NSからNSRへ
text=KIYOKAZU IMAI
4気筒へのスイッチ
「エンジンだけでなく、車体にも新技術を」
1983年9月12日、ホンダは鈴鹿サーキットにおいて、ある車両の走行試験を極秘裏に実施した。世界グランプリロードレース最高峰クラスのシリーズタイトルを獲得したホンダ初のライダーがサンマリノGPで誕生した1週間後のことだ。関係者以外のパドックへの入場は禁じて行われたそのテストで走行したのは、新開発のV型4気筒エンジンを搭載した、新型GP500ロードレーサーのテスト車両だった。
ホンダは世界グランプリ500ccクラスへの参戦を1979年8月より再開した。その当初は、長円形ピストン採用の4ストロークエンジンを切り札としたNR500で戦ったが、1982年の開幕戦から2ストロークエンジン車であるNS500を使用した。
当時のレギュレーションでは、GP500ロードレーサーのエンジン気筒数は「4」までとされていた。だが、NS500においてホンダは、あえて3気筒を選択。エンジン、ひいては車両全体を軽量・コンパクトにまとめて、空気抵抗の小ささからくる直線スピードの伸びと高い運動性能を手に入れ、軒並み4気筒であった当時のライバル車たちと互角以上に戦おうとした。すると、投入2年目の1983年にフレディ・スペンサーが、この3気筒車によって世界選手権を制覇。ホンダ・レーシング(HRC)の狙いが間違いでなかったことが証明された。
もっとも、パワーの面でどうしても不利な3気筒では、遅かれ早かれ限界が来る。それを最も強く認識していたのは、ほかでもないHRCであった。そして、NS500が1年目の戦いを終えた1982年のシーズン終了直後から、4気筒の検討を本格化させた。
1983年シーズン用のNS500を作り上げる仕事がひととおり片づいた同年の春、4気筒500ccの1気筒分である排気量125ccの単気筒テストエンジンの設計が開始された。これが、2002年まで走り続けることになる2ストローク・V型4気筒エンジン搭載のGP500ワークスロードレーサー「NSR500」の開発の実質的な第一歩であった。この単気筒エンジンは、ボア54.0mm×ストローク54.5mmで、クランクケースリードバルブ吸気。結果的にこの仕様は、実戦に投入された歴代NSR500のすべてのV4エンジンにおいて採用されることになる。
1983年の4月に入ると、単気筒テストエンジンと同じボア×ストロークと吸気方式で、今度はV型4気筒にまとめたテストエンジンの設計が始められた。その作業は6月30日に完了。そして同日付けで、1984年シーズンに投入する初代NSR500、開発記号「NV0A」のプロジェクトが正式にスタートした。
エンジンが新規でいくならば、車体も当然そうなる。もっとも、「ただ新しい、というのではダメだ」と、開発者たちに檄(げき)を飛ばしてきた上位者がいた。当時のHRCにおいて、車両開発や競技活動の統括責任者であった福井威夫である。NV0Aのラージプロジェクトリーダー(LPL)を務めた小森正道は、「福井さんから、『ただ4気筒を積む、というだけじゃダメだ。何か特別なことを考えろ』と、かなり強く指示されました」と、2011年のインタビューで語っている。
何しろ同排気量の4ストロークで2ストロークに勝つことを目指したNR500をまず手掛け、続いて2ストロークにはするが他車とは一線を画す3気筒を選択したNS500を作り出し、世界タイトルをついに手にしてきたHRCである。エンジンを4気筒にするからといって、車体もオーソドクスにいくことなど許されない、という先鋭的な意識が社内に横溢(おういつ)していた。
そこで生まれたのが、燃料タンクをエンジン下に配置するという大胆な車体レイアウトだった。ただし、それは無理やり捻り出されたものではなく、開発者たちが重ねた検討の中で自然発生的に出てきたアイデアなのであった。
当時のGP500ロードレーサーのレギュレーションで認められた燃料タンクの最大容量は32ℓ。ガソリンを満タンにすれば、燃料だけで24kgになる。車両の乾燥重量(燃料や冷却水などを除いた状態の車重)の当時の下限は115kgであり、その約2割に相当する。それだけの重量物の位置が、エンジンの上から下へ移るのだから、車両の運動性に与える影響が小さいはずがない。
この上下逆転レイアウトの狙いはハッキリしていた。低重心化である。では、なぜ当時のHRCの開発者たちは、低重心化をそれほど追い求めたのか? 前出の小森は「ウイリー、およびリアホイールのスピニングの対策のためです」と言い切った。
先代のNS500は、加速時にフロントが簡単に浮き上がり、その対策に小森たちはかなり悩まされていた。3気筒でそうだったのだから、一段とパワーが強力な4気筒を何の工夫もなく積めば、どうなるかは明らかだろう。当時のHRCでは、2ストロークエンジンの出力特性の作り込みはまだまだで、加速時のフロントリフトを抑えるにあたっては車体側に期待するところが大きく、「重心は、低くて前寄りのほうが良い」という考え方が支配的であったのだ。
車両のディメンションを見直すのではなく、燃料タンクを下へ持っていくという思い切った手を打つことで、劇的な低重心化を図るのはどうか。それは結果的には、「何か特別なことを考えろ」という指示に応える、まさにホンダらしい回答になるのでないか……。そうした考えから、野心的な車体レイアウトの採用に福井は比較的すんなりゴーサインを出したのである。