Cub Stories
スーパーカブ世界生産累計1億台達成によせて
静かな決意がみなぎる記念式典であった。
2017年10月19日にホンダの熊本製作所で開かれた「スーパーカブ・シリーズ世界生産累計1億台達成」の記念式典である。
ホンダの8代目社長の八郷隆弘が、記念式典に結集していた製作所の全従業員の前に、新型スーパーカブに乗って登場するというホンダらしい微笑ましいシーンがあったが、若い従業員代表がおこなった「生産累計1億台達成の喜び」をうけとめて宣言する「高品質維持と安全操業」の決意表明こそが、このイベントのメインテーマであったことはあきらかだった。
スーパーカブ・シリーズの生産累計1億台達成は、もちろん単一シリーズの原動機付きモビリティ生産台数の世界最高記録である。1958年の新発売から59年間かけて達成した。だが、この記録は、たったいまも「更新中」だ。未来へ向かって進行中のひとくぎりが1億台という途方もない数字なのである。しかもこの記録が今後どれほど伸びていくのかは、記念式典の挨拶で八郷社長は「次の2億台へ向けて」と発言したが、いまのところ予想がつかない。
記念式典を開いたホンダの人たちは、そのことの重さがわかっていたのだろう。その重さとは、1億台のスーパーカブが半世紀以上にわたって、世界中の庶民の生活とともに走り続けてきたという現実だ。その現実は、たったいまも進行中なのだから、ホンダはこれからも乗って楽しく堅牢で燃費のいい生活車としてのスーパーカブ生産を持続し、なおかつ成長進化させて未来を切り開いていくという運命にある。この現実と近未来の重みが、ホンダの人たちをして静かな決意をもたらしていたと思えた。
そこで興味深いのは、スーパーカブ・シリーズの大記録達成が、大きな声で喧伝されなかったことである。日本人が設計して日本のメーカーが生産継続している、庶民のための原動機付きモビリティが、大記録を達成したことは、あらためて驚くような話題ではなかったのかもしれない。
それはきっとスーパーカブが日本の生活と文化のなかに、すっかり溶け込んでいるからだろう。我が家に1台あるとか、近所の家にあったというのは、日本のどこの村でも町でも聞く話だ。郵便配達や新聞配達で走るスーパーカブを目にするのは日常茶飯事で、商店の店先には配達用のスーパーカブが置いてあり、金融機関でも仕事の足になっているケースが多い。ようするにスーパーカブは見慣れた日常的風景の一部になっていて目立たない。どこにあっても何の不思議もなくスーパーカブは存在している。だから、あんまり驚かない。
幼馴染みの友だちが、あるいは家族や親戚のひとりが、世界チャンピオンになったとしたら、「へーっ、あいつがね」と思うほどの気分とでも言えばよいのだろうか。凄いなとは思うが、よく知っている人だから、ついつい気安くなるようなところが、スーパーカブにはある。
これは生活車たることで普及したスーパーカブならではの気分としか言い様がない。見るからに愛らしく機能的で、攻撃的なところなどひとつもないスーパーカブのスタイルにふさわしい気分である。
しかし「59年間1億台」という数字は、とてつもなく大きい。現在時点でスーパーカブ以上に大量生産された産業製品は、携帯電話やゲーム製品、書籍などいくつかあるそうだが、製品ジャンルや価格帯などを相対的に比較すれば、スーパーカブ・シリーズは間違いなく現代史の年表にその名を刻み込む産業製品である。来年2018年で発売開始60年をむかえる、20世紀から21世紀へと続く驚異的なロングセラーであることが、とりわけ光っている。
ホンダは控え目な姿勢で、ひとくちに「1億人のユーザー」と言っているが、スーパーカブが「一家に1台の原動機付きモビリティ」という家が世界各国には多いから、ユーザーは1億人かもしれないが、スーパーカブに乗ったことがある人の数は、たちまち数億人になってしまう。あえて単純計算すると、いま現在の地球人口は約74億人だから、その数パーセントがスーパーカブに乗ったことがある人だということになる。スーパーカブはバスでも列車でもなく、単一シリーズのパーソナル・モビリティ であることを考えると、その人びとの数は莫大だ。
それはやっぱりスーパーカブが、原動機付きモビリティの最低価格帯にあるからだ。ビジネスの用語ではボトムラインの商品と呼ばれるそうだが、それは庶民にとっての廉価なモビリティ製品だと言っていい
価格だけではなく、商品価値の高さや使い勝手のよさも評価されるべきだ。万人が乗り降りしやすいステップスルーで、悪路に強い大径タイヤがスーパーカブの基本スタイルで、メカニズムは壊れにくくタフだから、生活と道路の環境を選ばない。人も乗せられるし荷物も積めることは言うまでもない。
そして忘れてならないのは、スーパーカブの乗り味がいいということだ。乗って走れば走るほど気持ちがよくなる軽快な乗り味なのである。乗り物として走り味の楽しさがなければ、59年間1億台の生産は達成できなかったろう。いくら便利で廉価であったとしても、乗って走って楽しくないモビリティは、いつか人気がすたれる。高級なクルマにはこってりとした特別な走り味があるのだろうが、庶民のモビリティにも庶民が愛する軽快な走り味がある。
現在、世界各国の約80%にあたる160か国で販売されてきたスーパーカブ・シリーズだが、それらの国々で人びとが暮す村や町に、公共交通など社会生活基盤が完備していないところは多く、そこで庶民生活をするとなれば、たった1台の原動機付きモビリティがもたらす生活の恩恵は計り知れない。
日々の暮らしのなかで移動のために乗り、食料や水を手に入れる足にもなるだろうし、急病人を輸送することだってできる。パーソナルなモビリティがあれば、自分の時間を自由に使うことができる。愛する人に会いに行くことだってできる。自分の力で自分らしく自由に生活することは人生を楽しむことだ。
スーパーカブ・シリーズの1億台は、そのように庶民の生活を支え、自由の夢をかなえてきた、ひとつの結果だった。
こうして考えるうちに思わざるを得ないことは、このスーパーカブ・シリーズの開発総責任者であった本田宗一郎と企画総責任者の藤澤武夫は、企画開発の段階で今日の1億台を予見していたか、ということである。このふたりのホンダ創業者は、町工場のホンダをたった25年間で世界的企業に育てあげた、卓越した人物だったから予見というよりは確信があったろう。しかし、この大記録達成に手放しで祝杯をあげはしないと思う。スーパーカブ・シリーズより、もっと庶民の生活に役立ち人生を楽しくするモビリティが企画開発できるはずだと言うにちがいない。そのようなフィロソフィの持ち主でなければ、1億台のスーパーカブ・シリーズを企画開発できなかったと思うからである。
いま現在、地球人口の半分以上が原動機付きパーソナル・モビリティの恩恵をうけていないと言われる。近未来において、それらの人びとの生活を、成長進化を続けるスーパーカブ・シリーズが手助けし楽しくする可能性は大きい。スーパーカブ・シリーズの生産累計が今後、どこまで伸びるかわからないというのは、パーソナル・モビリティをもとめている数十億人の庶民が、いまもこの星にいるからである。
中部博(なかべ・ひろし)
1953年生まれ。ノンフィクション作家。代表作に『定本 本田宗一郎伝』『いのちの遺伝子』『炎上』などがある。スーパーカブを20年間取材してきた。日本映画大学非常勤講師