第Ⅱ章
世界に広がる事業展開

第5節 アジア大洋州
 第2項 インド

全社一丸で夢の実現へ
シェア拡大に向けDream Yuga(ドリーム ユガ)投入

 ホンダのインドにおける二輪事業は新時代を迎えた。ホンダブランドやHMSIに対するディーラーや従業員との信頼関係を十全なものとし、全社一丸となるためには、コーポレートアイデンティティを確立するべきだとの考えのもと、2012年、当時HMSI社長の村松慶太は、スローガンの変更を提案した。
 それまでHMSIは「I enjoy」という独自のスローガンを掲げていたが、村松は、ホンダのグローバルブランドスローガン「The Power of Dreams」に基づいて変更すること、トップダウンではなく従業員たちに新たなスローガンを考案してもらうとことを提案した。そこには、従業員とディーラーが夢を信じて努力すれば、きっと実現するという強い想いが込められていた。
 そこで、従業員一人ひとりが夢と情熱を持つことがチャレンジの源泉というホンダのスピリットを真に理解してもらい、分かち合うために、話し合いの場を設け、議論を重ねて新たなスローガン「Sach Kardenge Sapne」が誕生した。「夢を実現しよう」という意味のヒンディー語である。
 その後、ホンダの歴史を学ぶ映像を従業員が制作して理解を深めたり、ポスターやプロモーション用品を通じて新スローガンの浸透を図った。また、新スローガンをインド各地の言葉に訳して配布するなど、顧客にもホンダの想いを着実に伝えていった。
 ホンダの「夢」は、新会社の最初の製品にも込められた。2012年、HMSIはモーターサイクル、Dream Yuga(ドリーム ユガ)を発表した。HMSI初のマスセグメントモデルである。Dreamの名を冠したのは、村松の提案だ。そこには、HMSIの従業員やディーラーが一つのチームとして結束して夢の実現を目指すという村松の強い意志があり、提案は賛同を得た。ちなみにYuga(ユガ)には「次世代の」という意味がある。ドリーム ユガは、ダイナミックなフォルムに空冷110ccのエンジンを搭載し、クラストップの燃費性能を備えた、まさに次世代を予感させるモデルだ。販売価格は、インド国内のニーズにマッチした低価格帯。HMSIは、ボリュームゾーンの100ccクラスのモーターサイクルでシェア拡大を図り、インド二輪車市場No.1の高みに向けて挑戦を開始した。

インド市場のボリュームゾーンである100㏄クラスでのシェア拡大を図り

インド市場のボリュームゾーンである100㏄クラスでのシェア拡大を図り
インド二輪車市場No.1に挑んだDream Yuga(ドリーム ユガ)

生産体制と販売網を拡充し、地域に根差した事業展開

 2010年にはインドの二輪車販売台数は年間1,000万台を突破、2012年時点で約1,300万台と、すでに中国に次ぐ世界第2位の市場規模に成長したが、さらなる拡大が続くことが予想された。市場の7割以上をモーターサイクルが占め、中でも人気が高いのは、100ccクラス。2011年度のHMSIのインド国内の販売台数は約200万台でシェア3位だったが、2020年までに年間販売台数を1,000万の大台に乗せることを目標に、事業の再構築が進められていた。
 まずは、生産体制の拡充だ。2011年に稼働を開始した第二工場の生産能力を、2012年には年間120万台に倍増。さらに、2013年、南部のカルナタカ州ナルサプーラに第三工場を新設し、生産を開始した。第一・第二工場は北部に位置しており、道路整備や物流体制に不安があるうえ州によって税金が異なるなど、インド特有の事情を考え、生産能力拡大とともに、効率性を高めるために南部にも生産拠点を設けたのである。第三工場の稼働に伴い、3工場の年間生産能力は計400万台体制になった。
 2016年にはグジャラート州アーメダバード地区に、スクーター専用の第四工場を設立。組み立てラインを増設するなどの生産能力拡大により、2018年、4工場合計で年間生産台数は700万台体制になった。全世界における二輪車販売台数は、2,000万台。全世界2,000万台のホンダ二輪車販売のうち、1/3以上をインドで販売するという快挙を成し遂げた。
 そして、2020年の販売目標達成に向けた最重要課題が販売網の拡大だった。これまでHMSIでは大都市を中心とした販売網をつくり、2012年5月末時点で、サービスセンターを含め約1,500店舗にまで拡大していた。さらに、今後の戦略として、モーターサイクルの販売を拡大するには、販売網をインド全土へ、特に農村地域まで網羅することが不可欠だ。そのためには、地場メーカーと差別化した戦略が求められる。
 まず、インドの国土を東・西・南・北・中部の5つの地域に分けて、営業拠点となるリージョナルオフィスを設置し、販売店の開拓や地域の情報収集に取り組んだ。リージョナルオフィスにはベテランの駐在員を中心に、インドのスタッフを配置した。
 「地方駐在のエキスパートが、商品知識や接客を根気強く丁寧に教えました。販売店のスタッフがいかに他社と異なるホンダの二輪車の優位性を伝えられるかが鍵なのです。駐在員と現地アソシエイトがチームを組んで、国内各所に販売網を拡大していきました」(五十嵐)。
 スタッフは地域の販売店を回ってはホンダや商品をPRし、工具を積んだサービスカーで巡回しては二輪車の整備や修理を実施するなど、地域に根差した活動を展開した。
 「新興国における市場開拓は、さまざまなニーズや期待に応えなくてはいけません。そのために、経験豊富な駐在員のノウハウを存分に発揮してもらいました。販売網を一から構築するのは大変な作業でしたが、インドのスタッフには、今後の事業展開を支える貴重な経験になったと思います」(小林)。
 販売店を希望する申し出には、ホンダの基準に照らして選考し、販売網に組み入れた。ホンダの店づくりは、販売・サービス・パーツの機能を備えた三位一体が基本だが、さらに安全運転活動を加え、顧客に安心して購入してもらえる環境整備に取り組んだ。
 「いかにしっかりとした体制をつくれるかで将来が決まります。開発・生産・販売、すべての分野ですべてのスタッフが、第二の創業期のような意気込みで取り組みを加速させたのです」(小林)。

2016年第四工場設立

2016年第四工場設立
2018年には4工場の合計で年間生産台数700万台体制となった

逆風だからこそ新機軸へ。環境対応型エンジン開発や大型モデル参入

インドの排出ガス規制BS6対策として環境対応型エンジンeSPを搭載したActiva(アクティバ)125 インドの排出ガス規制BS6対策として
環境対応型エンジンeSPを搭載したActiva(アクティバ)125

 インドの二輪車市場は右肩上がりの成長を続け、中国を販売台数で2013年に、生産台数は2015年に抜いて、世界最大市場・生産国となった。しかし、2018年にインド国内の二輪車販売台数が過去最高の2,164万台を記録したのをピークに、2018年後半以降、低迷期に入る。経済成長の失速に加え、二輪車関連の環境・安全規制の強化によるコスト増の影響が重なったのだ。
 安全面に関しては、強制保険の制度変更やABS(アンチロックブレーキシステム)、CBS(前後輪連動ブレーキ)の搭載が義務化されるなどにより、価格上昇が起きていた。環境面では、2020年導入のインドの排出ガス規制BS6*1により、二輪車エンジンがキャブレター式から電子制御燃料噴射装置(PGM-FI)へ変更された。これに対してホンダは、持ち前の技術力で対応する。2019年に、BS6対策として、走行性能と燃費などの環境性能を高次元で両立したエンジンeSP*2を搭載したスクーター・Activa(アクティバ)125を発売。さらに、世界で初めて、新たな部品を追加することなくタンブル流*3を発生させる技術を搭載することにより、燃費を10%向上させることに成功したのであった。
 そのような中、インド二輪車市場の傾向にも変化が起きていた。中・大型モデルでシェアを独占していたインドの地場メーカー(発祥はイギリス)のROYAL ENFIELD(ロイヤル エンフィールド)が、環境基準を満たすモデルへの改良に合わせてラインアップ拡大や販売店のブランド強化を行ったところ、国内外で人気を博したのだ。
 ホンダも負けてはいられない。それまでHMSIは、300cc以上の大型モデルは手掛けてこなかったが、新たな開発コンセプト「日常から遠出まで~The Honda Basic Roadster」のもと、日本のマーケットも視野に入れ、ロードスポーツモデルの開発に乗り出した。そこで誕生したのが、2020年に発表したH'ness(以下、ハイネス)CB350だ。発売するや4カ月で1万台のセールスを記録。300cc以上のモデルを扱う新たなディーラー「ホンダビッグウイング」を立ち上げて販売網も強化し、インド国内の350cc大型クラスでNo.1を獲得するに至った。日本でも、2021年にハイネスCB350と同モデルのGB350を発売し、好評を博した。これで、インド発のグローバル戦略モデルの生産が拡大することになった。

  • :BS6 バーラトステージ6
  • :eSP(イーエスピー)enhanced(強化された、価値を高める) Smart(洗練された、精密で高感度な)Power(動力、エンジン)の略で、低燃費技術やACGスターターなどの先進技術を採用し、環境性能と動力性能を高めたスクーター用エンジンの総称
  • :タンブル流 シリンダー内に発生する縦渦状の空気の流れ
H'ness(ハイネス)CB350

H'ness(ハイネス)CB350

コロナ禍を逆手に取り
構造改革によりマネサール工場を再生

 2019年時点で、HMSIはインドにおけるスクーター市場で50%を超えるシェアを占め、トップに立った。110ccから125ccクラスでは40%を超えて2位につけ、全体のシェアもヒーローに次ぐ2位だ。HMSIではインド国内の4工場がフル稼働して年間600万台規模を出荷しており、次の目標は年間生産台数700万台。いよいよ全体のシェアでも首位に立つぞ。そんな矢先に、まさかの試練が襲いかかる。コロナ禍である。
 2020年3月、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染拡大に伴い、インド政府は全土にロックダウンを敷いた。HMSIでも、生産・販売をストップせざるを得なかった。ロックダウンは約2カ月間にわたり、HMSIでは4月・5月の売り上げはゼロ。創業以来、このような事態は初めての経験だった。
 まさにこの危機が始まった2020年4月にHMSIの社長に就任した尾形淳史は、HMSIの構造改革「プロジェクト・ルパンタル(ヒンディー語で「再生」の意味)」を行う決断を下す。ポイントは、当時さまざまな問題を抱えていた第一工場・マネサールの再生であった。
 まず行ったのは、生産能力の調整だ。マネサール工場では3ラインで年産160万台生産していたが、1ライン40万台に調整。2ライン分のスペースは高付加価値商品でもある中・大型車のノックダウンモデルの少量生産と、梱包・品質保証といった輸出のために必要な機能を行うスペースに変更した。
 また、リモートワークの浸透でグルガオンにあったHMSIの間接部門の出社比率の上限を設けたため、本社ビルの売却を決め、本社機能をマネサール工場へ移転した。
 製造現場の課題解決に加え、福利厚生や労働環境の向上も行った。例えば、社員食堂。従業員が意見を出し合い、ドリーマーズ・カフェを設営した。テラス席からは噴水や広々とした芝生が見渡せる。
 「プロジェクト・ルパンタル」は、マネサール以外の3つの工場へも展開されている。

昼食時に従業員らの憩いの場ともなるマネサール工場内の食堂

昼食時に従業員らの憩いの場ともなるマネサール工場内の食堂

これからもインドの目線でインドの人々とともに

 インドの二輪車需要は、経済・法規・ガソリン高騰などの市場環境の変化やコロナ禍など足元の調整局面はあるが、経済回復や生産年齢人口の増加が予想されることから、今後も需要の穏やかな伸びが期待される。インド二輪車市場の熾烈な競争を勝ち抜くためには、時代の変化を読み、常に一歩先を見据えることが求められる。
 二輪車大国とはいえ、実は、インドの二輪車保有率は決して高くはない。2019年時点で、人口1,000人当たり約160台にとどまっている。世界一の販売台数は13億という莫大な人口によるもの。交通インフラに貢献するミニマムトランスポーテーションとして二輪車は重要な移動手段であり、まだまだ市場開拓の余地が見込める。現状をみると、地方都市や農村でのモーターサイクル需要の拡大や、社会進出を背景にした女性の二輪車ユーザー数の増加が、市場を押し上げている。都市部では二輪車の普及が進んでいるため、これからは中規模都市や農村のユーザー獲得が鍵を握る。
 また、モーターサイクルの需要が堅調だが、スクーターの需要も拡大しつつある。地方都市で道路インフラの整備が進み、小径ホイールのスクーターでも走りやすくなっていることが要因だ。スクーター事業は、進出当初からインドのニーズに合う製品展開を行い、トップシェアに至っただけに、今後も成長が期待される。
 ホンダがインドに進出して約40年。期待と責任を背負う二輪のトップメーカーとして、ニーズに応える製品の開発・販売を行い、サービスの質を向上させることが、ますます求められる。環境への配慮や電動化などにも対応していかなければならない。また、インドの健全な交通社会の構築に向けた取り組みとして、インド各地に交通トレーニングパークや安全運転教育センターを運営するなど、安心・安全のための地域貢献活動にも力を入れてきた。インドの地で、インドの人々のために、インドの人々の目線で、インドの人々に貢献できる製品とサービスを提供すること。これが、インドにおける約40年間の事業活動を通じて一貫したホンダの強い想いである。