Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える

Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える

駐在で多くを学び、未来が見えた。フィリピンでの経験を糧にグローバルで貢献する社員

グローバルに事業を展開するHondaでは、海外で仕事をする駐在のチャンスがあります。駐在中は言語や文化の違いにより、さまざまな壁にぶつかるもの。しかし、その経験を糧として活躍する社員もたくさんいます。フィリピン駐在をした石堂が、これまで積み重ねてきたキャリアや海外経験を経て見えてきた今後の目標を語ります。

石堂 徳寿Norihisa Ishido

二輪・パワープロダクツ事業本部 ものづくり統括部 生産企画部 地域推進課

2005年新卒入社。熊本製作所で二輪車の生産移管プロジェクトやエンジン組み立てに携わる。2016年から5年間、フィリピンにあるHonda Philippines, Inc.に駐在。帰国後は現在の所属となってマネジメントを担う。

熊本製作所でエンジニア経験を積む

現在二輪の地域推進課でグループリーダーを務める石堂は、熊本製作所で長くキャリアを積んできた社員です。

石堂 「高校生のときにバイクを買ったんですが、友人の影響もあってすごく好きになったんです。スピードや重力を感じるところに惹かれて、好きなことを仕事にしたいと考えHondaに入社しました。

入社後は熊本製作所でエンジン組み立ての生産ラインに配属されましたが、その後浜松から熊本への二輪の生産移管プロジェクトがあり、そちらを担当することになったんです。設備の導入に関わらせてもらえたのは、勉強になりましたね。

それから熊本製作所に長く勤務し、再びエンジンの組み立てを担当したり、EV(電気自動車)の企画を所内のアイデアコンテストに応募したりしてチャレンジを続けました」

熊本で順調にキャリアを積み重ねていた石堂ですが、2016年4月に発生した熊本地震ではイレギュラーな対応に追われました。

石堂 「建物も生産設備もダメージを受けているところで、皆で復旧活動を行いました。人命を最優先に復旧を推進し、6月から生産ラインを再開できたんです。色々と大変な状況でしたが、皆の頑張りで早期の復旧できたことが嬉しかったです。

その後9月末にフィリピン駐在の話をもらい、バタバタしている状況のなか準備を進めました。周りの方にもサポートしてもらいましたね。実は入社当時はいずれ海外で働きたいと希望していましたが、目の前の業務に向き合っていたこともあり、駐在の話をもらってから当初の志を思い出したというのが正直なところでした(笑)」

フィリピンで二輪車の地産地消と現地モデル輸出で成長発展を目指す

石堂は駐在がはじまる前に1カ月間フィリピンに出張する機会を得ました。それをきっかけに駐在に対する自分自身のイメージが変わったと振り返ります。

石堂 「それまではエンジン組み立てのスタッフという立場だったので、技術や設備など、特定領域を担当していました。しかし海外に駐在員として赴任する場合は担当する領域が広く、工場全体を見ることになります。

しかもHonda Philippines, Inc.は、生産・販売や物流などを行う生販一体の会社なので、製品の製造からお客様への販売、販売した製品をどんなふうに使っていただくのか、売上やサービス面はどうか、その後不具合が起きていないかというように、さまざまな場面で関わることになります。大変な一方で、すべての工程が見られるのはおもしろくもありました」

5年間の駐在のなかで、石堂は“地産地消”に貢献すべく奔走しました。

石堂 「フィリピンではカブやビジネスバイクといった小型のモーターサイクルを生産販売していましたが、為替の影響によって輸入していたスクーター車両・部品の価格が高騰し、その結果小型バイクの収益が悪化していたんです。フィリピンのお客様に製品を届けられるように、スクーターの現地生産・部品の内製化に取り組み、収益向上を図りました。

当時、フィリピンの工場には1,500名ほどの従業員がいましたが、日本人は副社長を入れて5名ほど。1人ひとりの担当領域は広く、そのなかで私は製造領域全般を担当していました。5年間でスクーターの現地生産や現地モデルの輸出を実現し、成長発展に貢献できたと思います」

駐在中に石堂がおもしろいと感じたのは、アウトプットのスピードが日本に比べて早いことでした。

石堂 「生販一体会社だったこともあり、フィリピンでは自分たちが作ったものがすぐお客様の手に届き、お客様の反応もわかります。何が会社の収益に関わっているかも、実感を持って理解することができるんですね。自分たちが頑張った分がすぐにアウトプットになって返ってくるスピード感は、非常におもしろかったです」

語学と価値観の壁。乗り越えた先で見えたHondaのグローバルな強み

日本では見えなかったおもしろさをフィリピンで味わった石堂ですが、5年間の駐在中は大変なこともたくさんありました。そのひとつが、語学の壁です。

石堂 「駐在前は英語がまったくできず、語学力には自信がありませんでした。それでも現地のアソシエイツに『これはどういう意味なの?』と聞くと、皆優しく教えてくれたんですよね。そのおかげで、生産拠点で仕事ができるくらいの英語力は早い段階で身につけることができました。現地の方々が育ててくれたと感じています」

海外に出ると、日本での価値観が当たり前ではない場面に直面することも。石堂はフィリピン駐在中に、自分自身の価値観を押し付けてはいけないと学びました。

石堂 「日本の感覚をそのまま持っていると、どうしてもズレが出てしまいます。駐在1年目で、自分の考えや仕事のスピード感といった価値観を現地のアソシエイトにそのまま当てはめようとしていたんです。

その結果かなりの口論に発展してしまい、相手の方は翌日会社に来なかったということがありました……。この経験は自分で反省すべき点だと深く受け止め、自分の価値観を当たり前と思わず、相手の考え方やスピード感をきちんと理解し尊重したうえで対応しようと決めました」

フィリピン拠点で働く、現地出身のアソシエイツがメインで働いている会社です。石堂がそれを実感したのは、コロナ禍で8カ月間日本に一時帰国したときでした。

石堂 「日本からリモートで仕事をしていたんですが、自分ひとりでは何もできませんでした。もちろん一時帰国の前から、アソシエイツがいてくれるから何とか仕事ができていると思っていましたが、リモート環境になってから改めて、彼ら、彼女らが頑張ってくれるから自分も一緒になって頑張れるし結果もついてくると痛感しましたね」

さらに、日本では気づけなかったHondaの強みも改めて実感しました。

石堂 「駐在中、フィリピンのタール火山が噴火しました。私はちょうどタイに出張中で、防塵用のマスクを買うためにホームセンターやスーパーを駆けずり回りました。フィリピンに戻ると、火山灰が降るなか、砂や埃だらけになりながら皆頑張ってくれていました。

そのとき、私が熊本製作所で現在所属している課のメンバーが迅速に対応してくれたんです。日本で余っていたヘルメットやマスク、ゴーグルなどをフィリピンに送ってくれました。ほかの拠点からも、多くの人が一気に助けてくれました。そこで、Hondaのグローバルな助け合いという強みを感じたんです」

フィリピンから帰国した石堂は、再び熊本製作所で働くことになりました。二輪の地域推進課所属となり、駐在中に自分が助けてもらった感謝を胸に、海外への貢献や支援に携わることになりました。

石堂 「地域推進課は、グローバルなテーマを推進しながら現地の拠点に対してどれだけ効果的な支援ができるかを検討する部署です。私は管理グループリーダーとして、メンバーをサポートするマネジメントの役割を果たしています。

製造領域について知らなければ各生産拠点の支援はできないので、駐在を経験されている方含めて、経験豊富なエキスパートの方が集まっています」

再び海外へ行く日を見据えて──各拠点の生産体質強化や事業貢献を目指す

フィリピン駐在を経て、石堂は自身の強みが変化したと感じています。

石堂 「昔は、一点集中でずっとやり抜くところが自分の強みだと思っていました。しかし、駐在を通してそれだけでは足りないと感じたんです。領域を超えた知識や経験、事業感覚などを持たなければいけないと強く感じ、フィリピンで勉強させてもらいました。

今は、集中してやり抜くこと、全体を見られること、双方のハイブリッドが少しずつできるようになってきたと思います」

エンジンの組み立てというものづくりの最前線からキャリアをスタートさせ、駐在を経験し、現在はマネジメントがミッションとなっている石堂。ものづくりが好きな気持ちは変わらず、今は再び海外へ行く日を見据えて経験を積んでいるところです。

石堂 「マネジメントは慣れない部分もありますが、またチャンスがあれば海外へ行きたいので勉強させてもらっています。自分がフィリピンにいるときに国内外問わずサポートしてもらったことに感謝しつつ、自分がさらに良くしていきいですね。その経験をもとに、再び海外で事業に貢献したいです。さらに幅広く事業を見られるところに携わっていけたらいいなと」

多数の困難があったにもかかわらず再び海外で働きたいと石堂が思うのは、楽しさを感じる機会が多いからです。

石堂 「駐在もそうでしたが、はじめの1年はどこに行っても大変だと思います。それでも、自分が楽しいと思えることをしているときはあまり大変さを感じないんですよね。特に、自分のなかの先入観が崩れると毎日飽きずに楽しめます。

たとえば、私は駐在に行くまで日本人は勤勉で海外の方はそうではないというステレオタイプを持っていました。しかし、駐在先には、確かに働かない方もいた一方で、一所懸命に働く方もいたんです。それを見たとき、自分も頑張らなければいけないと思いましたし、一緒に仕事をしていて楽しいと感じていました」

現場の担当者からマネジメントに立場が変わり、帰国後の仕事にも少しずつ慣れてきた石堂。今後は各拠点の生産体質強化や事業貢献を目指します。

石堂 「現在は事業の体質進化を図るために、どのように貢献できるかをメンバーと検討しているところです。来期はさらに貢献できるよう、戦略を立てて進めていきたいと考えています」

駐在で困難に直面し乗り越えた経験から多くを学び、自分が進みたい道が明確になった石堂。周囲のメンバーに良い影響を与えながら、成長を続けます。

Recruit

採用情報

Hondaは
共に挑戦する仲間を
募集しています