CBR Stories
CBR初のモデルは、
日本専用の400ccロードスポーツ
1983年12月、初めて「CBR」のプロダクトブランドネームを採用したCBR400Fが発売されました。Hondaのロードスポーツモデルの代名詞となっていた「CB」に、レーシングイメージのスタイリングや先進技術を反映したのがCBRです。
CBR400Fの誕生には、日本特有の二輪免許制度やモータースポーツの高まりが密接に関係しています。
1975年に二輪免許制度が変更されると、中型のスポーツモデルは400ccと250ccクラスがメイン市場になりました。なかでも競争の激しい400ccクラスでは1979年に登場した400cc直列4気筒のKawasaki Z400FXを皮切りに、4ストローク直列4気筒エンジンがトレンドになっていきます。Hondaは、1981年に空冷・4ストローク・DOHC・4バルブ直列4気筒のCBX400Fを発売。この年、国内4メーカーの400cc4気筒マシンが揃いました。
同じ頃、モータースポーツでは1978年から始まった鈴鹿8時間耐久ロードレースの人気が高まっていました。そして、1980年に始まったアマチュアライダーの祭典、鈴鹿4時間耐久ロードレースも年を追うごとに参加者が急増しました。市販車をベースに戦うこのレースでは、400ccのマシンが大勢を占めており、高性能マシンが求められたことも、400cc4気筒マシン人気を後押ししました。
1983年、Hondaは、世界選手権ロードレース(WGP)の最高峰500ccクラスでフレディ・スペンサー(Freddie Spencer)選手によってライダーチャンピオンを獲得しました。
その直後に鈴鹿サーキットで行われたMFJ 日本グランプリロードレース大会にスペンサー選手が出場し、異次元の速さで優勝するなど、日本のモータースポーツ人気の高まりに拍車がかかりました。
そんななかHondaは、1982年にV型4気筒400ccエンジン搭載のVF400Fを投入。
一方、CBX400Fのエンジンをベースに独創のREV(Revolution Modulated Valve Control)機構を採用し、直列4気筒エンジンを継承しつつよりレーシングイメージを高めたバイクとしてCBR400Fが誕生したのです。
このREV機構は、エンジンの回転数に応じて、高回転域では4バルブが作動、低・中速回転域では1気筒あたりインレット側、エキゾースト側とも1つずつのバルブが作動を休止して2バルブとなるバルブシステムです。全域で力強い出力特性を発揮する画期的な技術でした。
モータースポーツを楽しむユーザーにはHRCがレーシングキットパーツを用意するなど、ツーリングからレースまで幅広い用途で多くのファンを獲得しました。
初代CBRであるこのCBR400Fは、1985年にレーサー直系のスタイリングと装備を施したCBR400F フォーミュラ3をタイプ追加するなど、その後に続くCBRシリーズの方向性に強い影響を与えました。