Monkey Stories
レーシングスピリットにあふれた
異色のモンキー
1987年3月、モンキーの仲間にレーシングマシンを彷彿させるスタイリングの一機が加わりました。車名にはRacingのRが採用され、モンキーRと呼ばれました。
モンキーの仲間と言っても、アウトドアで楽しむレジャーモデルではなく、サーキットを軽快に駆け抜けるレーシングマシンのイメージを具現化したロードスポーツモデルです。
フレームはスーパースポーツモデルで定評のツインチューブを採用するなど、全てが新規設計と言える徹底ぶりでした。
また通常のモンキーと同じ空冷4ストローク・OHC単気筒エンジンでありながらも、最高出力は通常のモンキーが3.1PSであるのに対して、4.5PSとするなど、エンジンもR仕様としたのです。
モンキーRの専用仕様は多岐に及びます。フロントには本格的なテレスコピックサスペンションを、リアにはスイングアーム式のモノショックサスペンションを装備。前後のホイールは、コムスターホイールとキャストホイールの利点を取り入れたコムキャストホイールを採用し、チューブレスタイヤを組み合わせました。そして、モンキーシリーズ初となるフロントディスクブレーキも装備しました。
スタイリングは、小さいながらもボリュームとスピード感がある、モンキーR独特の可愛らしいものになりました。ライディングポジションは、低い位置に設定したハンドルやバックステップなどスポーツ走行に対応するものでした。
レジャー用バイクであるモンキーになぜR仕様のモデルが誕生したのか、その背景には当時のロードレースでのHondaの活躍に対する盛り上がりがありました。
Hondaは1979年にロードレース世界選手権に復帰して以来、エンジンやフレーム開発の紆余曲折を経て1983年にようやくフレディ・スペンサー選手がHonda初の500ccクラスのライダーチャンピオンに輝きました。またフレディ・スペンサー選手は1985年にWGPの500ccと250ccのダブルチャンピオンに輝くなど、圧倒的な人気を誇りました。
また、鈴鹿8時間耐久レースにWGPライダーが多く出場するようになり大観衆が集まるなど、日本におけるロードレースの人気が高まりを極めたのです。その人気に呼応するようにHondaはレースで培った技術を反映した多様な市販車を開発したのでした。
なおモンキーRの発売から半年後の1987年9月にはNSR50が発売されました。これは2ストローク単気筒50ccエンジンを搭載したロードスポーツモデルで、HondaのワークスマシンNSR500の1/3サイズで開発されたものです。小さいながらも本格的な装備とスタイリングで、たちまち大人気となりました。
モンキーRの関連モデル
1988年、モンキーRTがタイプ追加されました。アップハンドルや未舗装路にも対応したニューパターンのタイヤ、そしてリアキャリアを装備するなどツーリング用途に対応したモデルでした。
モンキーRTをベースにした輸出専用モデルとしてZB50がアメリカなど一部の国で販売されました。
変速は、モンキーRTのマニュアルトランスミッションではなく、自動遠心クラッチによる3速仕様でした。