Cub Stories

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Special生産累計1億台達成記念
特別寄稿

Cub Stories

Vol.5海外製品編 Part2 東南アジア編

人々の生活に深く密着し、
新たな展開を見せるスーパーカブ

スーパーカブが世界に展開していく上で、生産と販売台数の大きな推進力となったのが、東南アジア地域の各国であった。1970年代後半から経済発展を遂げ、庶民の足としてモータリゼーションの中心を担ったのが二輪車であり、なかでも低燃費と高い信頼性、耐久性をもつスーパーカブシリーズは圧倒的な支持を受けた。スーパーカブはそれぞれの国で文化や習慣、生活様式に溶け込み、新たな展開を遂げた。

古くから庶民の足として親しまれた国・マレーシア

東南アジアとして一括りにされがちなマレーシア、タイ、ベトナム、フィリピン、インドネシアだが、スーパーカブの在り様は、やはりそれぞれお国柄があり、はっきりと色彩が異なるカブ・シーンが展開されている。

マレーシアでもカブは庶民に古くから親しまれ、現在も愛用されているモビリティーである。しかしベトナムやインドネシアのような「カブ天国」にはならなかった。それは石油や天然ガスなど地下資源にめぐまれたマレーシアが、順調に経済発展をとげてきたからである。経済が発展すれば人びとは、日本同様にバイクからクルマへとパーソナル・モビリティーを変えていくものだ。

マレーシアのカブの特徴は、レッグシールドとシートの間に荷物を入れるキャリアーを取り付けることだ。これはベトナム・キャリア同様の生活の知恵である。大切な荷物を身近に置くことで、盗難や脱落を防ぎ、スコールの時に雨から守るのにも役立つ。

1970年C70

1970年 C70
1970年 C70

文秀有限公司(Boon Siew Sdn. Bhd. )によって初代C100の時代からスーパーカブの輸入を行っていたマレーシアでは、1969年に技術提携契約を締結、現地での二輪完成車組み立てが開始された。降雨量の多いお国柄、雨から荷物を守る目的でレッグシールドの内側にキャリア(バスケット)を装備している点が特徴。車体やウインカー、テールランプなどの灯火類は世界標準仕様だが、後ろヒンジのダブルシート(アシストグリップ付き)を装備。写真は1970年製のC70でスピードメーターはマイル表記となっている。

1989年EX-5

1989年 EX-5
1989年 EX-5

1980年代に入ると、アセアン地域では、初代C100から脈々と受け継がれる、丸形ヘッドライトや優しい曲面を多用したデザインとは異なる、現地の趣向に合わせたデザインや機構をもつ独自のスーパーカブが誕生する。マレーシアでは1980年代後半、フロントにテレスコピックサスペンションや97.2ccエンジンを採用し、EX-5のネーミングで販売された。マレーシア特有のレッグシールド内キャリアを装備。タイ生産モデルのDREAM 100(C100)などと共通のデザインながら、ボディには合弁会社・文秀(BOON SIEW)の文字も入る。また、DREAM 100などの「HA05E」エンジンに対し、 EX-5は「C100E」エンジンと型式が異なり、左側ミッションカバーも独自の形状に。ミッションはトップがオーバードライブレシオの4速。

現代カブ文化の基礎を築いた微笑みの国・タイ

タイは1964年に、現在のアジアン・ホンダが設立され、東南アジア地域のホンダの拠点となった国である。80年代後半のタイは、2ストローク小型バイクの全盛時代だった。首都バンコクでは、大渋滞する道路でスリ抜けを楽しむかのようにバイクが走りまわり、若者たちは毎晩ストリートでバイク・レースをエンジョイしていた。

その時代、ホンダはタイに4ストロークのC70とC90の東南アジア専用のスーパーカブを市場投入した。ファミリー層は使い勝手の良さと低燃費と高い信頼耐久性を理解してスーパーカブを愛用するようになった。1986年にはスーパーカブのタイモデルと言える4ストロークのDREAMを発売。一方1987年には、スポーティーなデザインで2ストロークモデルのNOVAを発売し、両モデルともにヒットにつなげていく。

1995年、タイの二輪市場の活性化に向けて新たに開発した4ストロークのWaveは、女性にも扱いやすく時代にマッチしたモダンなデザインを採用したことで、ヒット商品へと成長していくことになった。

一方、2ストロークモデルを中心とするファミリースポーツという独特のカテゴリーが普及・拡大するにつれて、タイの環境汚染が深刻な状況となっていった。ホンダは、1997年に環境対応として、タイで販売する二輪車を全て4ストロークに切り替えていくと宣言。これを受けて、NOVAの後継モデルとして、4ストローク125ccのSONICを開発し投入した。

モダンでスタイリッシュなスクーター的デザインのWaveと、日本のスーパーカブの流れを受け継ぐベーシックで軽快なデザインのDREAMというカブ・シリーズがタイで構成され、この代表するモデル機種が東南アジア全域のみならず世界各国へと展開して、各地域のニーズや好みに合わせて進化していくことになる。タイは現代のカブ・シリーズを生んだ国になった。

2003年Wave125i

2003年 Wave125i
2003年 Wave125i

2000年代に入るとWaveなどのスポーティモデルは液晶オドメーターやシャッターキーなどを装備、ユーザーのニーズに応えより進化を果たす。さらに2003年のバンコクモーターショーで発表されたWave125iは、世界で展開されるカブ・シリーズに先駆け、PGM-FI(電子制御燃料噴射装置)を搭載。多種多様な地形や環境下でも、場所を選ばず快適な始動及び力強くスムーズな乗り心地と低燃費を実現した。エンジン型式はNF125MSE型。タイで生産され、同国で2004年7月に施行される第5次エミッション規制値をハイレベルでクリアした。このモデルを機に、カブ・シリーズのPGM-FI仕様化は世界で加速した。

1990年SMILE

1990年 SMILE
1990年 SMILE

1990年代、アセアンではカブ・シリーズとは別に、同じアンダーボーンフレームながら2ストローク・エンジンを搭載し、よりスポーティなルックスをまとったモデルを各国でラインナップ、様々な需要に応えた。1990年代後半、タイで販売されたSMILEは105ccの2ストローク・エンジン(NT110E型)を搭載しているためカブ・シリーズの生産台数にはカウントされないが、17インチタイヤを履くアンダーボーンフレームのモーターサイクルとして、カブ・シリーズとは異なる路線を模索。シャープでスポーティなデザイン、軽量で瞬発力がある2ストローク・エンジン、リアのシングルサスペンションなど若者をターゲットしたモデルとなる。ミッションは停止時のみロータリーとなる4速で、メーターパネルにはシフトインジケーターも備わる。

一家に一台、生活に密着した宝物。カブ天国・ベトナム

ベトナムは1970年代後半から「カブ天国」と呼ばれている国である。大都市でも小さな町や村でも大量のカブが走りまわる国として知られている。ベトナム戦争末期はカブに乗って戦火から逃れ、戦後の経済封鎖された時代は多くの手作り部品が流通していた。日本製の中古スーパーカブが大人気になったことがあったり、カブを巧妙にコピーした安売りのバイクがブームになったり、多彩なカブの時代があった。

ベトナムの多くの人はカブをとても大事に取り扱う。財産性が高いという理由もあるが、一家に1台のカブがあれば生活が向上するという喜びを身を以て経験したことで、カブというモビリティーに敬意を払っているようだ。生真面目で勤勉なベトナムの人びとは家族同様にカブを扱い、夜は家の土間に保管する人が多い。

暑い夜はカブで夕涼みをする。カブを走らせて風を感じ、屋台で語らうなど、この走る夕涼みはベトナムの風物詩だ。ベトナムの人びとにとってカブは人生に欠かせないモビリティーになっている。

1998年SUPER DREAM

1998年 SUPER DREAM
1998年 SUPER DREAM

DREAM 100やEX-5のベトナム生産モデルがSUPER DREAM。アジアン・カブとして熟成の域に達した1998年モデルで、マレーシア向けとは異なりフロントにキャリア&バスケットが備わる。バイク・タクシーとしても需要があるお国柄により、タンデム・ライディングを重視した造りに。パッセンジャーのステップがスイングアーム直付けから独立したステップフォルダが備わり、併せてスイングアームもプレス構造から剛性の高そうな形状に変更された。リアサスペンションのプリロード調整が工具を使わずレバーで簡単にできるのもアジアン・カブの特徴だ。スラッシュカットのスピード感あるマフラーテールもアジアン・カブ独自のもの。

2000年FUTURE

2000年 FUTURE
2000年 FUTURE

150cc以下のモーターサイクルが大半を占めるアセアンでは、カブ・タイプでスタイリッシュなモデルを求める声が大きくなってきた。そんな声によって1990年代中盤、タイで誕生したのがWaveで、その後もアセアン各国に広まる。ベトナムではFUTUREの名で販売された。デュアルヘッドライトを採用、エアロダイナミクスを追求した外装は当時のホンダのスクーターを彷彿とさせる先鋭的なデザインながら、中身はこれまで親しまれてきた経済的でタフな4ストローク・エンジン(JA02E型108.9cc)や、簡便な操作の自動遠心クラッチを採用。こういったスタイリッシュなカブ・タイプもアセアン独自に進化していくモデルとなる。

独自のカブ文化が育まれた島国・フィリピン

島国のフィリピンでは、1973年にホンダ・フィリピンの前身となる合弁会社が設立された。その時代は庶民の足としてスタンダードなスーパーカブが受け入れられたが、時代とともにフィリピン独自のスーパーカブの発展が顕著になっていく。

2002年にXRMデュアルスポーツとネーミングされたモトクロッサー風のカブを発売した。アップハンドル、ブロックタイヤ、フロントディスクブレーキ、ハイマウントのフロントフェンダーなど、見た目はまさにステップスルーのシルエットをしたモトクロッサーのようだった。

都市部以外は未舗装路が多く、雨でぬかるんだ山岳地帯に適したモデルが求められていた。2008年にはセパレートハンドルのXRM RS125ロードスポーツを発売。いまやXRMシリーズは、Waveと並んで人気のメイン機種にまで育っている。フィリピンのカブはスポーツ色がとりわけ強い。

オフロードバイクは、戦後に駐留したアメリカ兵がレジャーとして持ち込んだという説がある。基地周辺などでオフロードコースを作って楽しむ姿を見たフィリピン人が、カブをペースにオフロード仕様に改造して遊び始めたというのが、XRMのルーツと思われる。

2002年XRM110

2002年 XRM110
2002年 XRM110

レッドの車体色にメーターバイザー、タンクシュラウドを彷彿とさせるカバー、大きなフロントフェンダー、ナックルガードなどなど、ホンダのデュアルパーパスモデル・XRシリーズのイメージを踏襲したモデルがフィリピンで販売されたXRM110だ。他のカブ・シリーズ同様にアンダーボーンのフレーム&水平エンジンをベースとしながら、ハンドル部までインナーチューブが伸びたモーターサイクル型のフロントフォーク、ブロックタイヤ(サイズは前後2.50-17)、ディスクブレーキが備わるなど造りは本格的。一方でシート下にユーティリティボックスを設けるなど、実用性の高さも追及。108.9ccエンジン(CFT110ME型)を搭載、下部にはスキッドプレートも装着される。自動遠心クラッチの4速ミッション(停止時のみロータリー)で、シーソー型のシフトペダルは前側が蹴上げタイプに。キック仕様とセル仕様が用意された。

21世紀になってから世界一カブを生産販売した国・インドネシア

インドネシアは21世紀になってから、世界でいちばん多くのカブを生産販売した国である。年間の販売台数が500万台を越えた年があるほどで、発売から43年経つ2001年時点では3000万台ほどであった累計生産台数が、2017年には1億台に達した。その直接的な理由は、テレビと冷蔵庫についでローンでオートバイが買えるようになったことだが、なによりも大きな理由はインドネシアが2億3000万人の人口をかかえる国だからである。

新車で購入したカブを、オーナーは非常に大切にする。高額の資産だからである。晴れてカブのオーナーになった多くの人たちは、透明のシートでカブ1台まるごとラッピングする。車体にキズができると資産の価値が落ちてしまうからだ。また同様の理由から、定期的な点検整備をきちんと受け、少しでも不具合があればただちに修理し、新車同様のコンディションを維持している。

インドネシアにおけるカブの愛称は「ベベック」である。これはアヒルのことだが、インドネシアの人びとはアヒルを力強い生き物と考えているから、カブもまたそう見えるモビリティーなのだろう。

ガガというインドネシア語で表現される、男らしくマッチョな伝統的価値感が影響し、1990年代のSUPRAは、タイなどに比べてワンサイズ太いタイヤが装着されていた。カブ・レースが登竜門であるオートバイ・レースの人気が盛り上がっているのもガガと無関係ではない。インドネシアのカブは、女性も多く乗るようになってから、スリムでコンパクトなモデルも登場している。爆発的なカブ・ブームが十数年続いたインドネシアは、ベトナムに続く第2の「カブ天国」になった。

1981年Super700

1981年 Super700
1981年 Super700

今やインドに次ぐ世界第2位となる二輪車市場をもつインドネシアで、ホンダは1960年代より現地アストラ(ASTRA)グループとのパートナーシップで完成車ビジネスを展開。1971年からは製品の部品を輸入、組立はすべて現地で行うコンプリートノックダウン生産が月産3,000台で開始された。1984年には二輪車用エンジン生産合弁会社であるホンダ・アストラ・エンジン・マニュファクチャリングが設立されるなど、経済成長と共にシェアを拡大していった。そんな同国で販売されたC700(Super700)は、角型ヘッドランプやウインカーを装備する直線基調のデザインを世界に先駆けて採用。一方、エンジン(C70E型)は信頼性が重視され、フィン付きミッションカバーといった1970年代初頭から見られるコンベンショナルなタイプとの組み合わせに。ミッションはボトムニュートラルの新シフトパターン(非ロータリー)3速を採用。燃料計が備わらないスピードメーター、左ウインカースイッチを備える。リアサスペンションはスイングアームの取り付け位置が伸ばされたショートタイプ。テールランプはリアフェンダー一体型ではなく、当時のホンダ他車にも見られた汎用タイプが装着されている。コーションラベルはすべて英語表記に。