伝説の軌跡
鈴鹿で見せた奇跡の初戴冠
シーズンを席巻し王者決定戦へ
1988年、Hondaエンジンを手に入れ、新加入となったアイルトン・セナを擁するマクラーレンは、シーズン序盤から圧倒的な速さと強さを見せつけた。第12戦イタリアGPまでセナは7勝を挙げ、チームメイトのアラン・プロストは4勝、8回の1-2フィニッシュという圧巻の内容だった。イタリアGPでは不運なアクシデントにより連勝は途切れたが、マクラーレン・ホンダの圧倒的な強さに揺るぎはなかった。
第15戦日本GP、ポイント争いではプロスト84点に対してセナ79点とプロストが5点リードしていたが、当時は有効得点制度があったため入賞回数の多いプロストは得点が伸びにくく、一方のセナは勝利すれば87点となり、最終戦でプロストが勝っても逆転できないため、チャンピオン決定の可能性が高いレースとして注目された。
予選からウォームアップまで全セッションでトップタイムのセナは絶好調で、チャンピオン決定に期待が高まる。迎えた決勝のスタートでは、一瞬ストールして出遅れたマシンが2台、なんとポールシッターのセナと予選6位中嶋だった。満員のグランドスタンドから悲鳴が上がる。緩い下り坂が功を奏し、2台はなんとかスタートできたが、後方集団に飲み込まれてしまう。ここからセナ怒涛の追撃が始まる。1周目を8番手で終えたセナは、2周目には6番手、3周目には5番手、4周目には4番手、11周目にはベルガーのフェラーリを抜いて3番手、20周目には一時首位に立つ場面もあったイバン・カペリ(マーチ・ジャッド)のトラブル脱落により2番手にまで上がる。この時点で首位プロストは11秒先行していたが、その後ウエットコンディションが得意なセナを後押しするように小雨が降り始めると、2台の差は急激に縮まっていく。
怒涛の追い上げで逆転王座に
そして28周目に入るメインストレート、セナはプロストを遂に捉え、1コーナーまでに逆転してトップへ。その後また小雨が降り出し、セナはプロストとの差を13秒にまで広げ、51周のレースをトップでチェッカーを受けた。初の世界チャンピオンを鈴鹿で決めたセナは歓喜し、クールダウンラップを走りながら拳を突き上げ、身を乗り出して喜びを表し、鈴鹿を埋めたファンはその想いを共有した。前年叶えられなかった本拠地鈴鹿でのHondaの1-2フィニッシュでもあった。レース後のパドックで、セナは本田宗一郎と固い握手を交わし、喜びと感謝を安堵とともに分かち合う。
一年間を終えてみれば、マクラーレン・ホンダは全16戦中15勝(セナが8勝、プロストが7勝)という圧倒的強さ。コンストラクターズ・ランキングでは199点を獲得し、2位フェラーリ65点の実に3倍を稼ぎ出しての圧倒的チャンピオンだった。
そして、1980年代のF1界でずっと主流だった1.5ℓターボチャージドエンジンの時代は、この1988年をもって閉幕する。ブースト圧次第では予選仕様で1300馬力とも言われた大パワーが危険すぎるとのFIA(国際自動車連盟)の判断からだった。翌1989年からはターボエンジンは禁止され、自然吸気(NA)3.5ℓエンジンによる新時代が開幕する。