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RA168E

1988McLaren Honda MP4/4

ターボ全面禁止への過渡期に、最後までターボで戦う

1988年のF1は、1.5ℓターボチャージャー・エンジンの最終年になった。

翌1989年からの3.5ℓ自然吸気(NA)エンジン一本化となる移行期となったこのシーズンは、NAエンジンの参戦が認められる一方で、ターボエンジンには厳しい規制がかけられた。最大過給圧は4barから2.5barに引き下げられ、最大燃料積載量も195ℓから150ℓに制限された。一方で3.5ℓNAエンジンには燃料積載量の制限はない。

もちろん、ターボエンジン禁止の段階的実施は周知の事実だったため、Hondaは1987年より3.5ℓNAエンジンの研究開発に着手し、いち早く対応する準備を行っていた。

したがってその過渡期となった1988年シーズンに対し、厳しく制限されたターボエンジンの研究開発を継続するか、あるいは新開発のNAエンジンで勝負するのかを、戦略的に決定しなければならなかった。おおいに悩んだ末にHondaは、ターボエンジンの研究開発続行に価値ありと判断した。ライバルのエンジン・サプライヤーたちがNAエンジン開発へ一斉に舵をきった結果、ターボエンジン開発が手薄になるというような読みからの判断ではなく、厳しく規制され幾多の困難が予想されるターボエンジンであっても、研究開発に限界はなく、すべてやり切るまでチャレンジすべきという強い意志によるものであった。この考え方そのものが、本田宗一郎が提唱したHondaのチャレンジングな技術哲学である。

供給先は昨年までのロータスと、新たにウイリアムズから切り替えたマクラーレンの2チームになった。マクラーレンは初めてパートナーとなるチームなので、その車体とエンジンのマッチングにおいて不具合が発生する可能性が高いこともHondaは承知していた。

勝率93.75%。当時のF1史上最強エンジンとなる

こうして開発されたのがHonda RA168Eであった。この時点で考えられる限りの改良技術が詰め込まれたと言っていい研究開発の末に仕上がった1494cc水冷V型6気筒ツインターボエンジンである。

出力向上と燃費性能の両方を狙い、シリンダー直径は79.0mm、ストロークボア比0.643とRA166Eから実績あるロングストローク・タイプを採用した。バルブ挟角32°でピストン頂部がフラットであり、極力コンパクトに形成した燃焼室は9.4の圧縮比である。ターボチャージャーに一部マグネシウム合金を採用し、エンジン本体も諸元と寸法を見直すことにより全装備状態で146kgまで軽量化することができた。

ターボチャージャーはセラミック翼にしてボールベアリング軸受けを採用しレスポンスを改善した。ノッキング対策では燃料研究の結果、トルエン84%・ノルマルヘプタン16%の特別な燃料を用いた。過給圧、吸入空気温度、燃料温度、混合気濃度、燃料噴射量、点火時期などすべての運転条件を見直し、あらゆる状況に応じた最適なコンピュータ制御をほどこした。その結果、最高出力は685馬力を発生したと公開された技術報告書にある。

マクラーレンの車体とのマッチングは予想どおり多くの不具合問題を起こしたが、Hondaが車体技術に踏み込んだ解決策を提案するなどして問題解決が図られた。こうした努力の結晶としてHonda RA168Eを搭載したマクラーレンMP4/4は、1988年シーズン全16戦中15戦で優勝し、勝率93.75%という圧倒的な強さを発揮した。

2年連続のドライバーズ・チャンピオンと3年連続のコンストラクターズ・チャンピオンを獲得し、HondaF1エンジンの時代を着実に積み上げていった。

McLaren Honda MP4/4