世界選手権ロードレース最高峰クラスのライダーズタイトルを1983年に初めて獲得したホンダは、翌1984年にマシンを刷新した。それは新開発の2ストローク・V型4気筒エンジンを搭載し、燃料タンクをエンジンの下に配置するという独創的な車体レイアウトを採った。それが初代NSR500(開発記号[NV0A])である――
グランプリで勝ったり8耐で勝ったりすると
『やっぱり大事なのは商品だよね』となった
1983年にスペンサーがNS500でチャンピオンに輝き、ホンダに最高峰クラスで初めてのタイトルがもたらされた。それでも福井は、「'83年は、レースには勝ったけども、私としては不完全燃焼という感じだった」と言う。
「レースだけじゃなくて、商品で勝てないと。だから、その後NSR250Rって市販車を作っちゃったんだ。それがとても支持してもらえた。ああいうふうになってくれないと、達成感ないね。それから、VF750Fってバイクがあったんだけど、そのクランクの爆発順序を全部変えてRVFを作ったわけ。8耐でヤマハをやっつけたときは、本田宗一郎さんもそりゃ喜んでたぜ(笑)。で、その流れでVFR750R(RC30)も出てきた。あと、パリダカもやったんだ。本当はパリダカなんてHRCには関係なかったんだよ。だけど、結果が出ないもんだから、頭に来てNXRを作っちゃった。これが初戦から1−2−3フィニッシュだろ。そして、これをベースにアフリカツインができた、と。痛快。そういうことが生き甲斐だったんだ(笑)。
私は、そもそもはレースをやりたくてホンダに入ったんだけれども、実際にレースをどっぷりやってみて、グランプリで勝ったり8耐で勝ったりすると、『やっぱり大事なのは商品だよね』となってきたんだよ。でも、そう考えるのが普通だと思うよ。本田宗一郎もそうだもん。これは後で分かったことなんだけど。
あの人は、マン島TT挑戦から始まった世界グランプリ出場の第一期をRCレーサーで総ナメにしたよね。で、商品で当時のレーサーレプリカも多少出したけれども、同時にスーパーカブを作ったんだよね。そういう人なんだよ。'60年代にはF1もやったけど、それも何年かすると『いつまでF1やってるんだ。レースばっかりになると、ロクな会社にならないぞ』と言うようになった。そういう人なんだよ。ある意味、ものすごいクールなんだよ、あの人。
レースはレースで勝たなきゃいけない。それはそのとおりなんだけど、それで満足しちゃいけない。私なんかも全然そう思うね」