世の中にない革新的な10年先取りした耕うん機を
「田畑を真っ赤に埋めるホンダ旋風」とまで言われた、革新的な耕うん機であったF150
1950年代半ば、急激な高度経済成長の担い手として、日本各地の農村では20代から30代の働き盛りの人々が都会へと流出。農作業の主体は女性や高齢者になっていた。このような状況下でホンダは、「女性や高齢者でも扱える」をコンセプトとした耕うん機の開発に取り組んだ。「世の中にない革新的なものをつくろう」「10年先取りしたものをつくろう」という考えのもと、ホンダ初の耕うん機F150を開発し、1959年に販売を開始した。
女性や高齢者が簡単・安全に扱えるようF150は車体のサイズや操作性・外装に至るまで従来の耕うん機とは一線を画すものとなった。当時の他社製品は車体サイズが大きいことに加え、基本的にカバーはなく(あっても簡単な曲げ、溶接を施しただけ)、プーリーやベルトなどの回転体はむきだしで、エンジンの始動もロープを巻きつけて引っ張るというものだった。それに対してF150は車体サイズを小型化し、操作系の手元への集中配置や、スーパーカブにも使われた遠心クラッチの採用によって容易な操作や操縦を実現。これまで経験値が必要だったエンジンの始動は手元のレバー操作だけで可能とし、振動に対してもハンドル取り付け部分にショックアブソーバーを装備することで軽減を図った。また、エンジンと可動部分を一体化し機械部分をカバーで覆ったことで安全性の向上に寄与しただけでなく、スマートな印象のボディーを実現。これまでの耕うん機のイメージを覆し、農作業のイメージを一新した。
また、エンジンを倒立に配置することで低重心化を実現。この倒立エンジンは、同時に冷却風の取り入れ口が上部に位置するため、水田作業に強いという副産物をもたらし、アメリカ製の小型軽量のけん引型耕うん機と、日本の水田耕うんに適した重量級の駆動型ロータリー耕うん機の両方の作業を可能とする、兼用型耕うん機が誕生した。さらに、自動車が普及していなかった当時の日本では、トラック代わりのけん引車としても使用可能な利便性の高さも大きな特徴であった。
F150は発売と同時に爆発的な販売台数を記録。当時の耕うん機市場の規模が年間数千台程度の中、F150は年間2万台を販売。製作に当たった浜松製作所には、トラックで乗りつけ、完成したばかりのF150を引き取っていく販売店が相次ぐなど、その人気ぶりは「田畑を真っ赤に埋めるホンダ旋風」と言われるほどだった。その後も改良を重ねF190、F80へと進化しながら、13年間の長きにわたって販売され、労働力不足に悩んでいた農家の人々にとって、労働環境を一変させた革新的な農業機械となった。
耕うん機の本場フランスへ
F150の後継機種F190が軌道に乗った1961年、より小型のけん引型耕うん機F60の販売を開始。F60は、F150がホンダ初の兼用型耕うん機だったのに対し、より堅牢で使いやすい機種を目指して開発された。部品点数削減によるコストダウンも図っており、専用エンジンを採用したホンダの第1世代耕うん機の中で「本当の傑作」と呼べる商品に仕上がった。
エンジンはスーパーカブを踏襲したOHVタイプで、シリンダーおよびヘッドはアルミ製ではなく鋳鉄製を採用。軽量化は大切であるが、耐久性も耕うん機としては重要であるためだ。出力もF150開発の経験を生かし、馬力よりトルクを重視して81.4ccで4.0PS/6,000rpm(スーパーカブは50ccで4.5PS/9,500rpmの高回転型エンジン)に抑えた。
当時の耕うん機の本場、欧州進出を図り、ホンダは1963年3月、29カ国が参加したパリ国際農機具サロンにF60とF190を出展。狭い土地で活躍する機動力やクロームメッキ仕上げで質感の高い回転式ハンドル、夜間用ヘッドライトの採用、優れたデザイン性などが高く評価されて、ホンダの販売代理店になりたいという申し込みが殺到。フランス市場進出の足掛かりとなった。
家庭菜園向け市場を開拓
1970年代になると農家からの要望は多様化し、耕作面積や作業内容に応じた耕うん機が求められるようになっていった。ホンダは万能機F190に加え、小型軽量で耕作作業に特化した安価で堅牢なF60、耕作能力を大幅に高めホンダ初の空冷ディーゼルエンジンを搭載した9馬力の大型機F90、重量がわずか37kgでコンパクトなボディーに折り畳み式ハンドルの装備や、脱着可能なエンジンによりポンプや脱穀機の動力としても使用可能なポータブル型のF25など、幅広いバリエーションで農家の要望に応えていく。
F90
F25
1970年代後半、日本は石油危機(オイルショック)から立ち直り、世の中にはゆとりを求める兆しが見られ、都市部では趣味として耕作放棄地などを使用した小さな家庭菜園が人気を集め始めていた。すでにフランスをはじめとする欧州市場では家庭菜園向け小型耕うん機のニーズが見えていたこともあり、こうした農業構造の変化に呼応する形で、ホンダは「アマチュア・ホビーガーデン用の入門機」というコンセプトの小型耕うん機に挑戦。スコップやクワからの移行者を対象とした新規ユーザーの獲得を目指した。
この開発に当たり、海外に市場を求めて先行調査を実施。まず農業大国であるフランスから開始し、欧州各地からアメリカへと調査範囲を広げていった。フランスは、ホンダにとって耕うん機ビジネスなどで関わりも深く、情報の収集には事欠かない。販売店を訪問して、特に小型商品を対象とした市場の状況を調査し、パリの農業ショーでは、バーチカルエンジンに関しての貴重なヒントを得られたが、小型耕うん機の市場における可能性に確信を持てたのは、アメリカでのことだった。
アメリカ東部では、花壇を耕すために小型耕うん機の市場が存在することを確認。しかし、芝刈機と除雪機が汎用(パワープロダクツ)製品市場の主流であり、小型耕うん機は、どの販売店でも片隅に置かれている程度で、ほとんど着目されていない状況であることが分かった。その中で市場に受け入れられる小型耕うん機としてホンダの出した答えは、ホビー用の入門機でありながら、本格的な農作業にも十分に使用できる能力を持たせることだった。
二輪車・四輪車の最新生産技術を活用して
小型軽量化に成功
小さくても、本格的に使用できる小型耕うん機。その実現には従来の耕うん機の基本構造を小さくしただけでは、家庭菜園向けとして受け入れられるはずもなかった。そこで形態そのものの基本を、家庭用品的なイメージにしなくてはならないという結論に至り、最終的な基本構造は、バーチカル機構を用いてエンジンの下にミッションとロータータインを構成するタテ型に決定した。全体的には大型耕うん機にはない、かわいらしいコンパクトなスタイリングを目指すこととなった。
そのためには従来のエンジンとトランスミッションをベルトでつなぐ減速機構は使えない。そこで遊星ギアに着目したが、その精度の問題が壁となっていた。精度を高めると、どうしてもコストが上がってしまう。しかし、二輪車の研究所ではロードパルの派生機種に遊星ギアを採用しやはり同じ問題を抱えていたが、その解決策として、ギアをコストの上がる工作機械で削り出すのではなく、プレスで打ち抜く方法をすでに編み出していた。また、車軸(タイン軸)の逆回しを可能にするベベルギアについても四輪車部門の精密鍛造技術を用いたり、二輪車のブレーキシステムをクラッチ機構に応用したりするなど、二輪車や四輪車の新技術を各所に活用して新機構の成立を図った。
本体のデザインにも力を入れた。エンジンのカバーには鉄板の代わりに樹脂を採用。色も赤と白のコントラストを強調して、二輪車や四輪車と並んでも見劣りのしないものを目指した。耕うん機に付き物のアタッチメントについても、従来のものとは異なった仕様に。別売りが一般的であった作業部分を標準装備した、完結商品としたのである。この小型耕うん機のユーザーはアマチュアであること、そして、作業は単機能(土を掘り起こすだけ)の商品要件を満たすためのものであり、面倒なアタッチメント管理の問題も、これで解決した。
こうして完成したこまめF200の重量はわずか25.5kg。持ち運びも容易で、折り畳み式のハンドルの採用で車のトランクへの収納も可能とした。使い勝手についても、引き荷重の軽いリコイルスターターでエンジンを始動してレバーを握るだけの簡単操作を実現。かわいらしい見た目とは異なり、ホンダが蓄積した耕うん機のノウハウを注ぎ込んだ、本格的な農作業ができる小型耕うん機であった。
予想をはるかに上回る快調な売れ行き
新しいジャンルの商品だけに市場性には確信が持てなかった。開発後期に日本国内で現地適合性テストや市場調査を行ったとき、「日本には耕うん機を使うような家庭菜園もなければ、こんな小さな耕うん機を使う農家もいない」という声が、四方八方から浴びせられた。当時の大多数の感覚としては、耕うん機はあくまでも農業機械としてのものがすべてであって、家庭菜園向けとしての市場は、まだ念頭になかったのである。1980年3月、小型耕うん機こまめF200の販売を開始。とはいえ国内販売は試験販売という形でのスタートだった。当時の新商品の販売目標は、どれも数万台という時代に、当初はたった2,000台という控えめな設定であった。
ところが、いざ発売してみると、こまめはターゲットである家庭菜園向けを差し置いて一般農家向けに売れ出した。農地に限らず草取りに使ったり、農家の裏で、おばあさんが小さな畑を耕したりするなど、4月、5月と、ものすごい勢いで売れ出したのである。6月ごろ、あまりの売れ行きに販売店調査を行ったが、販売店も「なんで売れているのか、ちっとも分からない」という状況だった。その後「こまめ」というネーミングも、かわいくて訴求に効果的であったことに加えて、2年目に展開したTVコマーシャルや、国内営業の「土・日農業で売り出そう」という企画も当たって、当初のターゲットである家庭菜園向けの販売も次第に伸びていった。パリの農業ショーでも発表されて好評を博し、発売初年度に国内・輸出合わせて4万台近くの販売台数を記録。ピーク時には国内のみで年間販売台数5万台というベストセラー商品に成長したのである。
大型機が入れない山あいの畑、果樹園用などの作業に最適で、手軽にパッと持ち出してサッと使えるところが受け入れられた。そして何よりも開発時に最も重点を置いたコンセプト通りに、見かけ以上に本格的な作業ができることが人気の核心であった。重心が作業部分の上に乗っており、回転も速い。そのため非常に効率が良く、耕した後にすぐ種をまけるといったところに、こまめの真価が発揮された。
家庭菜園にも適したホビー用耕うん機という新たな需要を掘り起こしたこまめF200は、その後登場した他メーカーの小型耕うん機が「○○のこまめ」と呼ばれるほど小型耕うん機の代名詞にもなった。2001年には3代目のこまめF220が販売され、2016年には4代目にモデルチェンジ。国内だけでも累計販売台数50万台(2020年2月)を超える大ヒット作となった。
多彩な小型耕うん機をラインアップ
こまめF200によって創出されたホビー用の市場は、その後、他社の追随もあり活性化。「より小型軽量で安価な耕うん機」や「高級機ながらもっと簡単に耕せる耕うん機」などニーズが多様化した。1993年にホンダは、こまめよりも小型軽量の入門機ミニこまめF110の販売を開始。そのコンセプトは、2002年発売のプチなFG201に受け継がれている。1998年にはパワフルな135cc・160ccエンジンを搭載した、スーパーパンチFG400・FG500を投入。より優れた作業効率をもたらした。
2003年には、ロータリー(回転する耕作部分)を車体前方に配置することで、優れた直進安定性を実現した上級機種のサ・ラ・ダFF300の販売を開始。ホンダ独自のARS*を採用することで、一定の深さで安定した耕うん作業が可能となった。取り扱いに力やコツを必要としない画期的な耕うん機として、アマチュアや農家から高く評価されている。
- :Active Rotary System(アクティブ・ロータリー・システム〈同軸同時性逆転ロータリー〉)
入門機ミニこまめF110
ロータリーを車体前方に配置したサ・ラ・ダFF300
農機専業メーカーにはない独創性
耕うん機が広く普及した1970年代以降、日本の農業は大きな転換期を迎えた。当時、日本は高度経済成長によって農業国から工業国へ変換。農業人口は大きく減少し、農業の形態も家族単位の小規模な農業から、大型機械による大規模農業が主流となった。これに伴って農機具も専門性の高い大型機に移行していった。
歩行型耕うん機・管理機の開発が一段落した1980年、宿願だった乗用機種に挑戦することになった。しかし、大手農機メーカーはすでに乗用トラクターシリーズをそろえており、乗用機種に経験のないホンダが同じような商品で参入するのはリスクが大きいと考えられた。そこで、一般の乗用トラクターではなく、歩行型管理機での作業を、乗ったままで楽にできる安くて便利な商品、というコンセプトで乗用管理機の開発がスタートした。
管理作業に要求される主な条件は、耕うん後の作業で土を荒らさないこと、小回りできること、植えてある作物の生育を阻害しないよう土を踏み固めないことなどである。このため、現行トラクターの半分ほどの軽さと、旋回時に不要な土寄せをせずに小回りできる技術手法の確立という、高いハードルを越える必要があった。
まず、軽量化のため限界まで軽くしたフレームに、軽量で、11馬力と当時最も高出力の空冷OHVガソリンエンジンを搭載し、油圧ポンプもミッション内蔵とした。足まわりをフルタイム四輪駆動として、軽量でありながらもロータリー性能を確保すると同時に、四輪操舵方式を採用して土寄せのない旋回を可能とした。
1985年に販売を開始したマイティ11は、畑の管理作業から、水田耕うん・代かき(田んぼの土をかき混ぜて表面を平らにする)作業まで、多目的な作業が機敏にできる乗用管理機として好評を博した。
マイティ11の発売後、農機業界への本格参入とホンダ農機店の確立のためには、トラクター商品ラインアップが不可欠であると考え、長年待ち望まれた本格ディーゼルトラクターの開発に着手。1989年、スタイリッシュなデザインの本格ディーゼルトラクターTX20を発売した。
こまめ以来のヒット商品
トップメーカーに対抗する総合農機メーカーを目指してトラクター市場に参入したものの、既存大手メーカーとの競争は厳しく、日本のバブルが崩壊したことも背景にホンダは独自の小型商品に注力していく。
1990年前後に、こまめの使いやすさをベースに、リアタイン構造と組み合わせて、軽量・コンパクトで手軽に使える小型耕うん機の検討が進められていた。それを具現化した商品・ラッキーFU650を1993年に発売。低重心・シンプル操作で、高齢者や女性、初心者でもより簡単に安心して使いこなせる抜群の取り扱い性を実現した。それを可能にしたのが、世界初の同軸同時正逆転ロータリーである。ロータリーの回転軸が同軸上で、内側が正回転、外側が逆回転することによって耕うん反力を軸上で相殺し、土壌の硬さや耕うん深さが変化しても、常に安定した耕うんを可能にするホンダ独自の新機構であった。この機構は、アクティブロータリーシステム「ARS」と命名された。
ラッキーFU650は、ホンダの農業機械としてはこまめ以来10数年ぶりのヒット商品となるとともに、競合他社に対しても強いインパクトを与えた。当初は日本国内だけの販売だったが、その後、欧州・北米へも輸出し、グローバル商品となっていった。
耕す楽しさを、より身近に
生活を楽しむために土と触れ合う、家庭菜園やガーデニング人口の増加に伴い、耕す性能に加え「燃料の取り扱いのしやすさ」「耕うん機本体の保管・運搬のしやすさ」「周囲環境への配慮」などが求められるようになってきた。そうした新たなニーズに応える、身近な汎用製品を検討していく中で、使用燃料として一般家庭に普及しているカセットコンロ用のブタンガスに着目。ガソリンよりも購入・使用・保管が容易な家庭用カセットガスを燃料とした耕うん機ピアンタFV200を開発し、2009年に販売を開始した。
ピアンタFV200は、指定のカセットボンベを専用のケースに入れて、本体へのワンタッチ着脱が可能な構造。エンジンはガソリンタイプのプチなFG201をベースに開発した。配管内の圧力が異常に上がるとエンジンを停止する圧力探知弁や、エンジン停止時には自動で燃料供給を遮断するシャットオフバルブなど独自の安全機構を装備。また、種まきなど耕うん機が使われることが多い時期の外気温を考慮して、排出ガスの熱を利用してガス燃料を効率よく気化させるベーパライザなどの新機能を搭載した。さらに、簡便な移動が可能な手押し用車輪と、自動車のトランクへの積載や室内に置くことが可能な専用のスタンドとキャリーボックスを標準装備。ホビー用に求められるカンタン燃料・カンタン移動・カンタン収納を実現した。
ピアンタFV200は、購入者の実に9割が初めて耕うん機を購入するお客様であり、さらに新たな需要を掘り起こすことに成功した。
2022年に発売したサ・ラ・ダFF500では、セルフスターターとオートチョークシステムを搭載し、ワンプッシュで簡単にエンジン始動を可能にするなど使いやすさを追求。農機専業メーカーではない、ホンダだからこそできる柔軟な発想と技術力によって、ホンダの耕うん機は「土を耕す楽しさ」をより多くの人に届けるために進化を続けている。
家庭用カセットガスを燃料としたピアンタFV200は、購入者の9割が初めて耕うん機を買うといった、新たな需要を掘り起こすことに成功した