アメリカの飛行研究所から
プロジェクトをスタート
真夜中のテストコース。メンバーの一人がタバコの煙を見つめていた。それまで揺らいでいた煙がすっと真っすぐになった。
「今だ、スタート」
1/6の機体モデルを屋根に載せたクルマがテストコースを走り出した。横風の影響を最小限にするため、風がやむのを待っていた。機体が風に揺れる。できるだけ飛行特性に関係のないG(加速度)を発生させないようにクルマは走り続けた。
1986年、航空機の機体研究が(株)本田技術研究所基礎技術研究センター(発足時は和光研究センター 以下、HGF)の発足とともに始まった。研究の黎明期、機体のコンフィギュレーション(形態・仕様)の研究で、机上での計算を終えた開発チームは、栃木プルービンググラウンドのテストコースで、真夜中に空力試験を実施していた。当時は風洞設備がなかったため、機密の関係から夜のテストコースで機体モデルをクルマの屋根に載せて走るという苦肉の策であった。ただ、走るクルマにはGがかかる。そのGを計測し、機体モデルにかかる荷重や空気力からGを差し引くフィルターをかけ、使える等価データを引き出していた。データの精度は低く、かろうじて使えるレベルであった。しかし、単に風洞設備で測定するより、Gを補整するためにどのような数式を使うか工夫を凝らすことで、開発経験のないチームが航空機の運動について知識を深める良い経験となった。
並行して航空機の機体開発チームの一部は、HGF発足後すぐに米国に渡り、ミシシッピ州立大学付属ラスペット飛行研究所で航空機づくりを学んでいた。2年あまりの短期間で航空機の設計・製作・飛行試験を自ら経験する教育的プロジェクトであった。開発チームがこの研究所を選んだのは、それが実現できるという「三現主義」的観点からだ。
米国での最初の研究ステップは、既存の単発ターボプロップ機(プロペラ機)の尾翼と主翼をアルミ材からコンポジット材(複合材)に置き換える設計・製作を行い、自分たちの手で実際に翼をつくって飛ばしてみることであった。主翼換装の際には、ランディングギア・フラップ・インテグラル燃料タンクも新設計。自らすべてを行うことで、航空機設計・製作の基本を学んだ。プロジェクトを順調にこなした開発チームは、次に機体全体を設計・製作するステップへ駒を進めた。
既存のプロペラ機の尾翼と主翼を自ら設計・製作し、飛行試験に挑んだ
ホンダ独自の機体への初挑戦
1988年、開発チームは独自の機体開発に取り掛かった。乗用車同等の乗降性を実現する短いランディングギアを持つ高翼機だった。短距離で離着陸できるようにするための極大フラップや、カナード(先尾翼)と前進翼を持った独特のスタイルだ。機体尾部に航空機エンジン部門が開発していた燃費性能に優れるアドバンスドターボプロップエンジン*1を搭載し、機体を後方から押し出すような形で推進力を得るプッシャー式で、極大フラップは3層構造のトリプルスロッテッド・フラップ、機体は接着によるオールコンポジット構造を想定した。
構想を実現していく設計の段階で、開発の難しさに加えて、燃料が安くなり必要性が下がったことから、アドバンスドターボプロップエンジンの開発中止が決まり、急きょ既存のターボファンエンジンを搭載することになった。しかし、ターボファンエンジンにすると大きくなってしまうため機体尾部には取り付けることができず、行き場のなくなったエンジンは高翼の付け根上部にしか搭載する場所はなかった。前進翼は維持されたがカナードをなくす形で設計・製作され、機体の名称をMH02とした。早速実験機を試作し、1993年3月に試験飛行を実施。無事に飛ぶことはできたが、エンジンの搭載場所などコンフィギュレーションを最適化したものではなかったため、高速時の抵抗が大きいなど課題が多く、商品化を断念。しかし、実験機ではあるが世界初のオールコンポジット製ジェット機という快挙を成し遂げた。
この機体開発では、コンフィギュレーション設計から、構造設計・システム設計・機体組み立て・地上試験、そして飛行試験までをすべてホンダの開発チームが行い、航空機開発の技術やプロセスをつくり上げていった。MH02プロジェクトは、ホンダとして航空機設計手法などを確立させていった点、そして飛行機全体をゼロからまとめ上げるという経験を積み課題を知ることができた点において大きな価値があった。
MH02は1996年8月にすべての試験を終了し、研究にピリオドが打たれた。製品化を目指すことができなかったこともあり、社内でも航空機研究は限界に達しているのではないかとの意見が多く、研究を継続していくことにも疑問の声が湧いていた。さまざまな議論が社内で交わされ、航空機の要素技術の研究のみを行うという条件で、研究を継続することがようやく承認された。
- :アドバンスドターボプロップエンジンとは、1980年前後の第2次オイルショックを受け、航空機業界で検討された二重の反転プロペラを持つ進化型のエンジン形式
綿密にコンセプトを固め
HondaJetとして再スタート
研究終了という最悪の事態は免れたが、開発チームは、構造材料や空力などの要素技術研究だけではなく、商品としてのビジネスジェット機を開発したいという強い気持ちを持っていた。綿密な調査も行い、ホンダとしてどのような航空機をつくるべきかコンセプトを固めつつあった。
それまでの小型ビジネスジェットは、キャビンスペースや荷物室の広さが十分ではなく、静粛性やデザイン面においても改善の余地があった。したがって、ひとクラス上の広さを持つキャビンスペースや静粛性を実現し、デザインも美しく、その上でより安価にできれば、一般の人やビジネスパーソンの移動用として、小型ビジネスジェットの需要は大きく拡大するという確信があった。しかも高効率で燃費も良くて高速、排出ガスもよりクリーンにできればホンダがつくる意味がある。そのためにはどのような機体が必要か、具体的なイメージを導き出していった。
既存機より燃費を20%から30%向上。3人から4人が搭乗した場合に、1人当たりの運航コストが米国国内線のファーストクラス並み。小型軽量であっても、ゆとりあるキャビンスペースを確保して、乗客が対座した時にお互いの足先がぶつからないこと。最高速度は400ノット(741km/h)を超え、また巡航性能はノンストップでニューヨーク・マイアミ間を飛べる航続距離を有する。プライバシーのあるトイレも装備。乗客数分のゴルフバッグを搭載できる大きな荷物室もある。移動手段としてだけではなく、オーナーの所有欲を満たすような魅力のあるスタイリングやインテリアを備えていること。これらが後に「HondaJet」と名付けられた機体の目標要件となった。
ただ、航空機の場合、理想だけでは設計ができない。航空機設計の考え方に基づく独特の計算方法があり、技術レベルで形態が決まってしまう。したがって、高い目標要件に収束させるためには、それに見合う技術がないと計算結果が得られない。つまり、チャレンジングなだけの目標設定では航空機を成立させることはできない。
そのため、最初のコンセプトデザインは決してラフスケッチではなく、描くには工学的な経験が必要となる。たとえば、「F=ma」というニュートンの運動方程式の場合、理論として力(Force)が質量(mass)と加速度(acceleration)の積である。しかし、実際に飛行機を設計する時は、質量をどのように見積もるか、空気の力をどのように見積もるかが重要で、深く経験を積む必要がある。理論を実際のハードウェアに適用する時の手法や、許容できる公差や誤差をどのように考えるかが重要となる。開発チームメンバーは、招集される以前は実際に自動車などを開発していた。その工学的な経験を追い風に、現実的な開発を推進していった。
世界初のオールコンポジット製ジェット機MH02
大きなブレークスルーが
なければ実現しない
HondaJetの機体要件を実現するうえで最も難易度が高いのは、効率向上のために機体を小型化しながら、逆にキャビンスペースの最大化を実現することだ。相反する技術課題の解決である。既存のビジネスジェットはエンジンを胴体後部に取り付けていて、その支持構造によって胴体後部のスペースを割かれてしまう。あるいは、エンジンを取り付けるためだけに胴体を伸ばしている。通常であれば、既存の構造をいかに改善するかに取り組む。ホンダが目指すコンセプトは改善では実現できないものだった。高い技術とともに、ブレークスルーがなくては成立しない。
そこで着目したのがエンジンの搭載位置だ。もし主翼にエンジンを載せることができれば、胴体はほぼすべてキャビンとして使えるためメリットが大きい。ただ、航空機の一般的な空力設計理論では、主翼の上には何も載せないのが常識である。空気抵抗が増大するというデメリットしかないとされていたからだ。開発当初は、なんとかそのデメリットを最小限にできないかという対症療法的な考え方をしていた。
「見方を変えなければいけない」
開発チームのメンバーに、主翼の最適な位置にエンジンを取り付ければ、空気抵抗を減らすことができるのではという考えが浮かんだ。
常識を破る発想転換
野球やゴルフで、これまで腕で「引っ張ろう」としていたスイングを、「押す」と考えたことで急に改善されるなど、発想の転換によって事態が打開されることがある。同様に、エンジンという付加物が主翼上の流れの抵抗となるデメリットを、メリットに転換できないかと考えた。
エンジン周りの流れと主翼周りの流れを分離して考え、それを組み合わせて良い流れをつくればよいという発想である。コンピューターが発達していなかった古い時代の、複素関数で流れのコンポーネントをつくり、それを線形に組み合わせて解析的に流れを解くという古典的手法の応用だった。
具体的には、機体の速度を上げていった時、主翼上の流速が高まり音速に達すると発生するショックウェーブ(衝撃波)を、エンジン前の減速領域を組み合わせて極力抑えるという手法である。ショックウェーブは大きな造波抵抗を生むため、それを抑えることで抵抗を大幅に低減するメリットを生む。空力設計理論の常識を打ち破る発想転換だ。その発想が芽生えてからというもの、チームは次々とシミュレーションを重ねていった。その結果、メリットを生む可能性が見えた。また、主翼に重量物を載せることで発生するフラッター(空気力による振動)の問題も、エンジンの重心を振動モードのノード(節)近くに配置することで解決できることを見いだした。
嘲笑を尊敬に変えた風洞試験
シミュレーションによる仮説を実証するために、主翼上面エンジン配置の機体のスケールモデルを製作し、ボーイング社の遷音速(せんおんそく)風洞に持ち込んで試験を行った。遷音速とは、機体表面の空気の流れが音速に達している部分と、達していない亜音速の部分とが混在する速度域のこと。そのような状態を再現できる風洞はホンダにはなく、ボーイング社のものを借りて試験を行った。
「ホンダのエンジニアは航空機のことを何も分かっていない」
主翼上面エンジン配置の機体形状を見たボーイング社の風洞エンジニアは、ホンダの開発チームを嘲笑したという。しかし、1週間がたち、2週間がたって良好な試験結果が出始めると態度を一変。「Gee. These Honda guys are really smart.(ホンダのエンジニアはすごい)」と驚きにも似た反応を示し始めた。その後米国航空宇宙局(NASA)の特殊な高レイノルズ数遷音速風洞においても試験を行い、性能の高さを実証することができた。主翼上面エンジン配置という新しいコンフィギュレーションは、このように古典空力理論からヒントを得て、最新の数値流体シミュレーションを用いてコンセプトを固め、遷音速風洞試験によって実証されたのである。
航空工学の教科書に書かれた
常識も破る
エンジンを主翼上面に配置することで、胴体後部に取り付けるより性能が向上する。これは、航空機の知識を持っている人にとっては信じられないことだった。ホンダ社内でもなかなか理解が得られず、専門的に説明すると、なおさら混乱するばかりである。これでは、世の中に発表した時、「ホンダは自動車会社なので航空機技術がまったく分かっていない」という誤解と批判を生み、先進的なホンダのブランドイメージにダメージを与えるという危惧があった。
そこで、このコンセプトを技術論文としてまとめ、米国航空宇宙学会(以下、AIAA)*2で発表することにした。専門家たちから理論的に評価されれば、少なくとも誤解による中傷は避けられるのではないかと考えたからだ。論文が認められるかどうかはわからない。しかし、そうするしか手はなかった。
通常、論文の審査には1年ほどの期間を要する。しかし2002年、HondaJetの論文はわずか数週間でAIAAから審査の結果をもらうことができた。「航空機設計における重大な発見の1つ」と高く評価されての対応だった。この評価により、米国の航空業界でもHondaJetの新しい形態と技術は認知されるようになり、異論を唱える人はいなくなった。主翼上面エンジン配置という新技術は理解と支持を得たのである。
こうして革新的なエンジン配置を採用したHondaJetは、機体の小型化と大きなキャビンを同時に実現した。その他にも、胴体の軽量化を可能にするコンポジット構造を採用、また空気抵抗を最小化するために独自の自然層流翼型を開発し、胴体も自然層流を実現するノーズ形状を採用した。さらに、主翼翼端にはウイングレットを採用するなど、一度にいくつもの新技術を搭載しながら設計を成立させた。「一度に新しいことを3つやったら航空機設計は失敗する」という、航空工学の教科書に書かれた常識をも破り、斬新かつ高性能な設計を実現したのだった。
- : American Institute of Aeronautics and Astronautics
主翼上面へのエンジン配置により、胴体のスペースを最大限に活用
自然層流を主翼と胴体ノーズ形状に適用し、空気抵抗を最小化
初飛行に成功
HondaJetの基本設計が完成すると、開発チームは、詳細構造設計やシステム設計へと開発作業を進めていった。そして機体組み立て・強度試験・システム機能試験などを完了し、いよいよ2003年にホンダ製ターボファンエンジンHF118を載せ、POC機(Proof Of Concept コンセプト実証機)による地上での各種試験を開始した。タキシング(地上走行)試験を行った際、地上ステアリング走行試験でHondaJetが8の字に自走する姿を見た開発チームのメンバーは、大きな課題を乗り越え機体をつくり上げることができた感慨を味わった。HondaJetは低速・高速タキシング試験を行った後、12月3日、ライト兄弟による初飛行から100年目の直前に初飛行に成功した。
HF118を搭載したPOC機による初飛行に成功