1985 Honda NSR500 [NV0B]
GP500ワークスロードレーサー

1985 NSR500のレース

text=KIYOKAZU IMAI

スペンサー無双、出場11戦で7勝を飾る

250ccクラスも制してダブルタイトル獲得の偉業

Freddie Spencer on NV0B, 1985 Swedish GP (Photo/Shigeo Kibiki)

写真の中央に写る、4連装のストップウォッチをつけたクリップボードを手にしている人物が、フレディ・スペンサーを頂点に導いた名伯楽であるアーブ・カネモト。右側のアゴヒゲの人物は、のちにワイン・ガードナーやマイケル・ドゥーハンを世界チャンピオンに押し上げたジェレミー・バージェス。手前のサングラスをかけた人物は、のちにカジバなどでクルーチーフを務めたジョージ・ブクマノビッチ。グランプリ界きっての実力者たちによって、1985年のスペンサー+NV0Bの活躍は支えられていた。(Photo/Jiro Ishida)

前年に続いてHRCは、1985年の世界グランプリロードレースにおいて最新鋭のGP500ワークスレーサーをレギュラーで与えるライダーはフレディ・スペンサーひとりとした。1985年シーズンの時点で23歳であった当時のスペンサーは、世界グランプリ最高峰クラスに集った他のトップレベルのライダーたちが見劣りするほどに突出した存在であったのだ。この天才ライダーをしっかり走らせてさえすれば、欲しい結果は十分に得られる。だから彼に集中すればいい、とHRCが考えたとしても無理はなかった。

2代目NSR500であるNV0Bの初陣は、3月8日に決勝が開催されたデイトナ・バイクウイークのフォーミュラ1クラスのレース。その翌々週に開幕する世界グランプリの前に、本命ライダーによって本物のレースを走らせ、問題点を洗い出すことを狙っていた。

AMA(全米モーターサイクル協会)ロードレース選手権専用のトリコロールに彩られてデイトナ・バイクウイークに登場したNV0B。スペンサーは、このマシンで出場したフォーミュラ1クラス、RS250RW(NV1A)で出場したフォーミュラ2クラス、そしてVF750F(RC15)スーパーバイクで出場した200マイルのメインレースのすべてで優勝という離れ業をやってのけた。(Photo/Shigeo Kibiki)

デイトナ・バイクウイークのメインイベントである200マイルレースは、この1985年大会からスーパーバイクによって争われるものとなったため、フォーミュラ1クラスへの出場者の層は厚くなかった。おかげで、NV0Bに乗ったのはこのときが初めてだったにもかかわらず、スペンサーは予選で楽々ポールポジションを奪取。彼のベストタイムは2位のものより4秒以上も速かった。そして決勝も制した。

初めてのレースが世界グランプリ戦より走行距離が長い100マイル(約160km)であったものの、NV0Bはエンジントラブルのような重大な問題を起こさなかった。ただし、何事もなかったわけではなかった。29周で行われたレースの18周目に、左端の1番シリンダーのチャンバーが割れ、出力が落ちてしまったのだ。スペンサーはペースダウンを余儀なくされ、一時は24秒にまで広げていたリードを4.7秒にまで圧縮されながらのフィニッシュとなった。

チャンバー破損に見舞われながらもフォーミュラ1クラスの100マイルレースを走り続けたデイトナでのスペンサー。割れた箇所から漏れる排気ガスの熱によって、アンダーカウルの樹脂が黒く焼け焦げ、溶け出していっていた。出力低下にも見舞われたが、辛くも走り切って勝利した。(Photo/Shigeo Kibiki)