第Ⅱ章
世界に広がる事業展開

第5節 アジア大洋州 第2項 インド

第5節 アジア大洋州
第2項 インド

世界最大の二輪車大国、インド。
ホンダがインドの二輪車市場に参入したのは、約40年前のこと。
1980年代は計画経済下で、さまざまな制約がある中での厳しい船出だった。
現地企業とパートナーシップを結ぶことに始まり
経済自由化の波に乗って100%出資の現地法人設立へ。
時代とともに形は変われど、ホンダには一貫して変わらぬものがあった。
インドの人々とともにインドに貢献する事業を展開すること。
駐在員も現地スタッフも一丸となって夢を実現すること。
その精神は、商品開発から生産・販売の現場まで、あまねく根付いている。

インド企業2社と手を組み、広大な国土で市場を開拓

 「世界中の顧客の満足のために」を提唱しているホンダにとって、積極的な海外進出は、ごく自然なことだ。海外展開が加速する中、1980年代、インドにおける二輪車市場開拓の取り組みが本格化した。インドでは二輪車は生活の足であり、7億を超える人口は増加の一途をたどっていた。巨大市場に成長するポテンシャルを持つ地域だ。
 だが、当時のインドは主要産業の国営化を軸とした計画経済体制を敷いていた。そのため、完成車の輸入はできず、外資が製造販売会社を設立しようにも株式の50%を超えない議決権数を獲得するマイノリティー出資で現地資本と対等合弁し、設立するしか道はなかった。
 計画経済下では海外からの製品や技術の流入が制限され、インド国内で生産される二輪車は、品質や燃費改善などの製品技術や生産技術において立ち遅れていた。100%地場資本のバジャージ・オートが最大手だったが、製品はほとんど進化がなく、二輪車市場全体が低成長に陥っていた。
 ホンダはこうした状況を踏まえ、インド企業に対し、対等経営パートナー(共同執行)、対等出資者(株主)、さらに技術・商品の提供者(ライセンサー)という3つの立場で参画することを決定。世界2位の人口を抱え、計り知れない可能性を秘めた巨大市場において、モーターサイクルとスクーターをそれぞれ展開する2社と手を結び、開拓する作戦に出る。
 1984年、デリーのヒーロー・グループと提携し、ヒーロー・ホンダ・モーターズ・リミテッド(以下、HHML)を設立した。そのころヒーロー・グループであるヒーロー・サイクルは、自転車メーカーとしては世界最大手だった。HHMLは100ccのカブ系のモーターサイクルで市場へ参入するために、ハリアナ州ダヘラ地区に工場を新設。1985年にCD100の生産を開始する。

HHML CD100生産風景(1988年)

HHML CD100生産風景(1988年)

自転車メーカーとして世界最大手であったヒーロー・サイクルを擁するヒーロー・グループと提携し設立したHHML

自転車メーカーとして世界最大手であったヒーロー・サイクルを擁するヒーロー・グループと提携し設立したHHML

初のインド現地生産モデルCD100

初のインド現地生産モデルCD100

 同じく1984年、南部プーネのカイナテック・エンジニアリングと提携し、カイナテック・ホンダ・モーター・リミテッド(以下、KHML)を設立。カイナテック・エンジニアリングは、2ストローク小型エンジンのモペッドを生産販売していたが、ホンダは、インド専用設計のスクーターで市場参入を図る。当時、インドで流通していたスクーターはバジャージ・オートがイタリア企業のライセンスで製造したもので、インドのニーズにマッチしていたとは言い難く、国内メーカーには、それに応えるだけの技術力もなかった。
 「当時インドが求めていたものが、まさにホンダが世界の二輪車市場で培ってきた高い技術力でした」(元KHML社長田中秀夫)
 また、日本で生産している既存モデルもインドの国情に合わせた仕様に変更するなど工夫された。
 「一般的に外装には樹脂を使うことの多いスクーターですが、インドではあえて鉄板を使います。1台の車に長く乗られるお客様が多く、板金修理の可能な鉄板仕様を好まれるためです。また、伝統的に軽さよりも堅牢さを求める傾向があります」(当時 アジア大洋州本部長 五十嵐雅行)

KHML NH100生産ライン(1988年)

KHML NH100生産ライン(1988年)

経済自由化の波に乗り切れず苦戦しながらも技術革新は進む

 インド二輪車市場に参入したホンダだが、順風満帆とはいかなかった。インド専用設計のスクーターで参入したKHMLは、価格・生産・品質の課題を抱えていた。またHHMLは100ccクラスのモーターサイクルを展開するも、スクーターが主流の市場では、スクーターと違ってギア操作が必要で足元に物を載せられず、なおかつ高価格だったため敬遠された。2社ともマーケットで一定のポジションを獲得するには至らず、苦戦は続いた。
 1992年、提携する2社との関係に変化が訪れた。インドは経済自由化政策に舵を切り、50%超の議決件数を取得するマジョリティー出資で会社設立が可能になったのである。まず1994年にHHMLへマジョリティー化を申し入れるが、断られる。HHMLは、次第に経営をヒーロー側が担い、ホンダは株主とライセンサーという立場に後退していく。HHMLは、スクーターよりモーターサイクル市場へ注力し、モーターサイクルが燃費と耐久性が上回っている点を市場に訴求して、より低価格な製品の開発を目指した。そのためには、さらなる燃費と耐久性の向上が必要だ。ホンダは、これを小型モーターサイクルの技術進化のチャンスととらえ、燃費向上の技術開発を進め、インドにおける使い勝手や使用条件などに合わせてきめ細かな改良を重ねていく。1998年には、二輪車・汎用(パワープロダクツ)製品の研究開発部門のホンダR&Dインディア(以下、HRID)も開所した。
 一方、KHMLへは1995年にマジョリティー出資に踏み込んだが、以後も生産・品質対応でパートナーと意見が衝突し、パートナーが自社ブランドのモペッド販売網に対して影響力を維持するなど、実質的な主導権を握れないまま不振は続き、1997年にKHMLを清算するに至った。

加速する経済自由化。100%出資の現地法人が誕生

 インドの二輪車市場は1998年に325万台に乗り、2005年には500万台に達することが見込まれていた。この巨大市場で存在感を高めたいホンダに、大きなターニングポイントが訪れる。1999年、自由化政策がさらに加速して、インドで外資100%の法人設立が可能になったのだ。しかし、そこには条件があった。すでにパートナー関係にあるヒーローの了解が必要だったのである。
 そこでホンダは、ヒーローとのパートナーシップをより戦略的に深め、ラインアップを強化することで合意し、新たにホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア(以下、HMSI)を設立した。念願の100%出資現地法人の誕生である。

KHML NH100生産ライン(1988年)

インドにおけるホンダ100%出資現地法人HMSI

 HMSIの事業展開は、KHML清算により空白となっていたスクーターを中心にスタートした。前述の合意でも、HMSIは設立から5年間はスクーターのみを生産・販売するというHHMLとの取り決めがあった。モーターサイクルを主軸とするHHMLとすみ分けを図るとともに、拡大する市場で多様化するニーズに応えるのが狙いだ。
 「HHMLは、世界のホンダの中でも最も成功している事業です。その良さを最大限に引き出す支援を継続しますし、デリーにある研究所の新製品開発力も強化します。それによって、両者は共存共栄の精神でインドの顧客に満足を与えることができると確信しています」(元専務・アジア大洋州本部長 鈴木克郎)

HHML100万台目のCD100DXを見守るアソシエイトとスタッフ(1994年11月)

HHML100万台目のCD100DXを見守るアソシエイトとスタッフ(1994年11月)

HMSI生産第1号モデル・ACTIVA(アクティバ) HMSI生産第1号モデル・ACTIVA(アクティバ)

 当時、HHMLの業績は右肩上がりで、1997年にはグルガオン地区に第二工場を新設して生産能力も拡大し、2000年度には年間生産実績103万台を達成した。年間100万台突破はホンダの海外二輪車生産拠点として初の快挙だ。同時に、インド二輪業界でも26%のシェアを獲得し、ついにバジャージ・オートを抜いてトップに躍り出た。 新会社HMSIは、デリー市近郊のマネサール工場を新設。日本からの技術支援を受けつつ、全アソシエイトが一丸となってゼロから立ち上げに邁進し、2001年春、着工からわずか14カ月で第1号モデルの4ストローク・100ccスクーター・ACTIVA(以下、アクティバ)の量産開始にこぎ着けた。

提携企業のHHMLが生産販売台数世界一を達成
100%出資の現地法人HMSIも本格稼働

 HHMLの躍進とHMSIの本格稼働を受け、2001年春、ホンダは2003年度に全世界の二輪車販売目標台数700万台の25%に当たる175万台を、輸出分も含めて生産・販売することを発表。両社は着々と成長を続け、2002年1月には計画の1年前倒しも発表された。
 HHMLは、2001年度の生産販売台数が130万台を突破。通期ベースで世界一を達成した。しかし、それに満足してもいられない。急拡大を続けるインドの二輪車市場で揺るぎないNo.1の座を確立するためには、インド向けの最適な商品を企画・立案し、なおかつ現地調達による低コストを実現し、市場に迅速に対応する必要がある。2003年9月、HRIDが初めて開発したモデル・Passion Plus(パッション プラス)が発売された。

HRIDによる現地開発第1弾モデル・Passion Plus(パッション プラス)

HRIDによる現地開発第1弾モデル・Passion Plus(パッション プラス)

 新会社HMSIも好調なスタートを切った。第1号モデル、アクティバが生産開始15カ月で累計生産10万台を達成。インドのミッドサイズスクーター市場において50%以上のシェアを獲得し、2カ月以上もバックオーダーを持つ人気モデルに成長したのだ。さらに、インド国内のみならず、メキシコ・グアテマラ・南アフリカ・トルコ・ネパールなどに輸出して好評を博した。また、2003年には4ストローク・100ccの欧州向けモデル・LEAD(リード)を50cc並の低価格で輸出開始。HMSIが生産するスクーターの販売はインドから世界へと拡大していくこととなった。

LEAD(リード)(欧州仕様車)

LEAD(リード)(欧州仕様車)

共存共栄の関係に一区切り。HHML合併解消、次なるステップへ

 インドでNo.1の二輪車メーカーに成長したHHMLは、2008年にはインド北部のウットラカンド州ハリドワールに第三工場を設立し、年間生産能力は460万台に達した。一方、HMSIはインドでNo.1のスクーターメーカーとなっていたが、2004年、初のモーターサイクルモデル・UNICORN(ユニコーン)を発表。それまでHHMLとのすみ分けによりスクーターに絞って展開してきたが、創業から5年を迎え、モーターサイクルにラインアップを拡大させ、新たな一歩を踏み出していた。そして、HMSIは、2005年には生産台数100万台を達成するまでに成長した。
 両社は、今後も拡大が見込まれるインドの二輪車市場において、さらに多様化するお客様のニーズに応え、互いが発展するためにはどうすべきか、最適な枠組みを探る協議を重ねた。その結果、2010年、ホンダがヒーロー・ホンダ・モーターズ(HHML)の全株式をヒーローに売却し、引き続きHHMLが製品の製造販売を継続できるライセンス契約を結ぶとともに、今後、製造販売する新商品のライセンスも供与することで合意した。
 「インドは巨大な市場であり、ここでの成長は、ホンダの二輪事業の成長に直接つながってきます。安定した成長を維持していくためにも、インド市場での販売台数の拡大は欠かせません。これだけ重要な市場で、顧客や市場とより深く接しながら新興国の事業経営のすべてに携われるのは、ホンダの二輪車市場の将来にとって非常に意義があります」(元アジア大洋州本部長 小林浩)
 ホンダがインドでの二輪車市場開拓に乗り出して四半世紀、共存共栄で発展してきたHHMLとHMSIは、新たな道を歩むことになったのである。