第Ⅲ章
独創の技術・製品

第4節 航空機 
第1項 HondaJet

空への挑戦。
航空機事業への参入

不可能と思われた事業化、
最後と目された舞台

 「ここまできたのなら、なんとか事業化を目指したい」
 飛行試験に成功し、性能や製品としてHondaJetのポテンシャルの高さを実証した開発チームは、当然ながら事業化につなげたいと考えていた。しかし、航空機事業は膨大な投資が必要とされる。性能は優れていたとしても、自動車メーカーであり新参者のホンダがつくったビジネスジェットが果たして売れるのか。社内では事業化は難しいのでは、という見方が大半を占めていた。そして、HondaJetのPOC機の飛行試験が終われば、研究にもピリオドが打たれるのではという推測が広がっていた。
 そのような状況の中、2005年7月に米国のオシュコシュ航空ショーでHondaJetのPOC機を展示することが社内で承認された。この航空ショーは、60万人もの人が訪れる世界最大の航空ショーで、ビジネスジェットメーカーにとっては新製品発表の場にもなっていた。当然ながら開発チームは歓喜の声を上げたが、複雑な思いもあった。というのは、航空ショー出展承認の背景は、航空機研究の総括という意味合いが強かったからだ。つまり、20年におよぶ航空機研究の区切りとして、世界最大の航空ショーにHondaJetを展示することで開発チームの努力に報いて、航空機プロジェクトにピリオドを打つ。HondaJetの最初で最後の晴れ舞台というわけだ。
 ショー当日、HondaJetは会場の上空を旋回し、滑走路に着陸。そのままホンダの駐機エリアに到着した。すると、1,000人を超える航空機ファンたちがHondaJetを取り囲んだ。歓声と拍手が鳴り響く。予想すらしていなかった事態だった。興奮の中、発表のスピーチを行うと、多くの人たちから「こんなに美しい飛行機は見たことがない」という称賛の言葉が投げかけられた。

航空機ファンから称賛の声が上がった、オシュコシュ航空ショーでのHondaJet展示

ついに「その日」は訪れた

 HondaJetがオシュコシュ航空ショーで衝撃的なデビューを飾った後、流れは大きく変わり始めた。社内外で、HondaJetの価値を認識する人が増えていった。「ぜひ購入したい」と、5万ドルの小切手を直接送ってくる人さえいた。
 しかし事業化の承認を得ることは依然として容易ではなかった。チームは、幾度も提案を重ねた。経営陣のためらいの日々が続く。航空機は、綿密なパイロット訓練を行わなければならず、定期的なメンテナンスも欠かせない。したがって、お客様にデリバリーするからには簡単にやめることはできない。息の長い事業にする覚悟がいる。
 しかしその日は訪れた。2006年3月、社長(当時)の福井威夫が長い長い沈黙の後、ついに事業化を承認した。信じられない思いだった。あれほど願っていたことであったが、開発チームのメンバーは、胸の内では事業化の承認を得ることは難しいのでは、と思っていた。だから、一瞬、状況を理解できないほどであった。経営トップの事業化の決断は、おそらく提案した開発チーム側より勇気を要するものであったに違いない。その日、開発チームのメンバーは喜びに包まれた。しかし、翌日からは一転、数カ月のうちに事業化を発表すべく、急ピッチで準備と体制構築に奔走し始めた。

長年、自動車をつくってきた
ホンダならではのこだわり

快適性を追求した客室(HondaJet Elite)

快適性を追求した客室(HondaJet Elite)

 それまでの小型ビジネスジェットは、長年、自動車を開発してきたホンダとしては、デザインやきめ細かなつくり込みへのこだわりが希薄と感じられるものが多かった。キャビンは狭めで、コックピットは平板に計器をビス止めしたような状態だった。外気温が下がると結露して滴が頭上に落ちることもあった。キャビンのノイズも大きかった。地上を走る自動車のようにはいかないだろうが、改善の余地があるように思えた。
 HondaJetは、そうした既存の小型ビジネスジェットと一線を画す価値を獲得していた。空気抵抗を極限まで減らす自然層流を実現する、美しい主翼とノーズ。コンポジット材を使用した胴体を含め、外観に凹凸がほとんどない。インテリアは高級車と思えるほど美しく、ゆとりあるコックピット空間、広い視界をもたらすウインドシールド、先端のアビオニクス*3を使った完全なグラスコックピットを搭載している。地上走行時のステアリングの操作感、ブレーキを踏んだ時の上質な感触、比較にならないほどの静粛性。これらには自動車づくりで蓄積されたデザインのノウハウや感性を追求する開発手法が生かされていた。およそ4年ごとに多機種をモデルチェンジしてノウハウを積み重ねる自動車会社と違い、航空機メーカーはほとんどモデルチェンジをしないため、ものづくりへの取り組み方に大きな違いがあった。開発チームはそうした点にも着目し、HondaJetの価値を高めていった。
 さらに圧巻なのは性能である。上質なコックピットに座っていざ飛び立つと、毎分4,000フィート(1,220m)というクラストップの上昇率でぐんぐん上昇する。高度も同じクラスの機体が41,000フィート(12,500m)にやっと届くのに対し、HondaJetは43,000フィート(13,100m)まで上昇でき、トラフィック混雑を回避する高度性能を持っている。巡航速度も420ノット(778km/h)と速い。クルマでいえば、小型車ではあるが乗り心地はレジェンドのようで、操縦性はNSXのようなスポーツカー、それでいて燃費もクラストップ。高い評価を得るのも無理はない。機体のカラーデザインも、従来の小型ビジネスジェットでは重要視されていなかったが、HondaJetでは、空力設計のイメージを反映する機能美に満ちたラインを機体に描き、さまざまなカラーを設定するなど、徹底的にこだわっていた。すべてがこれまでの常識を超えていた。

  • :アビオニクス(Avionics, エイヴィオニクス)とは、航空機に搭載され飛行のために使用される電子機器のこと
先端のアビオニクスを採用したコックピット(HondaJet Elite)

先端のアビオニクスを採用したコックピット(HondaJet Elite)

ついに受注開始

 2006年、航空機の機体の開発・製造・販売を行う子会社、ホンダ エアクラフト カンパニー(HACI)を米国に設立。その年のNBAA(National Business Aviation Association)全米ビジネス航空協会総会・展示会でついに受注を開始した。開発チームの面々は、発表前夜あまり寝ることができなかった。「もし1機も売れなかったら」、「誰も関心を示さなかったら」などと心配が尽きなかった。
 2006年10月17日、記者会見を行いHondaJetの受注開始を正式にアナウンスした。記者会見時には数百人が会見場に集まり、ブースは活気に満ちていた。明らかに他のブースの雰囲気とは一線を画す熱気があった。会見後受注を開始すると、初日だけで100機を超える受注を獲得した。記録的な出来事だった。お客様がビジネスジェット機を買うために列をつくって順番を待つという、信じられないことが起こった。
 会場ではHondaJetのセールスマンも、お客様も、メディアの記者も、そして開発チームのメンバーも皆が興奮して走り回っていた。展示されたキャビンモックアップを見てその斬新さに感激し、その場で即決して契約書にサインをする顧客も少なくなかった。「まるでパンケーキのように売れている」。20年間NBAAへ来ている参加者からも、このような光景を見るのは初めての経験と言われるほどの事態だった。

型式証明を取るための
提出書類は240万ページ

ホンダ独力で型式証明を取得

ホンダ独力で型式証明を取得

 航空機は、米国連邦航空局(以下、FAA)からの型式証明を取得しなければ、受注はできてもデリバリーすることができない。型式証明の取得は、想像を絶するような仕事量と正確さと忍耐が必要となる。すべてのプロセスでFAAとの合意を取っていかなければならない。たとえば、どのような証明基準で行うかの決定から始まり、証明を受ける時にはどのような方法でどのような試験を、どのようなプランでやっていくかを、機体全体の設計だけでなくすべての部品に対して行うという具合だ。
 その後に部品レベルから全機レベルに至る試験があり、飛行試験に移る。そこでも、フライトプランをFAAに提出し承認を得ないと試験は始められない。フライトプランが承認されると、FAAの飛行試験とは別の部署が、試験に使う機体が設計とまったく同じであることをボルト1本に至るまでチェックし、承認する。その承認が取れて初めてFAAのパイロットによる飛行試験が始まる。その後、機体の評価、フライトマニュアルなどの承認を受け、ようやく型式証明の取得となる。
 開発チームが型式証明を得るためにFAAに提出した書類は240万ページに達した。ちなみに、分厚い書籍として身近な広辞苑でも4,000ページに及ばないと聞けば書類の膨大さが想像できるだろうか。そうした努力を重ね、2015年12月8日についに型式証明を取得することができた。ホンダが独力で型式証明を取得したことは、ホンダだけではなく、日本にとって、また、新規参入企業にとっても価値のあることだった。

デリバリーを開始し、
2年目でカテゴリートップに

 型式証明だけでなく、生産体制やサービス体制を整えることも決して容易なことではない。デリバリー開始後もホンダの名にふさわしい質の高いサービスを提供し続け、信頼を得ることも非常に重要である。
 HondaJetは、2015年12月23日、米国で念願のデリバリーが開始された。2016年には欧州へ、その後文字通り世界各国へとHondaJetを飛び立たせていった。2017年に通年でカテゴリートップのデリバリー数を記録してから、2021年まで5年連続でトップとなり、支持を獲得し続けている。
 その後も、HondaJetは製品としても進化を続けた。2018年5月、HondaJet Eliteを発表。航続距離の延長や、高周波のエンジンノイズ低減によるキャビン内の高い静粛性を確保した。続いて、2021年5月には改良型のHondaJet Elite Sを発表。さらに、2022年10月17日にHondaJet Elite IIを発表した。燃料タンクの拡張および最大離陸重量の増加により、航続距離をHondaJet Eliteから110ノーティカルマイル*4(204km)伸ばし、1,547ノーティカルマイル(2,865km)とした。機体構造変更においては、着陸後の減速に使用するグランドスポイラーを主翼に初搭載した。2023年中には、新たに自動化技術であるオートスロットル機能と緊急着陸装置を導入し、さらなるパイロットの負荷軽減を図ることとした。

  • :ノーティカルマイルとは長さの単位「カイリ」の英語表記(nautical mile)のことで、地球上の緯度1分に相当する長さであるため、海面上の長さや航海・航空距離などを表すことに適している。1カイリは1,852m
2022年に発表されたHondaJet Elite Ⅱ

2022年に発表されたHondaJet Elite Ⅱ

ノンストップでの
アメリカ大陸横断が可能な
小型ビジネスジェット機の開発

 2021年、ネバダ州ラスベガスにて開催されたNBAAビジネス航空機ショーにて、新たな移動の価値をもたらす小型ビジネスジェットコンセプト機としてHondaJet 2600 Conceptを発表し参考展示した。発表後、お客様から高い評価を得ることができ、市場におけるニーズの高さを確信したことから、2023年6月に製品化を決定。1クラス上のライトジェット機*5カテゴリーへの参入を目指す。
 新たに製品化予定の新型小型ビジネスジェット機は、ホンダ独自の技術である主翼上面エンジン配置、自然層流翼型・ノーズ、コンポジット胴体をさらに進化させることで、最大11名の乗員・乗客を搭乗可能とする。また、通常のライトジェット機より20%、中型ジェット機*6に対しては40%以上燃費を向上させることで、ライトジェット機として世界で初めて、ノンストップでのアメリカ大陸横断が可能な航続距離の実現を目指している。
 今後、HondaJet 2600 Conceptをベースに、2028年ごろのFAA型式証明取得に向け、開発を進めていくこととなった。
 1986年の研究開始から20年後の2006年に航空機市場参入を決定。29年を経て2015年にHondaJetの認定を取得し、念願のデリバリーを開始した。その後もホンダは独創の航空機ビジネスを展開し、モビリティーの領域を空へと広げる壮大な夢を実現した。そして、HondaJetはさらに進化を続けていく。より多くの方へ喜びを届けるために。

  • :最大離陸重量が12,500ポンド以上、20,000ポンド以下の双発エンジンを搭載した機体HondaJet Elite II(ベリーライトジェット)の1つ上のクラス
  • :最大離陸重量が20,000ポンド以上、35,000ポンド以下の双発エンジンを搭載した機体
2028年にFAA型式証明取得を目指す、HondaJet 2600 Concept

2028年にFAA型式証明取得を目指す、HondaJet 2600 Concept