M・M思想を突き詰めたスモールカーをつくれ
クルマのユーザーが、より快適に移動したいと願うのは当然のことだろう。自動車社会の成熟とともに人々はより大きく力強いクルマを望み、自動車メーカーはその声に応えていった*1。ホンダにおいても、6代目シビックの中で最もコンパクトな3ドアモデルの全長が初代アコードを超えていた*2。四輪事業を軽自動車からスタートし、初代シビックというスモールカーで世界に認められたホンダだったが、1990年代終わりには、ホンダにおけるスモールカーのラインアップは著しく減少していた。
しかし水面下では、シビックやロゴ*3に代わるホンダのエントリーカーとして、欧州Bセグメント*4に該当するグローバルスモールカーの企画が進められていた。
当時、先進国では地球温暖化への対応が本格化し、温室効果ガスであるCO2削減へ向けた具体策の検討が進められていた。1995年には、欧州委員会*5によって企業別平均CO2排出量に関する基準が提案され、欧州初となるCAFE(企業平均燃費)*6基準策定へと議論が進んでいた。CAFEでは、自動車メーカーごとに1年間に販売した全車の平均値が問われる。燃費の良いスモールカーの販売を拡大することは、アコードやCR-Vといったミドルクラスモデルの販売を支援することでもあった。グローバルスモールは、ホンダのエントリーカーであると同時に、環境の時代の世界戦略車という重要な使命のもとで企画されていたのだ。そして、社長(当時)の川本信彦から檄が飛ぶ。
「スペース効率に優れたFF車のパイオニアであるホンダとして、M・M思想を突き詰めたスモールカーをつくれ」(川本)
- :日本における乗用車の排気量別保有状況は、1990年度から2006年度までに、排気量2,000cc以上のクルマの占める割合が8%から22%へ増加。一方で、軽自動車の増加も著しく、全体に占める割合は8%(1990年度)から27%(2006年度)へと増加(平成19年度国土交通白書)
- :1995年発売の6代目シビック(3ドア)の全長は4,180mm、1976年発売の初代アコード・ハッチバック CVCC(3ドア SL)の全長は4,105mm
- :1996年から2001年まで販売したハッチバックスタイルの小型乗用車
- :欧州セグメントは自動車を分類する際の概念のひとつ。1999年に欧州共同体(EC)が発行した文書「Case No COMP、M.1406 - HYUNDAI、KIA REGULATION (EEC) No 4064、89 MERGER PROCEDURE」で、「エンジンサイズや全長など多くの客観的基準により市場を細分化することは可能」とし、「欧州(EC)委員会が以前に使用した最も細かい区分」として9つのセグメントが示された
A mini cars
B small cars
C medium cars
D large cars
E executive cars
F luxury cars
S sport coupés
M multi purpose cars
J sport utility cars(including off-road vehicles) - :欧州連合(EU)の執行機関。European Commission
- :Corporate Average Fuel Efficiency
世界一のスモールカーをつくる
シャシー設計を経て、初代CR-V(1995年発売)の開発責任者(以下、LPL)代行を務めた松本宜之が、基礎的研究(以下、R研究)を終えたグローバルスモールの量産開発(以下、D開発)を命じられたのは1997年10月のことであった。「スモール」と聞いて、製品パッケージとしてのコスト低減ばかりを求められる開発になるのだろうかとの不安が頭をよぎったという。
しばらくして手渡されたファイルには、機種企画の前段階で行われた会議の記録が収められており、その中で、本格的な環境の時代においてスモールカーがどれほど重要となるかが、強い危機感とともにまとめられていた。
グローバルスモールは、「World Basic」をコンセプトとし、環境の時代を先駆けるクルマとして企画され、自動車メーカーが社会的責任を果たす姿としてR研究で練られてきた。そのことに、松本の心は強烈に動かされた。
「世界一を目指す。ホンダが持てる最新技術を駆使して、世界にあまたあるスモールカーを全部まとめて圧倒できるような機能と価値、言うなれば『唯一無二の価値』を実現したいと思いました。そして、ホンダが得意だったはずのスモール領域で再び一番になる」(松本)
突き付けられた現実
LPLに就いた松本は、先行開発チームが発足すると、スモールカーの本場である欧州に飛んだ。イギリス、フランス、ドイツなど5カ国から6力国を訪ね、人々がどのようにスモールカーを使い、スモールカーに何を求めているかを学びながら、驚くような光景を何度も目の当たりにした。
日本では、スモールカーの後席に3人掛けすることはめったにないが、イタリアの若者はぎゅうぎゅう詰めで食事に出掛けていく。週末のドイツでは、ショッピングカート数台分の商品を荷室いっぱいに詰め込み、フランスでは書棚やソファを当たり前のようにスモールカーに積み込んでいた。走行性能でいえば、イギリスのワインディングで、高齢の方が運転する古いスモールカーの速さに、どうしても追い付けなかった。荷室への要望も走りへの要求も、チームの想像を超えていた。
「タフな市場で傑出した存在となるためには、欧州車のまねをしていてはダメだということに早くから気付いていました。欧州車に追い付き追い越せという考え方から離れて、日本のホンダにしかできないことを突き詰める。たとえそれが欧州の人々の価値観とずれていたとしても、そこから、世界に通じる『唯一無二の価値』が生まれてくると信じていたからです」(松本)
現物の説得力
一方、商品企画部門から面白い提案が上がっていた。リアシートを畳んで収納し、広大なラゲッジスペースをつくり出そうというアイデアである。当時、リアシートが収納できるスモールカーは珍しくなかったが、操作が複雑なうえ、ようやく収納しても荷室の床が高くなってしまう。荷室容量は減り、積み降ろしはやりにくくなり、とても使いやすい機構とはいえなかった。ところが商品企画部門の提案には、燃料タンクを、「定位置」であるリアシート下からリアタイヤの間に後退させることで、リアシートを低く収めるアイデアが盛り込まれていた。背もたれを畳むと同時に座面を前方にスライドさせ、背もたれの背面を荷室の床とフラットになるよう潜り込ませるダイブダウン機構である。
提案を基に、D開発に先立って製作されたインテリアのモックアップは、まさに有無を言わさぬ力を持っていた。リアシートをダイブダウンすれば、簡単に広大な空間が現れる。座面をチップアップすれば、観葉植物まで積めるほど高さのある空間が生まれる。「広さ」を変幻自在に使える価値ある室内空間がそこにあった。
まだ、あくまでもインテリアを検討するためのモックアップである。アイデアは素晴らしくても量産車として成立させられる裏付けはどこにもない。だが、その場に居合わせた誰もが同じシーンを思い描いていた。このクルマを使うお客様の喜ぶ姿だ。小さいクルマだからといって何かを我慢することもなく、小さいクルマならではの扱いやすさと機動力で、毎日を楽しく自由に謳歌する生き方だ。
百の言葉より、1つの現物が持つ説得力は強い。インテリアの担当者はもとより、エンジン担当者やシャシー担当者までが同じことを考え始めていた。
このアイデアを実現するために、自分にできることは何だろう。
常識を超える
課題は燃料タンクの設置場所にあった。当時はほとんどのクルマが荷室床下にスペアタイヤを搭載しており、モックアップ通りにリアタイヤの間に燃料タンクを移した場合、スペアタイヤを他の場所に移さなければならない。また、リアディファレンシャルギアのスペースが確保できず4WD車をつくることもできない。
初代フィットのLPL代行を務めた郷田末雄の記憶は鮮明だ。
「松本さんが床に図面を広げ鉛筆で真っ黒にしていたのをよく覚えています」(郷田)
当初はスペアタイヤをフロントシート下に移設する案も検討されたが、それにはスペースが足りなかったという。シャシー設計の基本プロセスにのっとって考えれば考えるほど燃料タンクは居場所を失い、解決の糸口さえ見いだせないまま1997年が暮れていった。
年明け初日、松本はシャシー設計の開発責任者(PL)奥康徳とともに、レイアウトの検討を再開した。鉛筆で書いては消しを繰り返した5分の1レイアウト図はすっかり黒ずんでいたが、1カ所だけ白く浮かんで見えるところがあった。フロントシートの下である。スペアタイヤを置くほどのスペースはないが、燃料タンクならなんとか入りそうだ。タンクの絵を描き入れざっくりと容量を計算してみると、目標の40Lをどうにか確保できる。「やってみよう」と決めたのは、1998年1月6日午後10時のことである。
社内の反応は散々なものであった。コストを始めとするさまざまなデータを突き付けられ、考え直すよう何度も説得された。だが、革新的な価値を生み出すにはこれしかない。松本は、不安を覚え始めたチームメンバーに対し、「初めからできないことを前提にするのではなく、つくり上げるつもりで考えてくれ」と、背中を押した。
最大の危機は最初の評価会で訪れた。パッケージやシートアレンジ・デザインを自信満々に説明したが、評価委員の関心は燃費とコストに集中していた。「こんなに大きくして燃費が出るのか」、「センタータンクとかいうが、いったいいくらかかると思っているんだ」、そして最後には、「こんなひどいチーム、見たことないぞ」とまで言われてしまった。
燃費が重要であることはチームも理解していたが、それだけでは技術の優秀さを証明するに過ぎない。チームは、製品としての革新を、クルマとしての世界一を目指して進んできたのだ。しかし、その思いは簡単には伝わらなかった。
そんな中、別の評価会での意見が流れを大きく変えることになる。いつものように「あり得ない」と言わんばかりの厳しい指摘が続く中で、「構造を変えるくらいのことをやらなければ世界には勝てない。コストばかり攻めても、ホンダらしい商品は生まれないだろう」という意見が、その場を静まらせた。発言の主は、評価を通せば評価委員として最も苦労するであろう燃料タンク出身の先輩技術者であった。
センタータンクレイアウト構造図
センタータンクレイアウト構造図
革新に挑む
エクステリアデザインは和光研究所(以下、HGW)とホンダR&Dヨーロッパ(HRE)でアイデアを出し合ったが、いずれも甲乙付けがたく、コンペ形式の検討会が何度も繰り返された。最終的に日本的なオリジナリティーが評価され、HGW案に決定した。デザイナーは、世界戦略車であっても「これぞ日本、これぞホンダ」というデザインを目指せば、必ず受け入れられると考えていたという。
クルマの基本骨格もエンジンもすべて新規開発であったことが、デザインの具現化を後押しした。シャシー領域では、リアサスペンションをH型トーションビーム式とし、ダンパーとスプリングを別体配置することで、スペアタイヤを従来通りの位置に収めながら低くフラットな荷室を実現した。コンパクトな新エンジンi-DSI*7と、前面衝突の衝撃を短いストロークで吸収するアーチ型サイドフレームは、エクステリアデザインが狙いとする超ショートノーズのワンモーションフォルムを可能にした。デザインと技術が同時進行する中で、技術はデザインに歩み寄り、デザインは技術に裏付けられ、洗練されたスタイリングに磨き上げられていったのだ。それは、チームの総力でつくり上げたデザインであり、日本の、ホンダにしかつくり得ない新しいスモールカーの姿であった。
ダイナミック性能の追求にも余念はなかった。シャシー領域では、「欧州のスモールカーを超えるダイナミック性能の実現」を目標に掲げ、センタータンクレイアウトの利点を最大限に生かすシャシーの開発に取り組んだ。燃料タンクを前方に移動させることで前後重量配分への影響が懸念されたが、新開発の軽量エンジンなどが功を奏し、FF車にとってほぼ理想といえる6対4の前後重量配分とすることができた。こうして、クルマを構成するすべてのピースがあるべき場所に収まっていったのである。
- :Dual&Sequential Ignition(2点位相差点火)
革新のスモールカー、フィット
基本仕様は固まったが、量産までの道のりは険しいものであった。当初は欧州をメインターゲットに3ドア車中心の計画で進んでいたが、市場動向を受けて5ドア車に一本化されたことで、チームは対応に奔走することとなった。
燃費は、より高い目標に引き上げられた。エンジンチームは当初、1.3Lクラスの6代目シビック(EL)が18.4km/L、ロゴ(B、L)が19.8km/Lであることから、目標を22.0km/L前後に置いていたが、市場やCAFEの動向に鑑みて目標を引き上げ、発売時には23.0km/L*8に到達させた。当時の純ガソリン車としては、市場に大きなインパクトを与える燃費性能である。
評価会で再三議論となったコストは、お取引先の協力によって成立させることができた。最初の説明会に100社ほどのお取引先を招き、プレゼンテーションの後で協力をお願いしたが、売れる保証のない新型車に手を上げるお取引先はなかった。2回目の説明会でも反応はない。いよいよ追い込まれた3回目、同じようにプレゼンテーションをした後、「今日は、今までと違います」と言って、1分の1モックアップのベールを外した。その瞬間、「これならいける」という雰囲気が会場に漂い、「協力したい」という申し出が届き始めたのである。
理想を追い求める中で開発者のアンテナの感度は高められ、それまで見落としていた何かに気が付く。それが正しいものであればおのずと周囲に人が集まり、それが人を引きつける夢のあるものであれば、多少の無理などものともせず、一人ひとりの力が合わさって現実のものとなる。完成したフィットは、常識を覆す広大な室内空間と機能性に加え、個性的なデザインと優れた燃費性能を兼ね備えた、まさに革新のスモールカーであった。
2001年6月に日本で発売されたフィットは、欧州、アジア大洋州・南米・中国・北米へと販売が拡大され、6年後の2007年6月には、世界累計販売200万台*9を達成する大ヒットモデルとなった。日本に限れば、発売から6年6カ月(78カ月目)で累計販売台数100万台を達成*10し、ホンダ最速記録(当時)をマークした。
- :FF(15インチアルミホイール装着車を除く) 、10・15モード走行燃料消費率(国土交通省審査値)
- :欧州地域、アジア大洋州地域での販売名称はジャズ
- :2007年12月に達成(2代目含む)
技術は、人のため
初代フィットに圧倒的なスペース効率をもたらしたセンタータンクレイアウトは、歴代フィットはもちろん、7人乗りコンパクトミニバンのモビリオ*11やグローバルSUVなどに展開され、多くの支持を集める源となった。
中でも、2011年12月に発売された軽自動車N-BOXは、2015年から2022年にかけて8年連続で軽四輪車新車販売台数第1位を獲得するベストセラー車となった。累計販売台数100万台は5年(60カ月目)*12で、200万台は9年5カ月(114カ月目)*13で達成し、フィットが持つ最速記録を塗り替えたほどである。
2013年12月に発売されたヴェゼルは、2014年から2016年にかけて3年連続で国内SUV新車販売台数第1位*14を獲得。2020年11月時点で世界累計384万台*15を販売する、ホンダの主要モデルに急成長した。
常識を覆し、課題を乗り越えて実現した技術は、色あせることなく進化を続け、多くのお客様に喜びをもたらしている。
センタータンクレイアウトの実現を左右したものは非常にシンプルだ。「思いつくか、つかないか」、そして、「実行するか、しないか」。シンプルだが、エンジニアに問われる資質そのものである。
「思いつく」ことは、ほとんどのエンジニアができるだろう。しかし本当の勝負は、困難を目の前にした時に、お客様に提供したい価値に立ち戻り、困難を覚悟のうえで「実行する」を選べるかどうかだ。「実行しない」を選ぶ理由はいくらでも探すことができる。しかし、お客様に提供したい価値があるならば、困難こそが技術の力で乗り越えるべき壁なのだ。
初代フィット開発の最前線でセンタータンクレイアウトに取り組んだ奥は言う。「画期的なセンタータンクレイアウトですが、燃料タンクをフロントシートの下に持ってくるという技術がお客様に支持されたわけでは決してないのだ、ということを忘れてはいけません。すべての出発点は、かつてないスモールカーの価値をお客様に提供したいという1点に尽きる。そして、それを実現するための手段の1つがセンタータンクレイアウトなのです」(奥)
LPLとして初代フィットをつくり上げた松本は振り返る。「無謀で高い志とともに、お客様や世の中にとっての価値をまっすぐに問い続けた結果、常識を覆すイノベーションを起こすことができた。ホンダのチャレンジの歴史を紡ぐことができた、と思っています」(松本)
- :2001年から2008年まで販売した7人乗りコンパクトミニバン
- :N-BOXシリーズ(N-BOX、N-BOX +、N-BOX SLASH)として2016年12月に達成
- :N-BOXシリーズ(N-BOX、N-BOX +、N-BOX SLASH)として2021年5月に達成
- :2014年、2015年、2016年、2019年暦年新車販売台数。一般社団法人 日本自動車販売協会連合会(自販連)調べ。自販連が区分するSUV(ジープ型の四輪駆動車でワゴンとバン・トラックを含む〈一部2WDを含む〉)の国産車
- :2020年11月時点のヴェゼルシリーズ(ヴェゼル、HR-V、XR-V)累計販売台数
2001年日本で発売され、2007年には世界累計販売200万台を達成したフィット
モビリオ
N-BOX
ヴェゼル