Honda NSR500 [NV0A]
1984 GP500ワークスロードレーサー

NV0A本番車の車体はULFプレスフレームで

1984年のシーズン開幕前に撮影されたNV0Aテスト車両3号車。通常車であれば燃料タンクがあるところに配置された4本のエキゾーストチャンバーが目を引く。このテスト車で初めて試されたULFプレスフレームは、さらにリファインされたものがNV0A本番車に採用された。(Photo/SAN-EI)

どのような運動性能になるのかを実車で確認するべく、技術者たちはまずテスト車を製作した。それは車体もエンジンも基本的にはNS500のままで、そのV型3気筒エンジンの下に重りを括り付けた車両だった。同車の走行テストは1983年4月に実施された。

明くる5月には、前月より設計が始まっていた新しいV型4気筒エンジンを搭載し、その下に燃料タンクを配置するレイアウトのフレームの設計が始められている。それは、V4+上下逆転レイアウトの検証を行うテスト車のものであり、手っ取り早く作るためにNS500とほぼ同じデザインのダブルクレードルフレームとされた。そして8月に完成し、ベンチテストが進められてきたV4テストエンジンをこのダブルクレードルに載せたNV0Aテスト車両1号車が鈴鹿サーキットで初走行したのが9月12日。サンマリノGPで世界グランプリ初タイトルを得たスペンサーが、凱旋出場して圧勝した全日本ロードレース日本GP決勝の翌日であった。

NV0Aテスト車両1号車の姿を、資料写真や関係者の証言などに基づいて描き起こしたイラスト。新開発であるV型4気筒のテストエンジンを、NS500ゆずりのダブルクレードルフレームに搭載。4本のエキゾーストチャンバーをエンジンの上に、燃料タンクをエンジンの下にそれぞれ配置した上下逆転レイアウトを初めて試した車両であった。(Illustration/Masaru Otsuka)

10月には、やはりアルミ角パイプを使ったダブルクレードルフレームではあるが、ディメンションの異なるNV0Aテスト車両2号車が作られ、これにスペンサーが10月17〜19日の鈴鹿テストで乗った。ただし、ここまでのダブルクレードル車はあくまでテスト目的で、新開発であるV4エンジンの特性と、上下逆転レイアウトの車体の運動性を検証するためのもの。HRCは、トップレベルのロードレーサー用フレームの形態としてはすでに旧式と見なされつつあったダブルクレードルをNV0Aの本番車に使うつもりはなく、エンジンと同様、フレームにも新機軸のものを開発していたのだった。

その新型フレームのプロトタイプは1983年11月に完成した。それは、プレス成形のアルミ部材を組み合わせて作った桁部が、ステアリングヘッドとスイングアームピボットを真っ直ぐにつなぐ形態。当時のHRCが推し進めていたULF(Ultra Light Frame)コンセプトに基づくものであった。

HRCは、1983年11月から1984年1月の間、ダブルクレードルフレームのNV0Aテスト車両2号車とULFプレスフレームのテスト車両3号車による走行テストを、ブラジルのインテルラゴス、オーストラリアのサーファーズパラダイス、アメリカのデイトナで実施。そして、テスト車両3号車をさらに改良したULFプレスフレームを持つNV0A本番車を1月31日に完成させた。

同車はベンチテストや国内での走行テストを経て、2月25日に航空貨物として日本を発った。行き先はアメリカ。3月11日決勝のデイトナ200マイルレースが、NV0Aこと初代NSR500のデビュー戦であった。