第Ⅲ章
独創の技術・製品

第5節 安全技術

第5節 安全技術

「道路上のすべての人を守る」
安全技術

道を使う誰もが安全でいられる「事故に遭わない社会」をつくりたい。
四輪車市場に進出した翌年の1964年にホンダはS600へ国産車初となる3点式シートベルトを設定している。
その後、国際的な実験安全車研究への参画、世界初・日本初となる独自の安全技術の絶え間ない研究開発など
ホンダは「規制を基準とせず」「ないものは自分でつくる」という精神で
あるべきと考えた技術を次々と生み出し続けている。
そして、自動車の変革期を迎えるこれからも、不変の精神で安全技術の進化に挑み続ける。交通事故のない社会を目指し
「Safety for Everyone」を実現するために。

◾︎本文中の「世界初」「日本初」「国産車初」はホンダ調べ

人の命を預かっている

 「われわれは交通機関を扱っているかぎり、責任というものを絶対にもってもらいたい。責任のもてないような人は、すぐ辞めてもらいたい」
 1969年の新入社員研修会の講話で、創業者の本田宗一郎はそう語った。ホンダは交通機関を扱う会社であり、交通機関は事故を完全に避けることは不可能に近い。人の命を預かる製品をつくる者として責任を持つことを要求し、冒頭のような強い言葉で新入社員たちに語りかけたのだった。
 当時の日本では、自動車メーカーが自ら積極的に安全運転の普及に取り組むという機運が、現在程高まってはいなかった。そのような時代にありながら、本田が新入社員に責任を呼びかけた同じ年に、専務取締役(当時)の西田通弘は、「自動車メーカーの社会的責任」をホンダ社報で明言。その責任を果たすために、中・長期にまで及ぶ取り組み内容が社内で議論され、次々と実行されていった。
 早速翌1970年、ホンダは、お客様に定期点検を呼びかけるキャンペーンを実施。同年10月には「安全運転普及本部」を設立。自動車メーカーが安全運転を普及させるなど日本では例のないことだった。この時から安全運転を普及するノウハウを蓄積し、やがて活動を世界へと広げ、50年を超えて現在も積極的に活動を進化させ続けている。
 また、安全運転の枠を超え、社会における自動車のあり方、交通社会の現状と将来のあり方をテーマとし、広く学識経験者や知識人、産業人を学際的に集めて、自由に討議し研究していく場づくりを掲げ、1974年に公益財団法人国際交通安全学会「International Association of Traffic and Safety Sciences (IATSS)」を設立し、現在も活動を続けている。
 1971年5月には、米国運輸省が提唱する実験安全車「Experimental Safety Vehicle (以下、ESV)」計画に準参加。この取り組みを契機に、ホンダとして、安全技術への取り組みを強化した。1974年末には、試作車ホンダESVを発表し、一気に安全技術への取り組みレベルを高めた。

ホンダESV

ホンダESV

時代に先駆けた安全への取り組み

 ホンダが安全に深いこだわりを持っていることは、1964年、四輪車市場進出2年目の新参者でありながら、日本初となる3点式シートベルトをS600に設定していることからも分かる。時代に先駆ける。ホンダのものづくりはすべからくこの精神に満ちている。安全技術の観点でいえば、「規制を基準とせず」の精神である。後に、専務を務めた萩野道義は、「法規を満たすことは、やらなきゃ売れない以上誰だってやる。法律をリードし、安全をリードしてこそ、世の中のためになる」と語っている。
 エアバッグの開発はその典型例といえる。法規などまったくなかった1975年、ホンダはそれまで数年の基礎研究を経て四輪車用エアバッグシステムの独自開発を本格的にスタートさせた。
 エアバッグの独自開発にあたってホンダでは、「併行異質自由競争主義」が採られた。外気吸い込み式と全ガス式の2つの方式が研究で競い合った。信頼性を徹底的に高めるため、開発には多大な時間と労力が必要で、大変手間のかかる研究だった。1970年代当時、エアバッグの研究は各メーカーが着手していた。そのきっかけは、乗員によるシートベルトの装着率が低い傾向にあった米国で、装着動作が不要な受動拘束装置(パッシブベルトやエアバッグなど)を義務付ける法律の検討が1970年に始まったことだった。しかし、1981年に法制化が見送られると、多くのメーカーが続々とエアバッグの研究から撤退した。しかし「規制を基準としない」ホンダは研究を続けた。その道は困難を極めた。
 エアバッグ研究を行っていた第6研究室は、困難を極めた研究を長年続けていることから「猫マタギの6研」と言われ、社内でも見向きもされない存在となった。そうした中で、必死の思いで信頼性を向上させ、1987年9月に発売されたレジェンドに、日本初のSRS(運転席用)エアバッグシステムを搭載した。開発をスタートしてから12年が過ぎていた。社長(当時)の久米是志は、「たとえエアバッグが世の中に受け入れられなくても、信頼性技術はホンダに残る」と言って、エアバッグの開発継続を決断した。この懐の深さもホンダの社風だった。

SRSエアバッグシステム構成図

SRSエアバッグシステム構成図

日本で初めてSRSエアバッグシステムを搭載したレジェンドエアバッグ展開イメージ

日本で初めてSRSエアバッグシステムを搭載したレジェンド
エアバッグ展開イメージ

 二輪車においては、1990年に前面衝突時のライダーの傷害を軽減するシステムとしてエアバッグの研究に着手。多くの実車衝突実験やコンピューターシミュレーションなどによって、多様な衝突形態や、二輪車特有の挙動に対してのデータ収集と分析を実施した。これらの長年にわたる取り組みによって四輪車部門で培ったエアバッグに関するシステムやデータ、ノウハウなどの技術を駆使し、二輪車用エアバッグシステムを開発し、2007年には世界で初めて量産二輪車用エアバッグを搭載したゴールドウイングを発売した。

二輪車用エアバッグシステム開発での、実車衝突実験とシミュレーションによるデータ収集と分析

二輪車用エアバッグシステム開発での、
実車衝突実験とシミュレーションによるデータ収集と分析

世界で初めて量産二輪車用エアバッグを搭載したゴールドウイング

世界で初めて量産二輪車用エアバッグを搭載したゴールドウイング

 その他にも、1982年に国産車初の4輪アンチロックブレーキ(4W A.L.B.)をプレリュードに搭載したが、その技術の原型は1970年代に発表したESV試作車にあった。1987年には、同じくプレリュードに世界初の舵角応動タイプのホンダ4輪操舵システム(4WS)を搭載している。ホンダは時代に先駆けて安全への挑戦を続けていた。

1982年、4輪アンチロックブレーキ(4W A.L.B.)を搭載したプレリュード

1982年、4輪アンチロックブレーキ(4W A.L.B.)を搭載したプレリュード

1987年には舵角応動タイプのホンダ4輪操舵システム(4WS)をプレリュードに搭載

1987年には舵角応動タイプのホンダ4輪操舵システム(4WS)をプレリュードに搭載