Gold Wing Stories

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1975ゴールドウイング(GL1000)

フラッグシップの高速ツアラーとして開発された
初代ゴールドウイング

フラッグシップの高速ツアラーとして開発された初代ゴールドウイング

今では長距離ツアラーとして揺るぎない存在感をもつゴールドウイング。しかし、初代ゴールドウイング(GL1000)は、高いスポーツ性能と高速ツアラーという性格を持ち合わせていました。開発の背景には、米国における大排気量ロードスポーツモデルの人気の高まりがありました。

アメリカをメイン市場としてHondaが開発したCB750 FOURは、1969年に発売されると同時に高い支持を得ました。アメリカをはじめ、日本と欧州でもヒット商品になりました。

しかしその高い人気は、数年後には他社から競合モデルが相次いで発売され、優位性が低下してきました。そのため、CB750 FOURを超えるフラッグシップモデルの開発が急ピッチで進められることになりました。
開発チームが導き出したフラッグシップとは、既成概念を超えるモーターサイクルの新たな可能性を開拓する事でした。そしてどのようなモーターサイクルよりも優れた壮大なマシンでした。

こうして世に送り出されたのが、初代ゴールドウイング(GL1000)です。水冷・4ストローク・OHC・水平対向4気筒1000ccという、二輪車では独創的なエンジンを搭載。重心位置を低くするために、燃料タンクはシート下に配置。通常のタンク部には、電装関係などを収納するユニークな車体構成にしたのです。

GL1000のクレイモデル(本田技術研究所)
ダミータンク部には電装関係などが収まる

GL1000のクレイモデル(本田技術研究所)

ダミータンク部には電装関係などが収まる

Hondaはこのゴールドウイング(GL1000)を1974年9月にラスベガスで開催された全米ディーラーショーで初公開しました。そしてドイツのケルン、フランスのパリでも公開すると二輪車業界に大きな衝撃を与えたのです。

1974年12月、埼玉製作所和光工場でエンジンがラインオフ(ラインの工程をすべて終えて完成すること)し、狭山工場で完成車の量産がスタートしました。そして1975年にアメリカで待望の販売に至りました。

1974年12月 GL1000のエンジンラインオフ式典(埼玉製作所和光工場)

1974年12月 GL1000のエンジンラインオフ式典(埼玉製作所和光工場)

GL1000は、ハイパフォーマンスマシンとして、雄大なアメリカの地を爽快に走るツアラーの頂点を目指しましたが、アメリカでの使い方は徐々に変化していきました。

タンデムで長距離ツーリングを楽しめるようカウリングを装着するなど、自分好みのGL1000に変えていく姿が見られるようになりました。

ハイパフォーマンスの高速ツアラーとして登場した初代ゴールドウイング(GL1000)は、こうしてアメリカのライダーたちの志向により、タンデムで長距離を楽しむグランドツアラーとしての歴史を歩み始めることになります。

GL1000の透視図
歴代ゴールドウイング(手前がGL1000)長距離ツアラーへの道を歩んだことが分かる(ホンダコレクションホールにて)

GL1000の透視図

歴代ゴールドウイング(手前がGL1000)長距離ツアラーへの道を歩んだことが分かる(ホンダコレクションホールにて)

アメリカで活用された1975年制作のGL1000のカタログ
アメリカで活用された1975年制作のGL1000のカタログ
アメリカで活用された1975年制作のGL1000のカタログ
アメリカで活用された1975年制作のGL1000のカタログ

アメリカで活用された1975年制作のGL1000のカタログ