社会貢献活動のあゆみ

夢のある明日の社会づくりをめざして

Hondaは1948年の創業以来、
世界中の人々と喜びを分かちあい、
存在を期待される企業をめざして、
さまざまな社会貢献活動に取り組んできました。
歩み続けてきたその歴史を振り返ります。

世のため、
人のために 創業者 本田宗一郎の
社会貢献の想い

世のため、人のために

MESSAGE

「人間の偉さはいかに世の中に
貢献したかなんだ。」(1962年)

「人にたくさん喜びを与えれば、
それだけ自分が喜びを
得ることができると
思うんです。」(1962年)

「如何に社会的に貢献しながら、
みんなが幸福になっていけるか、
というところにこれからの社会がある。」(1973年)

出典 原点ライブラリー「創業者発言集」より

OUR PATH

1948年創業

商品・技術で、社会に貢献

Hondaの名が記された最初の製品・A型エンジン。妻への想いが生んだこの自転車用補助エンジンは、Honda設立前年の1947年に製造を開始し、1951年まで生産・販売されたロングセラーとなりました

Hondaは創業以来、企業理念である「人間尊重」と「三つの喜び」を基本に、商品や技術を通じて社会やお客様に喜びを提供してきました。そのスタートとなったのが、初の市販製品・A型エンジンの開発です。自転車が主な移動手段だった戦後すぐ、宗一郎は自転車を漕いで遠くまで買い出しに行く妻をなんとか楽にしてやれないかと考え、自転車に取り付ける補助エンジンを思いつきました。このエンジンに込められた「これができたら、みんな喜ぶだろうなぁ」という想いから、Hondaのものづくりと社会貢献の歴史は始まりました。

1960年代

地域との共生を
目指した活動を展開

1960年に完成した鈴鹿製作所は、設立時から「地域社会に密着したものを」という想いのもと建てた工場です。見学に訪れる人たちのことを考えて、2階に見学用通路を設けました

「企業は地域に根付き、地域と融合した存在でなければならない」という創業期からの考えのもと、事業を通じた社会への貢献に加え、地域とのつながりを大切にした企業活動にも取り組み始めました。その一つとして、新しい地域へ事業を展開する際は「開かれた工場・事業所」をめざし、工場見学の受け入れ、体育館やグラウンドなどの施設開放などの活動を、工場稼働当初から行ってきました。

1960
工場見学の受け入れ、体育館・グラウンドなどの施設開放、スポーツ教室の開催、地域住民を招待しての夏祭りなどを開始
1962
鈴鹿サーキット完成
1970年代

時代に先駆け、
安全への取り組みを開始。
財団も設立

交通社会の課題や将来のあり方について、社会的視野に立ち、自由に討議・研究する場として(公財)国際交通安全学会(IATSS)を設立
「ふるさとの森づくり」では 25万本の苗木が熊本、鈴鹿、浜松、埼玉の各製作所と栃木研究所に運び込まれ、ある工場ではその年の新入社員が、また他の工場では全従業員が総出となって、従業員自らの手で苗木を植えました

Hondaは“交通安全”という言葉が世の中に知られるずっと前から、バイクやクルマといったパーソナルモビリティを世の中に提供するメーカーの“果たすべき役割”を真剣に考えてきました。特に安全面については、ハード(製品)とソフト(教育)の両面からのアプローチが必要と考え、1970年に「安全運転普及本部」を発足。活動範囲の拡大に伴い、教育・研究・文化交流などを支援する財団や基金を設立し、より良い社会づくりに貢献してきました。
また、自然と人々と社会との共生をめざして、事業所周辺での環境保全活動「ふるさとの森づくり」を1977年にスタート。種々雑多な樹木が混在する「鎮守の森」をモデルに、その土地の生態系を活かして緑化をはかる“本物の森”づくりに取り組み始めました。

1970
安全運転普及本部発足
安全運転普及本部の詳しい歴史については、こちら
1974
(公財)国際交通安全学会(IATSS; International Association of Traffic and Safety Sciences )設立
1977
  • 「ふるさとの森づくり」開始
  • (公財)本田財団設立
1980年代

海外にも財団・基金を設立

アメリカンホンダ財団は、2021年にホンダユーエスエー財団に名称を変更し、現在は人々が自らの可能性を最大限発揮できるよう、教育、モビリティ、環境、交通安全の分野で地域社会を支援しています
「人間として、共に生き、共に働く場を提供したい」との想いからホンダ太陽(株)を設立。明るく生き生きと働く仲間が、高品質なものづくりに取り組んでいます

海外での事業拡大とともに、欧州や北米などでも教育・研究・文化交流支援のための財団や基金を設立。米国では1984年、Hondaの米国進出25周年を記念してアメリカンホンダ財団を設立し、青少年と科学教育の分野に焦点を当てたさまざまな活動をサポートしてきました。
また、日本では1981年、「Hondaのものづくりを通じた、障がいのある人たちの社会的自立の促進」という理念のもと、特例子会社ホンダ太陽㈱を設立しました。

1980
ベルギーホンダ基金設立(ベルギー)
1981
ホンダオブアメリカマニュファクチュアリング財団設立(アメリカ)
ホンダ太陽(株)設立
1984
アメリカンホンダ財団設立(現:ホンダユーエスエー財団)(アメリカ)
1985
  • 心身障がい者の自立化を目指した希望の里ホンダ(株)設立
  • 将来のASEAN諸国を担う若者の国際研修「IATSSフォーラム」第一回開催
1990年代

専任組織を設置し、
社会活動理念を制定

アメリカンホンダが設立した「イーグル・ロック・スクール」は、既存の高校に馴染めなかった生徒や人生を変えたいと強く望む生徒を受け入れている全寮制の学校。授業や共同生活を通じ、生徒たちは自ら夢を描き、努力することの大切さを学んでいます
私たちが使う水は川によってもたらされ、その源流にある森林は長い時間をかけて水を蓄えます。その大切な「水源の森」を未来へ引き継いでいくために、全国の事業所の従業員らボランティアによる森林保全活動を拡大していきました

1998年のHonda創立50周年を機に、地球的視野で社会の期待に応えるべく、日本で専任組織を設置し、「次世代のために心豊かな人・社会づくりに努める」という社会活動理念を制定しました。時代の要請に応えた地域の草の根活動の支援と、Hondaらしいグローバルな取り組みにより、「地域との共生」「地球との共生」を改めてめざし、1996年には米国においても専任組織を設立しました。

1990
「大分国際車いすマラソン大会 」への協賛・大会当日運営サポートを開始
1993
「イーグル・ロック・スクール」設立(アメリカ)
1994
ボランティア休暇・離職制度制定
1995
「阪神・淡路大震災」被災地への支援として、
Honda製品(発電機、二輪車)寄贈、義援金を寄託
1996
Philanthropy Committee & Honda Philanthropy Office of America設立
(アメリカ)
1997
社会活動推進室設置
1998
社会活動理念制定
1999
「水源の森保全活動」開始(現:森林保全活動)
2000年代

グローバル活動方針を宣言、
さらなる進化へ

子ども達に、夢に挑戦する楽しさやモノづくりの面白さを実感してもらいたいという想いから「子どもアイディアコンテスト」をスタート。全国の小学生に「未来にあったらいいな」と思うアイディアを絵に描いてもらうコンテストです
「素足で歩ける砂浜を次世代へ」という想いで、15人のキャラバン隊でスタートした「Hondaビーチクリーン活動」。独自開発したビーチクリーナーを使って砂浜を清掃するこの活動は現在、全国に広がり、年間参加者は7,000人を超える活動へと発展しています
本田技研工業(中国)投資有限公司が中心となり、2008年に「内モンゴル植林活動」をスタート。砂漠化が急速に進むこの地域で、森林面積の増加、水や土壌の損失の抑制、地域環境の改善を目的に、毎年多くの従業員が活動に参加しています

2006年にグローバル活動方針を制定。世界中のHondaが、その資源である「人」、「商品・技術」、「人間尊重の文化や風土」を活かして、より積極的に人々の喜びにつながる活動をすすめるための方向性を示しました。日本では、「豊かな人と社会づくり」の実現に向け、子どもの育成支援活動やHondaの技術を活かした環境保全活動を新たに展開しました。

2000
  • 事業所での活動活性化に向けた「社会活動連絡協議会」発足
  • ホルチン砂漠の植林活動「喜びの森計画」開始(中国)(~2006年)
  • 自然から環境を楽しく学ぶ出前授業「環境わごん」開始
2001
「学生フォーミュラ活動支援」開始
学生への技術伝承を行うHonda OB「マイスタークラブ」設立
2002
  • 子ども達の夢と創造力を育む「子どもアイディアコンテスト」開始
  • NHK主催「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト(高専ロボコン)」への特別協賛と従業員による大会での特別賞審査協力を開始
  • ホンダタイ基金設立(タイ)
2006
  • 独自開発した「ビーチクリーナー」による「Hondaビーチクリーン活動」開始
  • 社会活動グローバル活動方針制定
  • オリジナルのダンボールクラフトでモノづくりの楽しさを伝える「ドリームハンズ」開始
2008
「内モンゴル植林活動」開始(中国)
2010年代

“技術”で被災地を支援、
従業員の主体的なボランティア
活動も
サポート

被災地の子ども達を対象に行った「ASIMO特別授業」。子ども達の明日への「希望」をふくらませ、「夢」をあきらめない気持ちを伝えたいという想いから、 Hondaの技術者たちが失敗を繰り返しながらもあきらめず開発したロボット“ASIMO”の誕生秘話を伝えました
東日本大震災直後の被災地での復興支援ボランティアツアーには、240名の従業員が参加。このツアーをきっかけに、2012年からは被災地への交通費の一部を会社が負担する「従業員自主取り組みボランティア支援プログラム」を開始し、多くの従業員が制度を活用しています

「Hondaの持つ技術やノウハウで皆様のお役に立ちたい」という想いから、被災地でさまざまな支援活動を行なってきました。東日本大震災をきっかけに、従業員が被災地で主体的に行う復興支援活動を会社としてサポートするプログラムにも取り組んでいます。

2011
  • 「東日本大震災」被災地への支援として、以下を実施
    ・Honda製品(二輪車、四輪車、発電機)を寄贈・貸与、義援金を寄託
    ・被災地小学校での「ASIMO特別授業」開始(~2016年)
    ・被災地での従業員ボランティアツアーを開催。
     「被災地の役に立ちたい」という従業員の想いを後押しする
     「従業員自主取り組みボランティア支援プログラム」を翌年に開始

    そのほか支援詳細は、こちら
  • 「タイ大雨による洪水」被災地への支援として、Honda製品(パワープロダクツ製品)寄贈、タイ赤十字社、日本赤十字社に義援金を寄託
2014
「ふるさとの森づくり」を地域環境に合わせて進化させ、地域と共生し、人々が喜ぶ新たな森の創出をめざす「HondaWoods」開始
2016
  • 「熊本地震」被災地への支援として、Honda製品(二輪車、四輪車、発電機)寄贈、熊本県に義援金を寄託
2017
従業員が気軽に参加できるボランティア活動「ぷちぼら」開始
2018
  • 社会貢献活動グローバル方針改定
  • 「富士山の森づくり」プロジェクトに参画開始
2019
  • NHKエンタープライズ・科学技術館主催「小学生ロボコン」特別協賛と従業員による大会での特別賞審査協力を開始
  • アスリートの能力を最大限に引き出すためにHondaの技術を活かし開発した車いすレーサー「翔 KAKERU」発表
2020年代

夢のある明日の
社会づくりをめざして

「新型コロナウイルス感染防止対策」への支援として、日本では感染者を搬送するための車両(仕立て車)168台を製作。26の都道府県へ寄贈しました
「新型コロナウイルス感染防止対策」への支援として、タイでは感染者用の陰圧可動型ベッド100台を製作。医療機関へ寄贈しました

Hondaはこれからも、夢のある明日の社会づくりをめざして、 グローバルの連携を強化し、世界中の人々の喜びのために活動を進めていきます。

2020
  • 「新型コロナウイルス感染防止対策」への支援をグローバルで実施
    支援詳細はこちら
  • 荒廃が進む里地里山の再生をめざして、八王子上川の里「里地里山保全活動」
    開始
2022
「ウクライナ情勢」を踏まえた人道支援として、日本赤十字社に義援金を寄託