今年4月、Hondaは「The Power of Dreams」を23年ぶりに再定義し、新たに副文「How we move you.」を発表。日本語に訳すと「夢の力であなたを動かす」です。この副文を具現化する存在が、観る人に夢と感動を与えてくれるレーシングドライバーたち。本特集では、日本人ドライバーへのインタビューをお届けします(全4回)。
2人目は、2017年、2020年と2度のインディ500制覇を達成した佐藤琢磨選手。現在はHonda Racing School Suzuka(HRS)のプリンシパル(校長)も務める琢磨選手のインタビューを2回にわたりお届けします(※前編の記事はこちら)。後編では、琢磨選手がHRS四輪ドライバー育成のトップであるプリンシパルとしてどのような想いでHondaのモータースポーツの未来を担う生徒たちを育ててきたか、を伺いました。
佐藤琢磨(さとう たくま)
さらに表示人の心を動かすことができる人材の育成に注力
2023年9月6日、日本グランプリ開幕が迫る鈴鹿サーキットでは、次世代のドライバー育成機関Honda Racing School Suzuka(HRS)によるスカラシップ選考会が開催されました。
今年度のスカラシップ選考会に進む生徒は計8名。ここに至るまでに、Formulaクラス入校のためのアドバンス選考会STEP1、STEP2の審査を通過してきた有望な若手ドライバーたちです。STEP2の審査を通過しFormulaクラス アドバンスコースの受講資格を得た生徒は、国内外さまざまなカテゴリーで活躍する現役ドライバーの講師たちから直接指導を受け、最終的にスカラシップ選考会へと進んでいきます。この中でも、特に優秀な成績を収めた数名のドライバーにのみ、次年度のFIA-F4など公式フォーミュラカーレースへの挑戦権となるスカラシップが与えられるのです。
4日間で16時間、生徒たちは、このスクールのために専用開発されたフォーミュラカーを鈴鹿サーキット 国際レーシングコースで実際に操り、その技術を競い合います。走行の合間、身振りを交えながら熱心に生徒たちに想いを伝える講師陣のなかに、佐藤プリンシパルの姿もありました。
Honda Racing School Suzuka(HRS)の四輪ドライバー育成のトップであるプリンシパルという立場で、さらには鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(現Honda Racing School Suzuka Formulaクラス)の卒業生として、そして、現役ドライバーとして後進たちに伝えなければならないことがたくさんあるとのことでした。
インタビュー前編(https://global.honda/jp/stories/078/)で、夢を叶える原動力は熱意だと語っていた佐藤プリンシパル。鍵となるのは、人の心を動かす魅力だといいます。
F1ドライバーになりたい、その為にはひとつひとつの階段をトップで上がっていく必要がある。スクール時代の自分は頑なにそう思っていたし、あらゆる可能性を信じていました。だからスカラシップを獲得しなければその先はないんだと自分に言い聞かせていたし、その目標を達成する為には一切の妥協も許しませんでした。
当時そういう姿勢をスクールが受け入れてくれたことに感謝していますし、その後のキャリアにおいても、自分の取り組み方は基本的に変わっていません。幸運なことに本当にたくさんの方々に支えられ、長年に渡り第一線で挑戦させて頂いていますが、それを実現するための突破力はスクール時代に培われたものだと思っています。
レースに勝ちたいというドライバーの熱意があり、それを応援したいと思ってくださるファンの方々がいて、ともに夢を叶えたいと思ってくださるチームやメーカー、そして支援して下さるスポンサーさん、その全員の想いがひとつになり、プロジェクトは動き出す。結局のところ、人が人を応援する。人の魅力が大切なんです。
純粋にタイムの速さだけを求めるならHRSは必要ないですよね。レースで勝っている選手と契約すればいい。でも、そうしないことにHondaらしさがあるのだと思います。それはHondaがずっと人を、人とのつながりを大切にしてきたからです。ものづくりにとことんこだわるHondaは、人の手で作り出す技術と製品によって、多くの人を幸せにすることを目指している。自分がF1に参戦していたHonda第三期F1の現場では、半年ごとに若いエンジニアやメカニックをF1に連れてきては、研究所に戻すという人材育成をしていました。
机上ではうまく行っても、レース現場では複雑に絡み合う要因によって、予測不可能なことも起こり得るし、その対応や対策が瞬時に求められます。常に時間と結果に追われる凄まじいプレッシャーのなかで、個人の技術だけではなく、新しい仲間とその技術力をさらに磨き上げ、一人の力ではなし得ないことをチームの力でなし得ていく。そのような異文化コミュケーションをレース現場という極限の環境下で経験することで、多くの人の心を動かせる技術者を育てることに重きを置いていたんだと思います。
つまり、ドライバーも同じなんです。速いことはもちろん絶対条件です。でも速さだけではない。必要なのは求心力。人の心を動かせる人になる。HRSの存在意義はそのような可能性を持つ若いドライバーを発掘、支援し、育成していくことにあります。スクールは速く走るためのスキル向上の場だけでなく、心を育む場所であるべきなんです。
心の育成、人との繋がりの大切さを教える佐藤プリンシパル。それらも評価に結び付けられるよう、昨年より導入したのがタレントマネジメントシステムでした。
タレントマネジメントシステムを導入し、期待値を数値化
人の心を動かすことのできる魅力とは何なのか。それは新たに何かを生み出す面白さ、未知の世界への挑戦、期待感なのではないかと佐藤プリンシパルは考えました。それらを追い求めるためにデロイト・トーマツ・コンサルティングと共同開発したスポーツ分野特化型のタレントマネジメントシステムを導入し、走行結果はもちろん、フィジカル、トレーニング内容、成長記録などのあらゆるデータを一括管理。選手の強みや弱みを科学的に算出し、多角的に評価する仕組みを整えました。
2023年度も昨年同様に、走行の始まった春からスカラシップ選考会最終日までのすべての走行を「計測走行」し、模擬レースにあたる「セット走行」では実技点を加算。単純な順位だけでなく、タイム差、頑張りに対する講師の評価といった細かな内容まで偏差値制度を導入し、評価の精度を上げてきました。
人の魅力は、その人への期待です。将来性を数字にしてくださいと言われても難しいですよね。たとえば、ある2人の生徒を比較して、現状スピードがあるのは一方の生徒だけど、将来的には逆転してもう片方の生徒が伸びていく可能性がある、ということだってあります。言うのは簡単ですが、講師の主観だけで可能性を決めつけるのって、生徒たちにとってはたまったものではないですよね。
講師だって人間ですから完全に将来性を読み切ることはできません。だから各講師の評価をデータで科学的に裏付けすることができれば、期待値を測る精度は上がっていくんじゃないかと考えたんです。
さまざまな視点で評価をし、より精度を上げていくこと、そして、定性、定量のバランスが重要だと考える佐藤プリンシパル。過去に定性的評価だけでは理解されない、そんな苦しい体験があったからこそ、タレントマネジメントシステムを昇華したいという想いを強くしたとのことです。
岩佐歩夢選手の可能性にいち早く気づき、Hondaに直訴
プリンシパルに就任して4年目を迎え、これまで多くの生徒を送り出してきました。そんな佐藤プリンシパルにとって、F1に最も近いレーサーとして注目を集める岩佐歩夢選手への指導は特に思い出深いといいます。
岩佐選手は2019年、佐藤プリンシパルがHRSのプリンシパルとして仕事をした最初の卒業生に当たります。現在にもつながる改革の一手は既にこの時から始まっていました。
スクールを次のステージに上げたいというHondaの要望がありました。これまでずっと続いてきた鈴鹿レーシングスクールの良きところは活かしつつ、時代とともにもう一歩進化しないといけない部分は新たにメスを入れるべきだと。指導哲学についてのディスカッションや、新型スクールカー導入についてプロジェクトが動き出したこともそうです。また卒業後のケアも含めると、順当なステップアップとしてプログラムされている、国内F4のステップアップのみならず、特別配置ということで早い段階での海外スカラシップも視野に入れました。
当時フランス自動車連盟(FFSA)との連携も始まりつつあったタイミングでの提案でしたが、スクールからの最初の打診ではHondaから”NO”を突きつけられました。そこで青山のHonda本社まで出向き、直談判したといいます。
将来性に賭けて投資をするのはわかるけれど、実力をどうやって測るんだと問われました。だから、岩佐とともに、当時すでに国内F4のチャンピオンに輝き、ホンダの若手選手ではトップの実績を積んでいた佐藤蓮も一緒に連れていきましょうと提案しました。海外スカラシップが久々に復活するということで盛り上がりましたが、必ずしも既定路線ではないんですよ。スクールやF4のなかで、生徒たちにとってベストなステップアップをサポートしたいと思っています。ドライバー目線のサポート、次なる挑戦への橋渡しができたらいいなと。
結果的に岩佐選手は期待以上のパフォーマンスを見せ、初年度にフランスF4チャンピオンを獲得。いまやF1に最も近いドライバーとして、国を代表するドライバーに育っていきました。
そこまで確信をもって交渉できたのは、スクールで本当に身近に接して彼の成長を見守ってきたからです。期待に応えてくれた岩佐は本当に頼もしいですし、佐藤蓮も大きく成長しました。将来の可能性を数値化していくというタレントマネジメントシステムの原点はこの時に生まれました。
挑戦の舞台に立ち続けられる人になってほしい
デロイト・トーマツ・コンサルティングのサポートを受けながら3年かけてようやく完成させてきたタレントマネジメントシステムを、去年のスカラシップ選考会から本格導入。ここからはデータを収集しながらさまざまな係数をかけ合わせて構築してきた仕組みをブラッシュアップし、確立していく段階に入っていきます。
フォーカスすべきは、ステップアップしていったとき、いかに実力を発揮して結果を残し、成長し続けていく強さを身につけるかにあります。タレントマネジメントシステムの導入で、講師陣の評価がデータによって数値的にも裏付けされ、生徒たちの成長をより公平に、正確に把握できるようになった。
そしてクラウドシステムを使うことで、どこからでもリアルタイムに状況が把握できることです。そういう環境が整い、スクールでの各々の成長を見ることで「人の心を動かすことのできるドライバー」を見出し、サポートしていきたいということなんです。
2023年度のスカラシップ選考会では4名の候補が選ばれました。この場所まで来られた生徒、来られなかった生徒もいて、スカラシップ選考会もまたそのような大きな岐路となりました。そんな中、夢を追いかける若い人たちへのメッセージを佐藤プリンシパルにお願いしました。
(角田)裕毅も今や日本を代表するドライバーですが、彼もスカラシップは取っていません。今日、選考会の手伝いに来てくれていたドライバーたちも、F4で活躍していますが、彼らの中にも首席ではないメンバーもいます。スカラシップがすべてではなくて、選考会という場に立てたこと、ここで学んだもの、想いをエネルギーに変えて次の挑戦に進んでほしいですね。
人間は誰だって失敗したくないと思うものだし、挑戦することは大変な勇気がいるものです。あらゆる情報を容易く知ることができる世の中にあっても、自ら行動して挑戦の場に立つことができる人はまだまだ多くありません。社会も世界も甘くはない。だからこそ、スクールでは思い切り挑戦して欲しいのです。限界を超え、失敗し、課題を克服する答えを自ら見つけ、自身の限界をもう一段上げる。そのプロセスこそが成長なのですから。挑戦し続けることのできる人だけが、夢をつかむことができる人なんだと僕は思っています。
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生徒たちが目指しているF1はとても厳しい世界です。今おこなっているスカラシップ選考会でも生徒同士はライバルですが、あくまで同じスクールのクラスメイトであり、互いに技術を高めながら支え合える仲間です。
しかし、スクールの外に出て世界で戦っていくことになれば誰も守ってくれない、孤軍奮闘の世界が待っています。自分の力ではどうすることもできないこともある。それでもその道を切り拓けるのは彼ら自身しかいません。その為にはどのような力を身につけなくてはならないのか。それに気づくための後押しをするのが、私たちの役目だと思っています。