NV0A本番車の車体はULFプレスフレームで
どのような運動性能になるのかを実車で確認するべく、技術者たちはまずテスト車を製作した。それは車体もエンジンも基本的にはNS500のままで、そのV型3気筒エンジンの下に重りを括り付けた車両だった。同車の走行テストは1983年4月に実施された。
明くる5月には、前月より設計が始まっていた新しいV型4気筒エンジンを搭載し、その下に燃料タンクを配置するレイアウトのフレームの設計が始められている。それは、V4+上下逆転レイアウトの検証を行うテスト車のものであり、手っ取り早く作るためにNS500とほぼ同じデザインのダブルクレードルフレームとされた。そして8月に完成し、ベンチテストが進められてきたV4テストエンジンをこのダブルクレードルに載せたNV0Aテスト車両1号車が鈴鹿サーキットで初走行したのが9月12日。サンマリノGPで世界グランプリ初タイトルを得たスペンサーが、凱旋出場して圧勝した全日本ロードレース日本GP決勝の翌日であった。
10月には、やはりアルミ角パイプを使ったダブルクレードルフレームではあるが、ディメンションの異なるNV0Aテスト車両2号車が作られ、これにスペンサーが10月17〜19日の鈴鹿テストで乗った。ただし、ここまでのダブルクレードル車はあくまでテスト目的で、新開発であるV4エンジンの特性と、上下逆転レイアウトの車体の運動性を検証するためのもの。HRCは、トップレベルのロードレーサー用フレームの形態としてはすでに旧式と見なされつつあったダブルクレードルをNV0Aの本番車に使うつもりはなく、エンジンと同様、フレームにも新機軸のものを開発していたのだった。
その新型フレームのプロトタイプは1983年11月に完成した。それは、プレス成形のアルミ部材を組み合わせて作った桁部が、ステアリングヘッドとスイングアームピボットを真っ直ぐにつなぐ形態。当時のHRCが推し進めていたULF(Ultra Light Frame)コンセプトに基づくものであった。
HRCは、1983年11月から1984年1月の間、ダブルクレードルフレームのNV0Aテスト車両2号車とULFプレスフレームのテスト車両3号車による走行テストを、ブラジルのインテルラゴス、オーストラリアのサーファーズパラダイス、アメリカのデイトナで実施。そして、テスト車両3号車をさらに改良したULFプレスフレームを持つNV0A本番車を1月31日に完成させた。
同車はベンチテストや国内での走行テストを経て、2月25日に航空貨物として日本を発った。行き先はアメリカ。3月11日決勝のデイトナ200マイルレースが、NV0Aこと初代NSR500のデビュー戦であった。