Honda NSR500 [NV0A]
1984 GP500ワークスロードレーサー

1984 NSR500の技術仕様

独創の上下逆転レイアウト

唯一無二の車体構成を採った初代NSR500

1984 NSR500 [NV0A](Photo/Yoshihiro Ishizuka)

車体から降ろされたNSR500のV型4気筒エンジン(見えているのは左側面)。Vバンクの角度は90度で、後側シリンダーは垂直に立ち、前側シリンダーは水平に寝ている。なお、この第2章に掲載した写真はすべて、ホンダコレクションホールが収蔵しているNV0Aの分解チェックが2010年に行われた際に撮影したものである。

「最初は3気筒で良かったのかもしれないけど、やっぱり本来4気筒なんだよね。レギュレーションで目一杯の気筒数で、排気量も限界っていうのがね」

2003年6月から2009年6月まで本田技研工業の代表取締役社長を務めた福井威夫は、社長退任後の2009年9月に行われたインタビューにおいてこう語っていた。HRCは1982年の秋頃に、4気筒の新型2ストロークGP500ロードレーサーの検討を本格化させたが、当時のHRCの車両開発や競技活動の統括責任者が福井だった。

HRCがNSR500を開発した主目的は、より大きなパワーで戦えるようにすることだった。1気筒あたりの排気量は、NS500の3気筒エンジンでは166.2ccだが、4気筒になれば125ccに減り、そのぶんエンジン回転数のピークを高めやすい。高回転化は、最高出力の向上につながる。また、NS500が抱えていた、振動が大きく、ボアが大きいぶんシリンダーとピストンの焼き付きが生じやすいといった問題を、4気筒にすることで小さくできる期待もあった。

そのシリンダーボアは54mmで、ピストンストロークは54.5mm。1気筒あたりの排気量は124.8ccで、4気筒分を合わせると499.2ccになり、500ccの排気量リミット近くまで使ったものとなる。

モトクロッサー用エンジンの設計をベースにしていたNS500のボア×ストロークは62.6mm×54.0mmで、ロードレース用エンジンとしてはかなりショートストロークだった。対して、4気筒のNSR500ではボア/ストローク比をほぼ1:1とし、NS500と比べればロングストロークにすることで、より厚い中速トルクを確保したエンジン特性を得ようとした。

吸気方式にはクランクケースリードバルブを採用した。当時の主流はロータリーディスクバルブだったが、リードバルブ方式のほうが中〜低速域でのエンジン出力のフレキシビリティに優れているほか、当時の世界グランプリロードレースで採用されていたエンジン押し掛けによる決勝レースのスタートでの優位性を見出せたからだ。先代のNS500でもホンダはリードバルブ方式を使っていたが、正確にはピストンリードバルブであった。一方、NSR500では、エンジン回転数による吸気圧力の変動が小さいクランクケースリードバルブを選択した。

エンジン単体を前から見下ろすと、このような光景を目撃できる。4つのシリンダーから出た排気口の先の向きは様々で、4本のエキゾーストチャンバーをエンジン上の狭いスペースへ取り回すための苦労がうかがえる。銀色の弁当箱状の部品は、低・中速域でのトルクを底上げするための排気デバイスである「ATAC」のサブチャンバー。その入口のバルブがエンジン回転数に応じて開閉する。

4気筒のシリンダーレイアウトは、前後に2気筒ずつを配置したV型とし、前側と後側のシリンダーの挟み角は90度に設定。クランク回転角90度の等間隔で4つの気筒において点火が行われる、いわゆる等間隔爆発とすることで主な振動をキャンセルした。

クランクシャフトは、1本で4つのコンロッド/ピストンを駆動する1軸クランク式とした。当時のライバル車のすべてが2軸クランクであったのに対して、1軸クランクはエンジンの横幅が長くなり、クランクの製造が難しいといった難点があったが、HRCは自社と協力会社の双方の努力によって克服し、実現した。結果、頑丈さはそこそこに、しかし軽量・コンパクトなエンジンが完成。実際、初代NSR500であるNV0Aのエンジン単体重量は40.5kgと、シリンダーがひとつ増えたにもかかわらず、NS500より1.5kgほどしか重くなっていなかった。

ボア54mm×ストローク54.5mm、クランクケースリードバルブ吸気、1軸クランク──、エンジンの成り立ちを決定づけるこれらの仕様は、その後の歴代NSR500のすべての実戦車において採用された。19年にわたって世界グランプリを戦ったNSR500だが、初代モデルNV0AのV型4気筒はまさにその原型であった。

なお、NV0Aの最高出力だが、1984年のシーズン開幕前の時点で141.8ps/11,000rpm。先代のNS500の1983年最終戦仕様は131.4ps/11,000rpmであったので、ほぼ10馬力も高い。そして、シーズン中にもチューニングが進んだことで、1984年最終戦仕様のNV0Aは、最高出力145.4ps/11,500rpm、最大トルク9.2kg/11,000rpmを発生するに至った。

歴代NSR500の中では希少な、プレス成形のアルミ部材を接合して作り上げたフレームをNV0Aは採用していた。その車体の考え方は、ステアリングヘッドとスイングアームピボットを真っ直ぐにつなぐツインスパーフレームであることが、エンジンから何からを取り去って丸裸にすると、よく分かる。

カウル類をすべて外したNV0Aと対面すると、通常レイアウトであれば燃料タンクがある場所に収まった4本のエキゾーストチャンバーや、エンジン下のスペースを埋め尽くした燃料タンクに目を奪われる。では、それらを外し、さらにエンジンも降ろして、車体骨格だけにしてみよう。すると、NV0Aのフレームボディが実は独特な形状であることが、はっきりと認識できる。

それは、ツインスパーフレームの思想にあるものだ。ステアリングヘッドから左右に分かれた桁部が、スイングアームピボットまでを真っ直ぐにつないでいる。桁部の中央は上下に分かれているが、エンジンの下に燃料タンクを吊る必要などに対応するための形状だ。

桁部は、アルミ板をプレス成形したピースを組み合わせて作り出されている。ホンダが、そうした製法のフレームを持つ競技用の二輪車を手掛けたのは、NV0Aが初めてだった(車体にモノコックを使用した初代NR500は除いて)。それまでのホンダのロードレーサーのフレームは、スチールの丸パイプなりアルミの角パイプなりを用いたものばかりだったのだ。また、NSR500の2代目モデルであるNV0B以降は、中にリブを仕込んだ目の字断面あるいは日の字断面のアルミ押し出し材の角パイプをフレームに使い続けた。つまり、歴代のNSR500においても希有な製法と形状を採用していたのが、初代モデルNV0Aのフレームというわけである。

また、これはHRCロードレーサーの実戦車がツインスパーフレームの形態を初めて採用した例だった。当時のHRCでは、軽量にして高剛性で、バンク角を深く取れ、エンジン等のレイアウトの自由度が高いフレームの研究が、「ULF(Ultra Light Frame)」という題目のもとで行われていたのだ。

このNV0Aの異形ツインスパーフレームは、NS500最終型のアルミ角パイプ・ダブルクレードルフレームと比較すると、ねじり剛性で18%、横曲げ剛性では73%も向上。トータルでは34%の剛性アップを果たしていた。