Honda NSR500 [NV0A]
1984 GP500ワークスロードレーサー

1984 NSR500のレース

text=KIYOKAZU IMAI

初代NSRが見せた速さと弱点

1シーズンで計4勝。しかし、ひと筋縄ではいかず

1984 NSR500 [NV0A]+フレディ・スペンサー@第4戦オーストリアGP(Photo/Shigeo Kibiki)

1984年のデイトナ200マイルでトップ争いを繰り広げるフレディ・スペンサー+NV0Aとケニー・ロバーツ+ヤマハYZR700。排気量で約200cc、最高出力で約30psも上回るマシンを駆ったロバーツを相手に、スペンサーは善戦。ここでNV0Aが見せたパフォーマンスは、その後の世界グランプリ戦での活躍を約束するもののように思われた。(Photo/Shigeo Kibiki)

フレディ・スペンサー、ランディ・マモラ、ロン・ハスラム、そして片山敬済。この4名のライダーが、1984年の世界グランプリロードレースにホンダとのワークス契約のもとで出場した。ただし、新開発のV型4気筒エンジン搭載車であるNSR500が与えられたのはスペンサーのみ。他の3名は、3気筒エンジンの従来車、NS500に乗った。つまり、エンジンの下に燃料タンクを配置したマシンは、事実上、スペンサー専用車であった。

この初代NSR500(開発記号[NV0A])は、3月のデイトナ200マイルで実戦デビューした。アメリカの二輪レースで最大のイベントだが、当時は純粋なロードレーサーも出場可能なF1クラスのレースとして行われていた。HRCはこの一戦を世界グランプリの前哨戦と見なし、前年の1983年から最新モデルのGP500ワークスレーサーの力試しをする場としていた。

NV0Aの初レースとなった1984年のデイトナでは、同車の上下逆転レイアウト由来のトラブルがいろいろと発生した。特に多かったのはエンジンの上に回り込んでいるエキゾーストチャンバーに関わる問題で、そのひとつはパイプを大きく曲げているところにクラックが入ること。それこそ、走行のたびに割れが生じた。おかげでHRCのスタッフは、応急の補修を施すために、町の溶接屋へ連日通わねばならなかった。

そして200マイルの決勝でも、レースが3分の2まで進んだところで割れが発生。以後、スペンサーは、異音と振動を出すようになったチャンバーを覆うシェルター(ダミータンク)を、腕などで押さえながら走らねばならなかった。また、4本のチャンバーの熱がライダーに与えた弊害も大きかった。

それでも、NV0Aが見せたパフォーマンスは上々と言えた。まず、予選ではポールポジションを獲得。ケニー・ロバーツが駆った排気量695ccのヤマハYZR700(デイトナ専用車)を、排気量499.2ccのマシンで上回ったのだから、スペンサーのライディングの素晴らしさがあったとはいえ、NV0Aもよく走った。そして、決勝でもスペンサーは2位に入った。

NV0Aはスピードもあったし、レースタイムがおよそ2時間と、世界グランプリ戦の倍以上の時間を走るここデイトナで、エンジントラブルなどを出さずに乗り切ってみせたところは頼もしかった。