チャレンジの軌跡
四輪市場への進出。
二輪車の舞台は世界へ
好調な景気を背景に、モータリゼーションへの関心と期待が高まる日本。
四輪市場への進出に向けて体制づくりを進めていたホンダは、
1963年ついに初の軽四輪トラックT360を発表。
四輪メーカーとしてのスタートをきった。
一方で二輪車は、より大きな市場での可能性を求め世界に向けた挑戦を始めていく。
1960年代の日本
景気拡大は長期にわたって継続し、実質経済成長率が年率10%前後と高い水準で推移。内需拡大と輸出増加が進むとともに、人口の増加と農村から都市への労働力移動が進み、教育水準も大きく向上した。また道路網が整備され、モータリゼーションが加速。マイカーブームが到来するなど生活が豊かになる反面、交通事故や公害など新たな社会問題が浮き彫りになった。
「Nコロ」の愛称で親しまれたマイカーブームの火付け役
N360(1967年)
大人4人が楽に座れる室内に、最高出力はライバル車を上回る31PS、さらに31万3,000円という驚愕の低価格。かわいい姿から「Nコロ」の愛称で親しまれた。設計にあたっては「メカは小さく、人のための空間は大きく」という発想のもと室内の広さを最優先。「M・M(マン・マキシマムメカ・ミニマム)思想」として、今もホンダの四輪開発の基本となっている。
日本のモータースポーツの発展に寄与
鈴鹿サーキット(1962年)
日本にまだ高速道路すらなかった1960年。ホンダは本格的な完全舗装のレーシングコースの建設プロジェクトを開始。工期わずか1年1ヵ月を経て1962年に鈴鹿サーキットは完成した。全長6,004m、収容人員20万名、グランドスタンド収容人員1万名。宿泊施設やレストラン、自動車遊園地などを備えた世界的にも注目されたサーキットの誕生である。
次は四輪。二輪に続き世界の覇者を目指す
F1TM出場宣言(1964年)
最後発メーカーとして四輪車を発売したばかりのホンダが挑んだのが、四輪車レースの最高峰F1だった。どの国内メーカーも考えなかったチャレンジをあえて決断したのである。しかし全力で挑んだ初参戦ドイツGPは惨敗という結果に。それでも困難な道をあきらめずに歩き続け、参戦2年目の最終戦メキシコGPでホンダは初優勝の快挙を成し遂げた。
片手で持てる画期的なポータブル発電機
発電機 E300(1965年)
耕うん機、船外機に続き、レジャーユースの商品がほとんどなかった発電機市場でハンディータイプの発電機E300を発売。「機械的な要素を見せず、使う人に安心感を抱かせるように」という本田宗一郎の言葉通りスイッチ類は丸いノブとし、ネジ頭部も極力表に出さないよう設計。フルカバーされた家電を思わせる斬新なキュービックデザインが誕生、世界中の様々なシーンで愛用された。
世の中に巻き起こったナナハン・ブーム
ドリーム CB750 FOUR(1969年)
量産二輪車として世界初の並列4気筒SOHCエンジンに、油圧式ディスクブレーキ・ダブルクレードルフレーム・4本のマフラーなど、新たなチャレンジの集大成として誕生。最高出力67PS、最高速度200km/hという他社フラッグシップモデルを凌駕する性能を発揮し、大型バイクを象徴する「ナナハン」という流行語も生むなど、それまで欧州車主導だった勢力図を完全に塗り替えた。
- ・日米安保条約調印
- ・国民所得倍増計画が閣議決定
- ・石油輸出機構(OPEC)結成
- ・通産省、乗用車メーカー
3グループ化構想 - ・ケネディ氏、米大統領に就任
- ・ソ連、人間衛星船の
打ち上げ回収に成功
- ・通産省、230品目の
貿易自由化告示
(自由化率88%) - ・日米GATT
関税取決め調印
- ・ケネディ大統領、
ダラスで暗殺 - ・日本、GATT 11条国
(国際収支を理由とする
貿易制限禁止)移行表明 - ・名神高速道路開通
創立15周年
ロードレース世界GP
第1回日本GP50cc・250cc・
350ccクラスで優勝
軽トラックT360を発売
(ホンダ初の四輪製品)
マン島TTレース250cc・350cc
クラスで優勝
世界GPレース250cc・350cc
クラスでメーカータイトルを獲得
小型スポーツカーS500発売
汎用エンジンG20・G30発売
- ・東京オリンピック開催
- ・東海道新幹線開業
(東京-新大阪間) - ・日本、OECD
(経済協力開発機構)加盟
- ・完成乗用車の
輸入自由化実施 - ・いざなぎ景気始まる
- ・自動車運転免許保有者が
2,000万人突破
- ・日本の総人口が1億人を突破
- ・自動車排出ガス規制実施
CO濃度3%以下など - ・日本自動車査定協会発足
- ・ケネディラウンドを
主要国間で妥結 - ・公害対策基本法公布
- ・日本、西独を抜き
自動車生産世界第2位 - ・欧州共同体(EC)設立
鈴鹿製作所 四輪工場稼動
スーパーカブ生産累計500万台を達成
N360発売
タイ・ホンダ(TH)で二輪車の
生産を開始
マン島TTレース250cc・350cc・
500ccクラスで優勝
ロードレース世界GPから撤退を発表
F1 イタリアGPでRA300が優勝
4ストローク船外機GB40発売
- ・消費者保護基本法公布
- ・大気汚染防止法、
騒音規制法施行 - ・アラブ石油輸出国機構
(OAPEC)結成 - ・自動車取得税新設(率3%)
F1 フランスGPに新型空冷エンジン
(RA302)で出場するがリタイア。
水冷エンジン(RA301)で2位
軽四輪車Nシリーズ
国内販売届出台数で首位
N360をイタリア・東南アジアなどへ
輸出
1968年のシーズンをもって
F1レース活動を終了
ハンターカブCT50発売
2輪車累計生産台数
1,000万台達成
- ※5 : 技術研究所がホンダから分離・独立し、(株)本田技術研究所を設立。目的は、研究開発をビジネスの都合から切り分けることで、目の前の事業の浮き沈みに左右されることなく、将来を見据えた研究を自由に行える環境を整え、斬新で独創的な技術を産み育てたいという創業者の想いによるものだ。以来60年にわたって、ホンダの屋台骨を支える革新的な技術を開発し、市場へと送り出してきた。2019年2月に二輪車を2020年4月に四輪車を一体運営体制へと変更し、二輪車・四輪車開発を担う部門はホンダと融合し、本田技術研究所は、将来の価値創造に向けて未知の世界を開拓し、先端研究開発を担う機能に特化・注力することになった。 「量産というのは、100%以上成功させなきゃいけない。片や将来核になるような先端的技術は、99%失敗すると思えるような難しいテーマにも強い意志で取り組まないといけない」そのため、この2つは分けるべきだとの結論に達し、再編に踏み切ったのである。
- ※6 : 四輪車用としてのガスタービンエンジンの研究を目的として発足、この時のメンバーが後のHF120につながるエンジン開発に重要な役割を果たすこととなる。
- ※7 : HFTの原型となるHRDを搭載したホンダ初の二輪AT車。
- ※8 : このCB450のエンジンを原型としてN360のエンジンが開発された。
- ※9 : 初代のOHV(オーバーヘッドバルブ)エンジンからOHC(オーバーヘッドカムシャフト)に変更され、細かい改良を受けながら数十年にわたりつくり続けられた。