって、ヨーロッパで一朝一夕に人気車種になるものではなかったのだ。

むしろホンダは、このベルギー工場でポートカブC240をベースにしたペダル付きモペッドC310を生産している。ホンダ初の海外生産モデルであり、ヨーロッパの二輪市場に溶け込もうとする努力のひとつであった。この経験が、まさにホンダ版モペッドであるリトルホンダP25の開発へとつながった。

今日、ヨーロッパにおけるホンダの現地生産は汎用、二輪、四輪ともに継続されている。ホンダの二輪は多くのホンダファンを獲得して、伝統あるヨーロッパのメーカーと、共生共存している。その幕開けこそ、1963年にベルギー工場でラインオフしたスーパーカブであったのだ。