第Ⅲ章
独創の技術・製品

第1節 二輪車 第3項 スクーターが広げる可能性

第1節 二輪車 第3項
スクーターが広げる
可能性

便利からライフ
スタイルの表現へ

1970年代。変動相場制への移⾏や、2度にわたる⽯油危機、
また暴⾛族が社会問題になったころでもあり国内の⼆輪市場には陰りが⾒えていた。
ホンダは市場活性化の⼀⽮として、⼥性をターゲットにした⾰新的な50ccモデル、ロードパルを上市し⼤ヒットさせた。
これによって⼥性層の需要が拡⼤すると、各社がこぞって⼥性向けモデルを発売し
その中で競合メーカーのスクータータイプが⼤⼈気となったことからホンダは50ccスクーター・タクトを発売。
これが、⽣活に役⽴つだけではなく⾃分を表現するためのアイテムとして
⽇本におけるスクーターの世界が広がる端緒となった。

ミニマムなバイクの形、独創のロードパル

女性を中心に新しい二輪車の需要層を開拓したロードパル

女性を中心に新しい二輪車の需要層を開拓したロードパル

 1976年、スーパーカブに代わる第2世代のコミューターとして登場したのがロードパルである。コンセプトは「自転車並みの手軽さ、扱いやすさを持ち、生活の足としての必需品になり得るミニマムトランスポーテーション。免許と実用性を考慮して、原付1種とする」であり、女性を中心とした新しい需要層を拡大することを目的としていた。
 目標重量は自転車(約17kg)2台分。原動機付自転車として求められる必要装備は備えつつも、走行時の安心感なども考慮に入れ、35kg以下と設定。この実現のために、多くの新機構や新技術に挑んでいる。
 シンプルで合理的な新製造方式のフレーム、エンジンへの足の接触防止を兼ねたステップブラケット、ガソリンとオイルの2層式一体構造のタンク、エンジンと足回りが一体となったユニットスイングエンジンなどである。完成車重量は強度・耐久信頼性の補強により、目標値を超えた44kgとなったが、それでもなお当時の50ccバイクとしては驚異的な数字であった。

3回ペダルを踏み込んでエンジンを始動するゼンマイ方式 3回ペダルを踏み込んでエンジンを始動するゼンマイ方式

 2ストロークエンジンを搭載し、初心者にも簡単な始動方式として、足で3回に分けてペダルを踏み込むゼンマイ方式による始動を採用。価格は「自転車と比較して十分にお買い得感があること」とされ、試行錯誤の結果、59,800円を実現。
 ロードパルは、それまでの二輪車とはまったく異なる50ccの画期的商品として、テレビCMのキャッチフレーズ「ラッタッタ」とともに、たちまち大人気となった。オートバイ販売店だけではなく、自転車販売店やスーパーマーケットにまで販路を拡大したことも、成功の理由であった。その後、パルシリーズは改良を受けながら1983年まで生産され、累計生産台数174万台を記録した。

ロードパル 走行動画

充実装備の「ザ・スクーター」タクト

 ファミリーバイク市場は、ロードパルの牽引によって1979年には一挙に年間200万台の規模となり商品も多様化したが、市場は1977年にヤマハ発動機(株)(以下、ヤマハ発動機)から発売されたスクータータイプのパッソルが圧倒していく。これに対しホンダはロードパルL・パルフレイなどの派生6機種を矢継ぎ早に上市したが、ヤマハ発動機はパッソーラも追加し1979年単月で原付クラスのシェアナンバーワンを奪取する。
 そこで、ホンダは新たな需要を開拓しシェアを奪回するため、よりファッショナブルで幅広い生活スタイルにマッチするフルカバードボディーのスクーター・タクトを1980年9月に発売。タクトは個性的で豊かな質感を持ち、しかも経済的で便利に使える乗りものとして、ユーザーの期待に十分に応えられる機能と装備を有していた。
 最高出力3.2PSを発生する新開発の2ストローク強制空冷エンジンを、駆動系と一体になったユニットスイング方式とすることなどにより、低床フロアとゆとりある乗車スペースを確保。駆動系はホンダ独自のベルトコンバーター式無段変速機構「Vマチック」を採用し、かつてない軽快な走りを実現。さらには、ユニットスイング単気筒エンジン特有の振動が少なく乗り心地を大幅に向上させる、ダブルリンク式エンジンマウントも採用した。
 ヘルメットホルダーやシートロック・小型セルフスターター(セル付きタイプ)・オートチョーク・CDI点火、さらに電気式の燃料計やオイルインジケーターも装備し、スクーターにおける装備面の充実はタクトによって本格化した。車両重量は女性でも取り回しが容易な49kg(キック式タイプ)、販売価格108,000円(キック式タイプ)を実現。
 手軽に乗れるファミリースクーターとしてタクトは女性を中心に爆発的に売れ、発売後わずか3カ月で11万台を販売。生産台数も翌1981年には累計453,600台(派生モデル含む)、1982年7月には累計687,100台と大きく伸長させたのである。

足元を広く確保したフラットフロアで、手軽に乗れるファミリースクーターとして人気を博したタクト

足元を広く確保したフラットフロアで、手軽に乗れるファミリースクーターとして人気を博したタクト

独自の発想で危機脱出、メットインの誕生

 スクーターの隆盛によって50cc市場は年々拡大していったが、同時に増加する原付バイクによる事故の対応策として、1986年7月にヘルメット着用の義務化が施行された。これが、スクーターブームに水を差すことになる。収益面で二輪事業の柱となっていた原付スクーター市場崩壊の危機ととらえていたものの、開発陣は打開策を見つけられずにいた。
 ある会議で、円筒形の金属製ゴミ箱の上に座った者が、ふと座っていたゴミ箱を指して「これがシートの下にあれば、ヘルメットくらいは入るな」と言った。それを聞いた参加者たちは色めきたった。本質的な解決には至らないものの、ヘルメットを収納可能にすることでその着用を促進することができる。この思わぬ発想が開発陣の閉塞感を打開した。
 シート下には燃料タンク・バッテリー・オイルタンクなどがぎっしりと詰まっていたが、開発陣は辛抱強くパズルを解くように、シート下から部品を1つ1つ移動させていった。最後に、シートを支えるリアフレームを除く課題に対し、ヘルメットを入れる樹脂ボックスをガラス繊維で強化したポリプロピレン製とし、そこにシートを直接取り付けるというセミモノコックともいうべき新技術の採用で解決した。
 ヘルメット収納部は、ヘルメット以外のものも積載することも考慮し積載荷重10kgで、リアキャリアと合計すると13kgの積載荷重となり、それまでの積載荷重5kgの2.6倍となった。このためタイヤサイズを2.75-10から3.00-10にアップ、ワンランク上の規格とし空気圧を20%高く設定したことで剛性を確保した。併せてフレームとサスペンションも強化し、信頼性を担保した。
 ヘルメットの着用義務施行からおよそ半年後の1987年1月末、タクトフルマーク(メットイン)は発売された。スクーターの常識をくつがえす収納スペースの実現は、逆風の中にあった市場で年間17万台を売り上げることに成功。シート下のメットイン機能は、やがて他社でも採用されスクーターの標準装備となっていったのである。

タクトフルマークが実現したシート下のメットイン機能は他社でも採用されスクーターの標準装備となっていった

タクトフルマークが実現したシート下のメットイン機能は他社でも採用されスクーターの標準装備となっていった

時代の新たな要望、ビッグスクーター

 ビッグスクーターの先鞭をつけたのは、1984年に国内初の250ccスクーターとしてホンダが上市したスペイシー250フリーウェイである。排気量アップによるスポーツ性の高い動力性能により、高速道路を含むツーリング走行が楽しめること、他のスクーターよりも格段に優れた加速性能を有すること、先進的なエアロダイナミックデザインと最新のハイテク装備を持たせることなど、ひとクラス上の性能と商品性を追求した。
 水冷4ストロークエンジンは、偏芯式タペット調整、強制空冷ベルコンなど、1983年に発売のスペイシー125ストライカーで評価された機構を踏襲。フロントのトレーリング式サスペンションには、制動時の沈み込みを低減するために、TLAD(トレーリングリンク&アンチダイブサスペンション)を装備。ウインカーの戻し忘れを防止するためのオートキャンセルウインカーも採用した。

ビッグスクーターの先鞭をつけた国内初の250ccスクーター スペイシー250フリーウェイ

ビッグスクーターの先鞭をつけた国内初の250ccスクーター スペイシー250フリーウェイ

スペイシー250フリーウェイ 走行動画

 その先進性と走行性能で好評を博したフリーウェイは、発売後2年間で約16,000台を販売。このフリーウェイを下地にクルーザー要素を取り入れ、長距離走行とタンデム性を追求し、投入したのが、1986年に上市されたフュージョンである。
 スクーターの基本は「乗り心地」との認識に立ち、振動と騒音の低減・疲労感の軽減・走行性能の向上などに注力、さらにボディーマウントのウインドスクリーン・アメリカンスタイルのライディングポジション・足着き性の良い厚手の大型シートなどを採用。
 またスクーターでは当時最大のホイールベース1,625mm・シート高665mmという、ロー&ロングのプロポーションも大きな特徴だった。フュージョンは1997年に国内の生産・販売を終えたが、当時のストリートカルチャーの中でその独創的なスタイルが再評価され、2003年から2007年に再発売。累計で10万台以上を販売した。

フリーウェイからより長距離走行性とタンデム性を進化させたフュージョン

フリーウェイからより長距離走行性とタンデム性を進化させたフュージョン

フュージョン 走行動画

 ホンダがフリーウエイやフュージョンでビッグスクーターというジャンルを築いた後の1995年に、ヤマハ発動機からラグジュアリーで大柄の車体に大容量ラゲッジスペースを持ったマジェスティが登場し、翌年には国内軽二輪車クラスの登録台数トップとなる。これに対抗するため、ホンダはフォーサイトを1997年に上市した。開発キーワードは「Comfortable City-Runabout」であり、都市部における取り回し性の良さや機動性と、長距離クルージングにおける快適な乗り心地を融合させたものだった。

都市部での取り回し・機動性・長距離クルージングでの快適性を追求したフォーサイト

都市部での取り回し・機動性・長距離クルージングでの快適性を追求したフォーサイト

 また、スズキから1998年にスカイウエイブが発売されたことで、いよいよビッグスクーターブームの到来である。ホンダのビッグスクーターの方向性は2000年に上市したフォルツァでさらにアップデートされ、2004年に全面改良した2代目ではエンジンにPGM-FI(電子制御燃料噴射装置)を搭載し、Vマチック(無断変速式)を組み合わせた。シート下には容量62Lの収納スペースを持ち、Hondaスマートカードキーシステムを二輪車として初めて標準装備するなど、高い商品性を実現。その結果フォルツァは、2004年5月から2007年5月まで37カ月連続で、国内軽二輪車の届出台数トップ*1の座に就いたのである。

*1: ホンダ調べ

容量62Lの収納スペース、二輪車としては初めてスマートカードキーを標準装備するなど、高い商品性で国内軽二輪車トップの座に就いた2代目フォルツァ

容量62Lの収納スペース、二輪車としては初めてスマートカードキーを標準装備するなど、高い商品性で国内軽二輪車トップの座に就いた2代目フォルツァ

 日本国内のビッグスクーターブームは欧州にも影響を与え、特に大容量のメットインといったユーティリティー機能が評価された。ホンダは欧州市場も意識したシルバーウイング600/400を2001年に上市。電子制御燃料噴射のDOHC2気筒エンジンには、点火時期と燃料噴射量を変更させ、登坂路で力強い走りを実現するTモードを採用(当初はシルバーウイング400のみ)。エアプロテクション効果に優れたボディーフォルムと、フルフェイスヘルメット2個を収納できる容量55Lのラゲッジボックス、インストルメントパネル左右に設けた使い勝手の良い収納スペース、視認性に優れた大型5連メーターなどの豪華装備仕様としていた。

欧州市場も意識し開発されたシルバーウイング

欧州市場も意識し開発されたシルバーウイング