Hondaのつくるスーパースポーツは、有り余るエンジンパワーを調教し、レーシングマシンのごとき挙動をねじ伏せることができるような、限られた人だけのものではない。「CBR-RR」の扉は、バイクに乗ること、操ることに喜びを見い出し、生活をもっと楽しいものにしていきたいと考える全てのライダーのために、大きく開かれているのだ。
宮城:お話を伺ってくる中で「操る」と「扱う」という言葉が出てきていることが印象的です。両者は今、一見似ていますが、まったく別のものとして考えた方がいいですよね?
長谷川:「操る」喜びのあるバイクは、他にもたしかにありますよ。しかし、そこに「扱いやすさ」がないと、マシンを自由にコントロールできないし、ツーリングから帰ってきたときに疲れ果ててしまう。
宮城:たしかに。伊豆半島一周のツーリングから帰ってきて、奥さんが「今日は私も一日出かけてて夕食を用意できてないから、どこかへ食事に行きましょう」って言ったときに、「いいよ、ちょっとシャワー浴びてくるから待ってて」って言えるくらいの、気力・体力の余裕が残るのがCBR-RRに限らず、Hondaのバイクのいいところですね。ここで「え?イヤだよ!疲れてるんだよ、なんか適当に買ってきてくれよ」なんて言ったら、とても家族からの理解なんて得られませんよね(笑)。
吉井:「扱う」っていうのは、あくまでも道具としての使い勝手の話だと思うんですよ。これは、掃除や洗濯と同じことで、日常の大切な仕事だけれど、できることならあまり汗をかきたくない領域です。どうしてもしなくてはならない仕事だから、できるだけ効率よく終わらせたい……多くの人はそう考えると思います。バイクにおいては、取り回しとか、足つきとか、走る・曲がる・止まるのスムーズさとか、そういうことですね。対する「操る」っていうのは、そのさらに先にあるもの。汗もかくけれど、それを「楽しい!」と感じるための領域なんですよね。「扱いやすさ」があるおかげで、人間はバイクを「扱う」ということのさらに先にある「操る」ことに没頭できるんです。
宮城:それは、通勤にCBR1000RRを使っているようなライダーにもありがたいことですよね。仕事が終わって疲れているかもしれないけど、「家まで帰る」ということに必要な操作に気を遣わなくて済むから、もしかしたら「ちょっと遠回りして帰ろうかな」という気にも、なるかもしれない。
吉井:たとえば私みたいに、都内の狭い家に住んでいる人間にとっては、まず「扱いやすさ」がないと、ツーリングでいい汗をかく以前に、駐車場の奥からバイクを出してくるだけでイヤになっちゃう(笑)。みんながみんな、広いガレージを持っているわけじゃないし、大型バイクを楽に取り回せるだけの体格があるわけじゃない。若い人、リターンライダー、男の人、女の人……多くの人に、スーパースポーツと幸せな生活をしてもらうためには、決して欠かすことのできないものなんです。
宮城:なるほど、わかりました。さて、そろそろ時間がやってきました。最後に福永さん。開発責任者として、12代目CBR1000RRの購入を検討されている方にその魅力をお伝えするとしたらいかがでしょうか?
福永:いま、世の中にはいろんなスーパースポーツがありますが、本当に“スポーツを楽しむ”というところに特化したのが、この12代目CBR1000RRです。バイクを操ることを愛して止まないライダーの方のために、それこそ20年かけてつくりあげてきた珠玉の一台だと言っていいと思います。私たちはお客様へ多くのモデルをご用意していますけれど、こんなにひとつのコンセプトをブレずにずっと貫きつづけているモデルというのは、おそらく他にないんじゃないかと思います。もし、かつてCBR-RRにお乗りになっていて、しばらく他メーカーのスーパースポーツのオーナーになられて、また今回CBR1000RRに戻ってきてくださる方がいらっしゃったとしたら、きっと「ああ、これがCBR-RRの味だな!」とわかっていただけるくらい……。アプローチはいろいろと試みましたけど、根っこにあるものは、何もかもブレずに造り込んできたという自信があります。バイクを走らせること、操ることが大好きで、それを心から満たしてくれるものをお探しの方がいらっしゃったら、この12代目CBR1000RRは、間違いなく最良の選択になり、最良のパートナーになるだろうということを、お伝えしたいです。
宮城:わかりました。Hondaの自信作ですね。バイクで走ることが大好きな私を、満足させてくれますか?
福永:満足させます。満足していただけると、確信しています。