Cub Stories
新OHCエンジンが切り開いた第二章
1958年の初代誕生から今日まで、一時も途絶えることなく脈々と続くスーパーカブの歴史。数多く作られた歴代モデルの中から、エポックメイキングなスーパーカブをセレクト、ホンダコレクションホールの動態保存車でご紹介。第1回は1958年の初代モデルから1971年までの5台。
常識破りの新しい乗り物
1958年スーパーカブC100
自転車に小型エンジンを取り付けたカブF型にかわる次世代のコミューターとして、スーパーカブC100は本田技研工業の創設者であり社長でもある本田宗一郎が中心となり開発された。キーワードは「手の内に入るもの」。コンパクトで誰にでも扱いやすい、という狙いがこめられていた。
安価が求められる原付バイクながら敢えてコスト高の4ストロークエンジンを搭載、当時の2ストロークエンジンに対しクリーンで低燃費、加えて125ccクラス並のパワーを発揮した。さらに、自動遠心クラッチを備えることで初心者でもすぐ乗りこなすことができ、フルカバードされたスマートなスタイルは泥はねから足下を守る実用性も兼ね備えるなど、あらゆる面で当時の常識を覆す仕上がりに。
ホンダの販売面を支えた専務・藤澤武夫の強気とも思える月産目標3万台という生産販売計画は「高くなったコストは量産で取り返す」という面もあったが、それよりも「スーパーカブC100は売れる!」という確信があったからに他ならない。実際、発売当日だけで1,000台以上が売れ、当初の目標の2倍となる月産6万台体勢に変更しなければ需要に応えられないほどの大ヒットに。ホンダを世界に躍進させる原動力となった。


ハンドルと顔
翼の形をイメージしたハンドル、ブレーキレバーの形状など、どの部分をとっても造形美に溢れている。ブルーがかった樹脂パーツも埼玉製作所で生産された初期型モデルの特徴。

メーター
スケールが80km/hまで刻まれ、25km/hの部分に赤いラインが入るスピードメーターは初期モデルの特徴。C100には100km/hスケールのスピードメーターもある。

ウインカー&テールランプ
当時の原付モデルとしては異例とも言えるフラッシャーを標準装備。必要最小限の大きさだが、このようなパーツの造形にもこだわった跡が伺える。
成長に合わせ90モデルも誕生
1964年カブCM90
戦後の混乱を脱し、日本経済は高度経済成長期に突入。スーパーカブ人気の勢いは止まるどころか、1963年には生産累計300万台を突破するほど需要は伸び続けた。ただ、普及してきたとは言えまだマイカーは高嶺の花だった時代、気軽なレジャーや商用向けに二人乗りが可能で、法定速度も45km/hである原付二種の人気が高まり、二輪各社のラインアップが充実していった。
スーパーカブもボアを2mm拡大して排気量を54ccにアップしたC105を1962年に投入していたが、さらなるパワーアップが求められていた。そんな“モアパワー”に対する回答が、スーパーカブシリーズの上級モデルカブCM90の投入であった。OHV単気筒87cc、6.5馬力、マニュアル4段のスポーツモデル・ベンリイ90(C200)のエンジンをベースに、自動遠心式クラッチの3段ミッションを組み合わせ、スーパーカブスタイルのボディに搭載、1964年の全日本自動車ショーでデビューを果たした。
その後シリーズの進化と共にスーパーカブ90も成長し、1980年にスーパーカブ70用をベースとするエンジンに変更されるまで専用設計を貫き、スーパーカブシリーズの上級車として君臨した。


フロントマスク
C100などに対しやや大きめのヘッドランプを装備。レッグシールドも専用パーツで、リフレクターが備わる。当初の車名は“スーパー”が付かない「カブ」だった。

メーター
C100などと似た形状のスピードメーターは110km/hまでスケールが刻まれる。また、オドメーターも100m単位まで刻まれる5桁表示に。

テールランプ
リアキャリアはC100などと同形状だが、やや面が平たい大型タイプ。テールランプはスーパーカブ・シリーズでは珍しい丸型となる。
新OHCエンジンでさらに躍進
1966年スーパーカブC50
各部の改良は行われたが、大幅なモデルチェンジを行うことなく生産累計は500万台に迫るほど、スーパーカブは空前の大ヒット作となった。だが、トップブランドとして奢ることなく、さらなる耐久性、動力性能の向上、メンテナンスフリーを追求し、OHCの新型エンジンを開発する。
まずは1964年にスーパーカブC65に搭載され、世界に類を見ない全車2年間5万kmという、当時としては異例ともいえる長期保証制度も導入される。フラッシャーやテールランプといった灯火類が大型化されるなど安全性の向上が図られた他、C100時代のテイストを継承しながらボディデザインは一新された1966年には、50と90にも新型OHCエンジンを採用。スーパーカブ全モデルが第二世代へと生まれ変わる。
新エンジンは生産ラインを変更することがないよう、旧OHVエンジンとクランクケースなどの寸法が揃えられ、自動カムチェーンテンショナー、オイルポンプなどを新たに採用したことによって「オイルがほとんどなくても走り続ける」とさえ言われるほどに。耐久性、信頼性がさらに向上した。あわせて動力性能や燃費も向上し、スーパーカブは不動の人気を勝ち得ていく。


ウインカー
ホンダの四輪スポーツカー・S600に採用されていたものと同デザインのフラッシャーレンズを採用。テールランプも大型化されるなど、安全性も高められた。

メーター
ニュートラルランプが新設されたスピードメーターは大型となり、その後も同形状が長く受け継がれていく。ヘッドライトのスイッチもハンドルに移設された。

エンジン
新設計となるOHCエンジンを搭載。耐久性、信頼性を向上し、カブのブランドイメージを確固たるものとした。
二輪車世界初のポジションランプを採用
1969年スーパーカブC50M
OHCの新エンジンとなったスーパーカブは、高性能、高品質化と使い勝手の向上によって、需要をさらに拡大、1967年4月に二輪車の単機種としては世界初となる生産累計500万台を達成する偉業を成し遂げた。
1969年1月には量販モデルのC50も商品価値を向上させるべく、上級モデルのC90に続き、二輪車世界初の独立したポジションランプを採用するなどのモデルチェンジを行う。
このモデルから停車時にホーンボタンを押すと、サイドカバー横に増設されたランプがキー穴を照らす仕様に。さらにスポーツモデルCBと同型形状となったウインカーの右側が同時に点灯することにより、ハンドルロック部も照らす親切な装備となり、よりフレンドリーなスーパーカブへとさらに進化した。
スーパーカブ90と50の中間車種で63ccのC65は、ボアアップによって72ccのC70へと発展。翌年にはレッドやイエローといったカラフルなボディカラーを追加するなど、スーパーカブ・シリーズは色褪せることなく1970年代に突入していく。


ポジションライト
最大の特徴である“行灯”と呼ばれたポジションランプ。サイドカバー部にはキーシリンダー部を照らすライトも装備された。

メーター
メーターのデザインに変更は見られないが、ポジションランプが追加されたことで、ライトスイッチは新たに“P”ポジションが設定されている。

ライト&ウインカー
前型で特徴的だったフラッシャーはホンダのスポーツモデル・CBと同タイプに変更された。このフロントマスクは1970年代のスーパーカブを象徴するもの。
一体型ボディのデラックスが誕生
1971年スーパーカブ デラックスC50
それまでは3種類の排気量とセルの有無くらいのバリエーションしかなかったスーパーカブだったが、経済も安定し豊かになった日本では“豪華” “デラックス”仕様の要望も高まる。1971年にボディと別体だったガソリンタンクが内蔵式となり、鋼板プレスの一体型ボディのデラックス仕様が新たにラインナップに加えられた。
ゴージャスな雰囲気漂うメタリックカラーの車体色、カモメが飛んでいる姿にも見える形状のハンドル、スリムでスマートな形状になったレッグシールドやフロントフェンダー、クランクケースカバーのエア抜きのフィン、前後どちらのブレーキでも点灯するようになったブレーキランプ、レッグシールド部に移設されたメインキーなどを各部の改良が行われた。
海外向けには存在したダブルシート仕様も追加されるなど、オイルショック(1973年)前の華やかな時代にふさわしい仕様であった。このゴールドの車体に花柄シートを採用したスーパーカブ デラックスC50は鈴鹿製作所二輪車生産1000万台達成記念車で、実際に市販されたモデルではない。


タンク
樹脂製のキャップを採用する燃料タンク部。ボディと一体化したプレスボディとなり、タンクは内臓される。容量に変更はない。

メーター
スピードメーターの基本形状はそのままに、メーター盤が黒バックに。フラッシャーのインジケーターが追加されている。

エンジン
デラックスのエンジンは左右カバーにエアダクトを新たに設け、冷却効果をアップさせるとともにデザインのアクセントに。
Honda Collection Hall 収蔵車両走行ビデオ
Super Cub C100(1959年)
Super Cub C50 (1967年)
Super Cub C50 Deluxe (1971年)