1962年に生まれた夢とのつながり
「航空機をやろうじゃないか」。1986年、本田技術研究所和光研究センター(後の基礎技術研究センター〈以下、HGF〉)を立ち上げたホンダは、航空機と航空機エンジンの研究を開始した。創業当時から抱き続けていた空への夢がついに動き出したのだ。
どのような経緯でこの決定が下されたのか。その源を知るには、1962年までさかのぼらなければならない。1962年1月12日、当時はまだ小さな二輪車メーカーでありながらもホンダは、朝日新聞社と協賛で国産軽飛行機の設計募集を行った。軽飛行機に搭載するエンジンをつくりたいという想いからだった。その計画は実現には至らなかった。しかし、この夢膨らむプロジェクトに引かれホンダに入社したエンジニアが、1986年のHGF立ち上げの際に経営の決定権を持つ立場になり、航空機の研究開始を決定した。そのようないきさつで、航空機の研究と併せて航空機エンジンの研究がスタートした。
まず、ホンダがつくろうとした航空機は、シビックに翼とプロペラを付けたようなものだった。「個人が買うことのできる飛行機をつくりたい」との想いからだ。「廉価で便利な乗りもので大衆の夢をかなえたい」という創業当時からのホンダの社是に基づく構想である。
つくって現物で考える、
独力で研究開始
「とにかくつくってみようじゃないか」
ガスタービンエンジンの専門家も在籍せず、経験もなく、平均年齢26歳のチームで研究が開始された。普通なら、既存のエンジンを模したり、共同研究相手を探して知見を蓄積していくことから始めるだろう。しかし1986年の春、いきなりいくつかのレイアウト案を描き始め、独力で研究をスタートさせた。
後発で世に問う価値があり、より身近なものにするには、エンジンとして燃費が良く、かつ安価であることが重要となる。そこで3つの施策を打った。1つ目は、高コストとなる精密機械加工をミニマムにするために、複雑な形状の部品には精密鋳造を多用することである。2つ目は、小型で高出力を得るためには、タービン入り口温度を高くする必要があるが、その熱対策として冷却構造を組み込むと複雑になりコストが上がってしまう。そこで、当時ガスタービンエンジン(燃料の燃焼により生成された高温ガスによって回転運動エネルギーを発生させる機関)にはほとんど用いられることがなかった、熱に強い材料である最先端セラミックス(ファインセラミックス)を高温部に使用することである。3つ目は、推進系に当時、推進効率の高い最先端の技術として注目され始めていた二重反転プロペラのアドバンスド・ターボ・プロップ(以下、ATP)を採用することだ。
最初のエンジンは1X(初めてという意味の1と未知のXの組み合わせ)と名付けられ、セラミックスの成立性を確認することを主眼としてガスジェネレーター部分だけを設計した。エンジンレイアウトや部品設計・解析手法やテスト要件の検討など、未経験のプロジェクトを始めるにあたって必要な作業を同時並行で精力的に進めていった。さらに、エンジン運転設備などの導入に加え、部品の製法検討と加工設備の新規導入も行った。
そして、さまざまな卜ラブルを乗り越えてテスト用エンジンが初めてアイドル回転数に到達し、ジェットエンジン音がベンチ室に響き渡った時、チームメンバーは航空機エンジンを研究している実感と感激を味わった。しかし、このエンジンには軸のバランス取りが難しいという弱点があった。主軸の同軸度は2つのローターの合わせ面の直角度で決まるつくりで、さらに片持ち式のベアリング構造となっていたからである。そのため、合わせ面をオイルストーンでひと擦りふた擦りと1ミクロン単位の微妙な調整をして組み立てないと、運転ができないほど軸振動が起きてしまうのであった。結局セラミックスタービンを何度も破損させ、定格回転数まで運転できずにこのエンジンは早々にお蔵入りとなった。
さらなる独自性に挑む
1987年の半ば、高温部にセラミックスを用いることを諦め、一般的な金属製にすると同時に、超小型化を図るためにガスジェネレーターは高回転型とし、独自の渦巻き理論によるらせん状の燃焼器を採用した。ATPにおいても、他社はタービンを2軸持つなどさまざまな形式がある中、遊星ギアで二重反転させる機構を採用したことがホンダの特徴の1つであった。コード名称2Xと名付けられたこのエンジンは、どのメーカーも実現していない、まさに先進的なエンジンだった。
金属タービンの採用でガスジェネレーターは安定して運転できるようになり、ATPの試験が実施可能となった。しかし、非軸対称な燃焼器を含めた高温となる部品の熱変形、遊星ギアを用いた二重反転プロペラの制御や、カーボンファイバー製プロペラの異物損傷対応の難しさなど課題は多かった。
米国連邦航空局による
ATPの規格づくりが中止に
ATPを研究していたのはホンダだけではない。効率が良く、燃費向上が見込める二重反転プロペラ方式を採用したこのシステムは、オイルショックによる当時のエアライン各社からの強い燃費向上要請で脚光を浴び、各社が研究に取り組む航空機エンジン業界全体のトレンドとなった技術だった。確かに燃費向上のメリットがあったが、実際に運転してみると
二重のプロペラ列から出る衝撃波が干渉し合ってすさまじい騒音が発生した。しかも、むき出しのプロペラが高速回転する(従来のターボプロップもプロペラがむき出しで回っているが、ATPでは回転速度が圧倒的に速い)ため、万が一プロペラが破損すると、航空機の胴体を突き破ってしまう危険がある。メリットの一方で大きなデメリットがあり、実現には課題が多い技術だった。その後オイルショックが落ち着き、燃料価格が低下したため、米国連邦航空局(以下、FAA)がATPの規格策定を中止するとの決定を下した。FAAが中止したということは、開発しても世に出せないことを意味する。ATPで世界の先陣を切るつもりだったチームのメンバーは、中止の決定に大きな衝撃を受けた。突然の目標喪失だった。
悩み抜き、原点に返る
1989年にチームは、ファンをエンジンの後ろに付ける「アフトファン」方式に設計を変更した。遊星ギアを介して、プロペラの代わりに鋳造性のファンを回して推力を得る構造である。二重反転プロペラからファンに換えたことによるエンジン効率低下を、圧縮機を多段化し圧力比を高くすることで補う設計としたが、当初の狙いより複雑で重いエンジンとなった。
ある時、エンジン回転を徐々に上げていくテストの最中、ベンチ室のある建屋全体に突然大音響がとどろいた。ドーンという音の直後、静寂。チームのメンバーがベンチ室に駆け込むと、エンジンが真っ二つになっていた。エンジンの中央付近にあった鋳造製の遠心圧縮機が破断して、エンジンを破損させてしまったのだ。その後の原因究明で遠心圧縮機の鋳造にその原因があったことが分かった。この事象を経験し、チームは改めて回転体部品の信頼性がいかに重要であるかを学んだ。アフトファンエンジンは、出力面では初めて目標の600馬力に達したが、重量や燃費・信頼性などエンジントータルとしては決して満足できるものではなかった。振り返ると、ファインセラミックスの使用・二重反転プロペラ・精密鋳造品というホンダならではのチャレンジすべてが否定される結果となった。
これまでの失敗を教訓に、チームはユニークさの追求を一度やめて立ち止まり、うまくいかない理由を考えてみた。確かに高度な技術にチャレンジしたことも理由ではあったが、それ以上に基礎的な技術が不足していたことが主な原因だった。また、航空機用に求められる技術要件に関する知識も不足していた。1990年暮れ、悩み抜いた末に、いったん世の中で広く採用されているターボファンという形式のエンジンで基礎技術を高める方針に切り替えるという、若いリーダーの提案が承認された。これには、もう二度と大きな設計変更はしないという想いが込められていた。
初めて定格回転数に到達、
初の飛行試験実施
新たなエンジンのコード名称はHFX-01とし、当時の最小ビジネスジェット機クラスのエンジン推力である1,800ポンドを目標とした。ターボファンは世の中では一般的なエンジン形式ではあるが、ホンダとしては初めての取り組みである。これまで経験のない、外径400mmから600mmと大きなチタン製ローターの削り出し加工、1m近い長軸でありながら公差を10μ以下に収める高精度加工など、航空機産業の先端技術を未経験の状態から身に付けながら、試作部門が努力を重ねた結果、かろうじて部品がそろい、エンジン組み立てを開始することができた。すると、驚くことに、組み立てからわずか1カ月で定格回転数に到達した。これはチームメンバーおよび関係者の献身的な頑張りの成果だった。1994年10月、北海道にある本田技術研究所の総合試験場
鷹栖プルービンググラウンド内のオープンテストベンチにて初めての屋外テストを行い、北海道の空に響き渡るジェットエンジン音にチームメンバーは感動を覚えた。さらに1995年12月には、米国カリフォルニア州のモハベ砂漠でボーイング727の機体側面前方にHFX-01を搭載して、初の飛行試験を実施し、航空機用エンジンとしてさまざまな基礎データを得ることができた。立ち会ったメンバーだけでなく、チーム一同大きな感動を味わうことになった。
ホンダ初のターボファンエンジン、初の飛行試験を実施したHFX-01
さらなるエンジン性能の向上に
チャレンジ
それまで、HGFの中で航空機エンジンと機体は別々に研究を行っていたが、ホンダ製エンジンを載せたHondaJetのPOC機(Proof of Concept コンセプト実証機)のプロジェクトを1998年にスタートさせることになった。HFX-01は、当時世の中に存在したターボファンエンジンに匹敵する性能を実現していたが、それだけではホンダで作る意味がない。世の中に問う価値があるエンジンとすべく、もう一段の飛躍を目指すことにした。
エンジンのコード名称をHF118としたエンジンでは、明確な目標を設定した。航空機用エンジンとして重要な推重比(推力の重量に対する比率)を20%、巡航燃費を10%、既存のエンジンに対して向上させることを目標に掲げた。
また、このクラスのエンジンにエミッションの規制はなかったが、かつてCVCCエンジンで世界をリードしたホンダとして、将来想定されるエミッション規制に適合し得る目標を設定した。信頼性目標は、飛行中のエンジン停止確率を24時間休みなく14年間飛び続けても1回以下であることとした。コストは、個々の要素効率を上げることでローターの数をミニマムとし、非常にシンプルな構造にすることで部品点数を大幅に削減して低コスト化を目指した。
こだわりの技術を満載、
自動車技術も応用
要件が定まるとチームからさまざまなアイデアが集まった。その中から、圧力比・効率ともに世界一の遠心圧縮機、可変機構なしで脈動のないサージフリーを実現する低圧圧縮機系、カーボン複合材を用い軽量かつコストを抑えた独自構造のファン静翼、9万個の斜め孔による高効率な冷却で低エミッションを可能とする燃焼器などのアイデアを採用した。
また、極端に翼枚数の少ないノズルで運転レンジ内のタービンブレードの共振による破壊を防いだ高圧タービン、高負荷空力技術により単段化した低圧タービン、回転体のアンバランスによる振動を調芯作用によって抑え客室の静粛性を向上させるスーパークリティカル軸も採用された。スーパークリティカルとは、超臨界という意味で、ここでは振動の1つの臨界点である1次共振点を乗り越えて使用するためこう呼ばれている。材料面でも、高圧タービンディスクに高強度の耐熱鍛造材を、遠心圧縮機には低サイクル疲労特性に優れたチタン
合金を新規採用するなど、こだわりの技術が満載となった。
中でも、燃料コントロールシステムにはホンダらしく自動車の技術を応用した制御システムFADEC(Full Authority Digital Engine Control)を採用した。HF118の研究がスタートした時、ちょうど自動車の技術でセラミックスの基板にベアチップをそのまま搭載する技術が誕生していた。それを使用すると、航空機用に認定されている電子部品で製作したECUに対し、大きさを10分の1、重量を8分の1に改良することができた。8kgに対して1kgという軽さである。またこれにより、ECUを燃料ポンプと一体化することが可能となり、ユニット間の配線を省略することで、システムとして圧倒的な軽量化、部品点数削減を実現した。
また、各コンポーネントの効率を上げるために、当時はまだ研究段階であったエンジン内部の空気の流れをシミュレーションするソフトを自社で開発した。特に遠心圧縮機は、これを使用し設計することで、効率を世界トップレベルに向上させることに成功した。
一般的に航空機エンジンの回転体は、高応力が発生するため有限寿命*1となる。回転体が疲労破壊して破断すれば、アフトファンエンジンの時のように、機体を破損させるほどの事故につながるため、寿命予測はエンジンの信頼性に関わる重要な項目である。HF118の回転体は、ワイブル分析*2を用いた寿命予測により高い信頼性を確保した。
- :有限寿命とはメンテナンスで必ず交換することが義務付けられた使用時間または回数
- :ワイブル分析とは、信頼性評価に用いる確率分布「ワイブル分布」を用いて、部品が疲労破壊する確率がある値以下になる運転回数(寿命)を求める分析手法のこと
HF118 エンジン構造図
低圧圧縮機/高圧遠心圧縮機
燃焼器
製造にも独自技術を投入
実はこの時期、ホンダでは航空機エンジンプロジェクト自体が機密事項で、ものをつくるにあたっても、航空機エンジンの部品メーカーに頼めないという事情があった。したがって、かなりの部品をホンダで試作することにした。「なければつくる」というのもホンダの伝統である。一部は自動車の部品試作を行うメーカーに、自動車の部品のように装い頼むこともあった。
航空機エンジンの主要部品である遠心圧縮機や低圧圧縮機・ファンは、チタン合金の鍛造の塊から削り出してつくる。性能とコストのバランスを考えると、どのように削るかが非常に重要である。例えば削り出しの手法として、通常はポイントミリングといって歯の先端で削る手法が採られる。先端で削るため、複雑形状の削り出しが可能だからだ。しかしその分、製造時間とコストを要する。そこで、歯の側面で削るフランクミリングの実現に挑んだ。フランクとは側面という意味である。この手法は、切削時間を短縮できるが、歯の横で削るため、削りが直線的になり複雑な加工がしにくくなる。しかし、何としても実現するために、フランクミリングで製作することが可能な形状での空力シミュレーションを行った。設計と製造のエンジニアが協力して計算を繰り返し、性能を予測しながら形状を煮詰めることで、フランクミリングが可能な形状で性能を満足させることに成功した。これにより、性能とコスト(製造時間)のバランスを大幅に高めることができた。