Cub Stories
青春の1ページを飾ったスーパーカブ
小さな島国で誕生したスーパーカブは、生活に密着し、またたく間に海を越え世界中に広がっていった。
誕生した翌年には、はるばる太平洋を渡り北米においても販売を開始。大きな国にやってきた小さなスーパーカブは、気軽な町の足として若者たちを中心に大いに愛された。さらにアウトドア・スポーツのアイテムとしても注目され、トレールモデルへと発展していく。
アメリカでスーパーカブの販売が始まったのは1959年。当時のアメリカは文字通り世界一豊かな国であり世界最大の消費力をもつ国であった。
そのアメリカで最初にスーパーカブに目をつけたのは、西海岸ロサンゼルスの流行に敏感な人たちだった。当時の言葉で言えば「ハリウッド的な人びと」で、最先端の流行やファッションを追う享楽的な生活をする人たちである。アメリカには大型バイクのメーカーしかなかったので、小さなスーパーカブは物珍しい。モダンでスタイリッシュな二輪車に見えた。
ハリウッド的な人びとは、流行のファッションを身につけるようにスーパーカブに乗ったのである。最新の流行に飛びつく人たちにとって、スーパーカブはスケートボードかセグウェイのようなものだった。
当時のアメリカのモータリゼーションは、V8エンジンを搭載する大型車を基準としていたから、50ccエンジンのスーパーカブは、その道路交通のスピードにはのれない。いきおい遠出はできず、小さな地域において便利なモビリティーとして受け入れられた。
スーパーカブを生活の道具にしたのは西海岸の大学生たちだった。学生たちが住むアパートの月々の家賃が40~50ドルで、スーパーカブの定価は295ドル。サラリーマンの初任給が500ドルほどの時代だ。ローン販売もされていたスーパーカブは、たちまちのうちに大学生たちに普及していく。通学や広い大学キャンパスを移動するために、これほど安くて手軽で便利なモビリティーはなかった。クルマは買えないがスーパーカブならばアルバイトをすれば買える。そのアルバイトを効率よくこなすためにもスーパーカブは活躍した。
西海岸の若者たちにとってスーパーカブは、どこへ行くにも足になる60年代的青春のモビリティーになっていった。エンジン付きモビリティーが大好きなティーンネイジャーが、クリスマスのプレゼントとして両親からスーパーカブを贈られるというブームもあった。
また、レーシング風スタイルをしたロードスターやラリー、軽快なイメージのスチューデントと呼ばれたキットパーツも発売されている。
世界的に有名な西海岸のロックンロールバンドであるビーチボーイズが、スーパーカブを唄った『リトルホンダ』が1964年から65年にかけて世界的なヒット曲になったのは、その青春の気分が世界中の若者に伝わったからだろう。
一方で、スーパーカブはアウトドアライフで活躍するようになった。
アメリカホンダのアイデアマンが、スーパーカブからレッグシールドとフロントフェンダーを取り外し、ブロックタイヤを装着し、組み替え可能な大型ドリブンスプロケットを装備したトレール50(CA100T)を開発したのが、その始まりだった。
トレール50が275ドルで発売されると、アウトドア・スポーツの愛好家たちから注目を集めたが、とりわけ森に入るハンターと水辺に行くフィッシャーが、手軽にラフロードを走ることができるこの小型軽量のモビリティーに目をつけた。ピックアップトラックにトレール50を搭載して海や山へ向かうと、よりよい狩り場をさがして道なき道をいくためにトレール50を使ったのだ。
ここからトレール50は、ライフル銃や釣り竿のホルダーを装備し、アップマフラーに改造するなど、さまざまな工夫がほどこされ、狩猟用のハンターカブ、釣り用のフィッシングカブと呼ばれる専用モデルが開発されることになった。
トレール50はエンジンのサイズアップなどの開発が続けられ、テレスコピック式フロントサスペンション、副変速機付エンジン、大型エアクリーナー付後ろ向きサイドドラフトの大径キャブレターなどを装備する本格的なラフロードバイクトレール90(CT90)になった。
このトレール90は、大型農園の管理作業用モビリティーとして使われることが多く、アメリカでもまたスーパーカブは働くバイクになったのである。
スーパーカブはアメリカで15年間販売され、1974年に販売を終了した。
アメリカのオートバイ文化に影響を与えた紅白のスーパーカブ
1962CA100

1959年、海を渡って自動車大国・アメリカに上陸したスーパーカブはHonda50の名で販売された。1962年には真っ赤なボディカラー、二人乗りが可能なロングシートやタンデムステップを装備したCA100が販売される。翌1963年の「YOU MEET THE NICEST PEOPLE ON A HONDA」キャンペーンでは、当時のアメリカ人のオートバイに対するイメージと、生活を一変させ、ホンダの名前を一気に浸透させる記念すべきモデルとなった。自動遠心クラッチの3速ギアを駆使するエンジンの軽快感、そしてオートバイの楽しさは、サーフィン&ホットロッド・ブームとも相まって、ビーチボーイズやホンデルスの楽曲「LITTLE HONDA」で多くの若者たちに刺激を与えた。
イメージを変身させる着せ替えキットも登場
1963C102Roadster


1963C105Student


1967C102Rally


アメリカではCA100、セル付きCA102、55cc版CA105を対象にカスタムキットパーツも販売された。少ないパーツでスーパーカブのイメージをスポーティに一変させるキットだ。Roadsterキットはセンターにニーグリップラバー付きのタンクカバーを装着。シートもセミロングのスポーティな形状のものとなる。Studentキットはウイングマークが装着されたレッグカバー(センターカバー)を特徴とする軽快さとシンプルさを追求したもので、エンジンシリンダーカバーや専用サイドカバーで構成される。Rallyキットはレーシングフラッグウイングマーク付きのロングタンクカバーとレーシングタイプのシート、専用サイドカバー、パイプハンドル、短めのフロントフェンダーなどで構成RoadsterとRallyのタンクカバーの中には、実際に樹脂製の燃料タンクが内蔵されている。
スーパーカブベースのトレールモデルも誕生
1963CA105T TRAIL55
スーパーカブC100をベースに、狩猟や釣りといったレジャーを目的に悪路走行を考慮したアイテムなどを装備するハンターカブが1962年に登場。アメリカでもレッグシールドやフロントフェンダーは取り外され、農地や森林管理、気軽に山や草原を走ることができるトレール50が販売される。最大の特徴は、チェーンを掛け替えることで2次減速比を変更できるダブルスプロケットやブロックタイヤの装備で、悪路や急勾配での走破性を高めた。トレール仕様は好評で、1963年にアップマフラーを追加装備したCA105Tも発売された。
本格なトレールモデルへと進化
1973CT90

悪路走行に適したトレール系カブは1964年、ベンリイC200に搭載されたOHV 86.7cc4速ミッションを採用するトレール90 CT200へと進化。1966年にはOHC89.6ccエンジンを採用したCT90へモデルチェンジ。1968年にはダブルスプロケットに代わり、レバーひとつでLOとHIの切り替えを可能とする副変速機構を採用。1969年にはフロントサスペンションがテレスコピック式になるなど、改良・熟成が進められていく。広大な土地のアメリカでは目的地までオートバイを四輪車の後部に積載することも多いため、ハンドルはワンタッチで90度向きを変えることができる機構が備わる。野山を走行中のガス欠に備え、サブタンクも車体左後部に装着された。写真は1973年モデルのCT90。