チャレンジの軌跡
創業期の想いと理念を継承、
新時代に挑む
排出ガス規制やオイルショックの影響でクリーンかつ低燃費なクルマが求められた時代、
ホンダは画期的な低公害エンジン「CVCC」の開発に成功。
搭載したシビックが日米で大ヒットした。
そんな中、1973年には本田宗一郎と藤澤武夫がともに退任。
創業期から展開期に向かうための爽やかなバトンタッチが行われる。
1970年代の日本
1973年の第4次中東戦争により原油価格が高騰。そのほとんどを輸入に頼る日本の経済成長率は1974年に戦後はじめてのマイナスに陥った。しかしこのオイルショックがきっかけとなり省エネ・省資源化を促進。産業公害型の環境問題が減る一方、進展する都市化による大気汚染が深刻化し、自動車の排出ガス規制が本格化していくこととなる。
世界の人々のためのベーシックカーになることを目指す
シビック(1972年)
国産小型車のほとんどがFRのセダンだった当時、シビックはトランクのないFFの2BOXとして四隅いっぱいにタイヤを配置。独創的な「台形ハッチバックデザイン」により、それまでにない居住性を実現。国内外で高い評価を獲得し、その名のごとく世界の街角に溶け込んでいった。1973年には、低公害エンジンCVCCを搭載したモデルも登場。
女性ユーザーという新しい市場を開拓
ロードパル(1976年)
イタリアの俳優ソフィア・ローレンが「ラッタッタ!」と声をかけながらタップ(キックペダル)を軽やかに踏むユニークなCMとともに1976年デビュー。大衆価格と自転車感覚の気軽さが受け、販売店には“ラッタッタください”と、ロードパル目当ての女性が数多く訪れた。その後いくつかの派生モデルを展開するなどファミリーバイクの先駆けとなった。
世界市場を目指した3ドアハッチバック
アコードCVCC(1976年)
シビックからの買い換えも視野に入れ、1クラス上の快適性を求めた「ハイグレード・ハッチバックセダン」として登場。発売と同時に国内外で高い評価を獲得し、日米で「カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。スタイリッシュなフォルムと広大な室内空間、さらにパワーステアリングやエアコン、パワーウインドウも採用。時代を先駆ける小型車として絶大な人気を集めた。
「100万台売れるエンジンを開発せよ」
ME(ミリオンセラー)エンジン・シリーズ(1977年)
無謀とも思える目標を達成すべく導き出された開発コンセプトは「丈夫で長持ち、コスト2分の1」。数々の新しい機能・機構を具現化させMEエンジンは1977年6月に発売された。5年後の1982年には、ついに年間販売台数・100万台を達成。MEエンジンは、まさにホンダの総合力を結集してつくられた、汎用にとって記念すべき商品であった。
自動車王国に築いた生産基地
ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリング(1978年)
米国オハイオ州コロンバスの地に設立。現地従業員は「ワーカー」ではなく、共通の目的を達成する仲間「アソシエイト」と称され、品質は日本と全く同等であること、将来に備えて人材を育成することを目標に日本人駐在員によるサポートが行われた。二輪車生産で経験と知識を積み、その後、自動車大国アメリカで日本メーカー初の四輪車生産を成し遂げる。
- ・大阪で万国博覧会開催
- ・光化学スモッグ発生被害、
社会問題化 - ・米国大気浄化法改正法
(通称、マスキー法)成立
- ・ニクソン米大統領、
ドル防衛声明を発表
(ドルショック) - ・ドル円の固定相場制が終了
- ・自動車の資本自由化、
輸入関税引き下げ実施
- ・沖縄、本土復帰
- ・日中国交樹立
- ・道路法改正、
初心者マーク貼付が
義務化 - ・二輪車ヘルメット
着用義務化
- ・石油ショック
(第一次オイルショック) - ・国際通貨危機、円急騰で
日本も変動相場制へ移行 - ・第4次中東戦争起こる
- ・戦後初のマイナス成長
- ・運輸省、保安基準改正
(前席3点式シートベルト
義務付けなど) - ・自動車取得税、重量税を
大幅引き上げ
- ・ガソリン無鉛化スタート
- ・ベトナム戦争終結
- ・仏で第1回先進国首脳会議
(サミット)開催
- ・ロッキード事件で
田中角栄前首相逮捕 - ・10モード燃費
公表制度スタート
熊本製作所稼働開始
イタリア・イアップ・インダストリ
アーレ(IAP)で二輪車生産を開始
シビックシリーズ生産累計 発売以来
4年で100万台を達成
ヨーロッパ耐久選手権で
RCB1000がデビューレースで優勝
ローラースルーGO GO 発売※11
(株)ホンダ用品研究所設立
ブラジル(HDA)で二輪車生産を開始
(CG125)
ファミリーバイク
ロードパル発売
アコードCVCC発売
ふるさとの森 実行委員会発足
- ・排他的経済水域
200海里を設定 - ・日本初の静止気象衛星
「ひまわり」打ち上げ - ・米、二輪車排出ガス
規制を開始
- ・新東京国際空港
(成田空港)開港 - ・中国で改革開放政策決定
(市場経済への移行) - ・53年度排出ガス規制
(日本版マスキー法)
新型車適用を開始
- ・第二次オイルショック発生
- ・ソニー、「ウォークマン」を発売
- ・日米欧首脳による
東京サミット開催 - ・米中国交樹立
- ※10:1965年にC100を100台、郵政省に納入したのを皮切りに、1971年には郵政レッド塗装のホンダデリバリーMD(=Mail Delivery)90、通称「郵政カブ」を開発し、2,625台を納入した。さらに1972年には、14インチタイヤの現在のモデルの原形を完成させ納入。1973年にMD50/70の生産も開始し、人々の円滑な通信にも貢献している。
- ※11:アイデアコンテストの作品が、商品化され大ヒットとなった。 当初、協力メーカーに委託して生産していたが需要に追いつけず、急拠、浜松製作所でも生産をすることになった。ホンダで生産した唯一エンジンのない乗り物である。(浜松製作所では8カ月間生産した)
- ※12:日本酸素(株)とホンダが共同開発した世界初のステンレス製真空二重構造のガラスを使わない魔法瓶、アクト・エルより発売された。現在は日本酸素から分離したサーモス(株)がTHERMOSブランドとして色々な製品が商品化されている。