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RA121E

1991McLaren Honda MP4/6

開発陣の夢だった、V12エンジンでの成功

1986年より5年連続でコンストラクターズ・チャンピオンに輝いてきたHondaF1エンジンだが、ライバルたちの猛追をうけており、3.5ℓ自然吸気(NA)エンジン規定3年目の1991年にいよいよV型12気筒の実戦投入を決断した。「V10の軽さを維持しながらも、より高い出力が望めるV12」を研究開発のコンセプトとした。

また、この年の8月に天寿をまっとうした創業者の本田宗一郎が最も好んだエンジン形式がV12であったことも、HondaがRA121Eを開発した動機のひとつだった。

RA121Eは、1989年から2年間の研究開発期間をかけている。バンク角60°のV型12気筒DOHC4バルブエンジンで、ボア×ストロークは86.5×49.6㎜の3497cc、最高回転数13,500rpm、最高出力735馬力以上、重量150kgと発表した。

新開発のエンジンながら、幸運なことに開幕戦から4連勝を挙げたが、その直前までトラブルに悩まされていた。車体との結合部の剛性不足から振動が出て、特にアイルトン・セナから不満が出ていた。また設計上は問題がなかったにもかかわらず、ピストンがシリンダーヘッドに当たる問題に遭遇。解決までに試行錯誤を繰り返した。それでも実戦においてRA121Eのトラブルでリタイアとなるケースは少なく、ポイントリーダーのアイルトン・セナはシーズン序盤戦で大量リードを築いていった。

シーズン中の開発競争は激化の一途

しかしライバルたちの燃料開発や車体の電子制御技術などの技術進化によって、1991年はHondaエンジンの独擅場が脅かされるシーズンになった。加速化するパワー競争に対応し、RA121Eもシーズン中盤の第8戦イギリスGPでボアアップ版を投入している。その後も実戦エンジン開発運用とは他に将来の開発を模索する別働隊が組織され、第11戦ベルギーGPで投入された可変吸気管長システムもこのチームの開発したものであった。このシステムはエアファンネルの長さをスロットル開度に合わせて変えることで、各エンジン回転数に理想的なエンジントルクを得るもので、多気筒高回転化、さらにボアアップによって低速トルクが犠牲になりがちなRA121Eのトルク特性を改善させるものだった。

またこの年は燃料開発の戦いがエスカレートしていった。各エンジン供給マニュファクチャラーと燃料メーカーの共同開発で生み出される、いわゆる特殊燃料の効果は絶大で、Hondaも当時マクラーレンの燃料&オイルサプライヤーだったシェルの協力を得て対抗し、予選時には100馬力のパワーアップを成し遂げた。エンジン本体開発を1年間続けて得られる出力向上が20馬力あれば上出来であったことを考慮すれば、いかに凄まじい数字であったかが理解できる。

1991年シーズン全16戦中にRA121Eは8回の優勝を獲得し、勝率50%を記録。6年連続のコンストラクターズ・チャンピオンと5年連続のドライバーズ・チャンピオンをもたらした。

McLaren Honda MP4/6