出遅れたケニア市場への参入
巻き返しを図る秘策は、小さな「町工場」
東部アフリカ地域の経済中心地として発展したケニア。首都ナイロビに限らずさまざまな都市で、市街地を中心に道を行き交っているのが小型バイクである。そのほとんどが「ボタボタ」と(「ボダボダ」とも)呼ばれるバイクタクシーで、2000年代後半から急激に増え始め、2010年ごろには二輪車市場の約9割を占めるようになっていた。しかしそこは、ほぼ中国製とインド製だけのマーケットであった。
ホンダは、1979年から現地のディストリビューターを通じて二輪車の販売・サービスを行っていたが、バイクタクシー市場への参入は、大きく出遅れていた。
2011年12月、東アフリカ地域でのビジネス基盤を構築すべく、ナイロビに現地事務所を開設。市場情報収集を開始した。ホンダの二輪車に対する知名度はまったくなく、独自の販売・サービス網もない中で、市場規模はまだ小さいものの、さらなる拡大が見込めるケニアにおいては、1日でも早く現地で生産を開始し、ホンダ製バイクタクシーを世に送り込まなければならない。ケニア二輪車市場で巻き返しを図る挑戦が始まった。
ケニア地方都市での交通手段の中心となる自転車・二輪車・三輪車のタクシー
ホンダには、成長が見込める地域で生産活動を始める場合、小さく始めて大きく育てる、という基本的な考え方がある。まずは少量生産から始め、需要の拡大を見極めながら生産規模を拡充していくという戦略である。そして、この考え方をさらに発展させ、新興国のような小規模市場の地域で、期間も費用も最低限に抑え生産を開始できる、KDP(かんたん・どこでも・パック)という新戦略が考えられていた。いわば「町工場」からのスタートである。この戦略を、ケニアで実践することになった。
2013年3月、ナイロビ市内の工業団地にある貸倉庫に、二輪車の生産・卸販売事業を軸とする現地法人ホンダ・モーターサイクル・ケニア(以下、HMK)を設立した。初代社長に就任した今里康弘は、数カ月にわたる現地調査を続けていた。バイクタクシーのドライバーに直接話を聞いて回ると、インド製二輪車は燃費や耐久性が良く人気が高まりつつあった。中国製よりも価格は日本円で1万円から2万円ほど高めだが、品質の良いバイクを求める人が増えてきたと実感した。ホンダ車はインド製より多少上の価格帯を想定していたが、今里は品質に物足りなさを感じているお客様に、サービスを含めてホンダの品質をアピールできると確信したのである。
ナイロビ市内に設立されたHMK
同年7月になると、ホンダ二輪車生産のマザー工場である熊本製作所から工場立ち上げのエキスパートたちがケニアに到着した。まずは貸倉庫を「町工場」に仕立てるべく、フォークリフトを使いながら資材を運び込み、わずか数日で簡単な製造ラインが完成。これぞ「かんたん・どこでも・パック」たるゆえんであった。
続いて現地スタッフの育成が始まった。採用したのは7名。バイクの組み立ては全員が未経験。KDPは自動化設備を導入しないため、どの工程もほぼ手作業になる。しかもリーダーとなる2人のスタッフには、全工程を熟知してもらうためにも、一台のバイクすべてを組み立てられる技術を習得してもらわねばならない。日本人指導員の帰国後も、スタッフ全員を指導する必要があるからだ。
指導役の中心となったのは、当時、熊本製作所の技術主任を務めていた鶴田博光だった。鶴田は海外工場立ち上げの技術指導員になって25年のベテランで、約20カ国で指導を行ってきた。しかしKDPは初めての試みであり、それまでとは勝手が違った。しかも、指導期間は約1カ月しかない。鶴田は頭の痛い日々が続いた。
組み立て工程の中でも特に難しいとされる作業の一つが、フロントフォークと前輪を含めたフロント部の組み付けである。微妙な合わせ具合がハンドルの操作性や乗り心地に直結する。ホンダの品質が問われる重要な部分だ。職人的な感覚で覚える工程でもあるため、コツを伝えるのに苦労した。そこで帰国を控えた鶴田は、作業手順をイラスト化したマニュアルを自作し、リーダーに手渡した。ポイントとなる箇所が図解され、ミリ単位の数値で明示されていた。指導員が帰国した後でも、自分たちで技術を習得できるようにしたのである。自主自立こそが現地生産の基盤強化になるという、鶴田の強い想いが込められていた。
同年10月から本格的な生産がスタートした。新たに採用された現地スタッフが増え、2人のリーダーは彼ら全員を統括していた。ケニアの町工場で、ケニアのスタッフによってラインオフしたバイクタクシー用モデルが、11月に発表された。工場立ち上げから、わずか4カ月でのお披露目となった。
ケニアの町工場で、現地のスタッフにより、ほぼ手作業でバイクは生産された
販売網の拡充と質の高いサービスで地道に、着実に、成長を続けるHMK
ケニア市場に、バイクタクシー仕様のAce125が投入された。ナイジェリアで2011年に発売され、2013年にマイナーモデルチェンジしたAce CB125を、さらにケニア市場向けに仕立てた仕様であった。ナイジェリア仕様と同様に、耐久性や燃費に優れ、運転者と後席2名が乗車できるロングシートを装備し、未舗装路も多い道路事情に合わせて泥の詰まりにくいタイヤを採用した。さらにケニア仕様では後席用にフットレストを追加し、ホイールをスポークからキャストタイプに変更した。これらはケニアのバイクタクシードライバーへの聞き取り調査で得た情報を製品に反映したものであった。
発表の翌日、HMKは早速バイクタクシードライバーを対象にした試乗会を行った。地方都市の一つであるキタレのバイクタクシーが集まる中心街。一から開拓し立ち上げた販売網の、その1号店の前が試乗会場となった。Ace125が到着すると、ドライバーたちが続々と集まってきた。社長の今里も積極的にPRした。ドライバーたちの評価は「このバイクはかなりいいね」「ハンドルも扱いやすそうだ」「スピードもいい」「乗り心地もいいからお客さんも喜ぶんじゃないかな」と、上々だった。今里は、これから地道に1台ずつ売ってホンダ車が増えていけばいいと、目頭を熱くした。
HMKは販売網の拡充を図ると同時に、サービスを充実させることで、中国製やインド製とは違うホンダならではの確かな品質をお届けできると考えていた。ケニア国内の店舗数は2014年末までに26店舗、2017年初頭には55店舗まで拡充し、その後も着実に増やしていった。サービスについては、サービスクリニックと称する無料点検キャンペーンを実施。HMKのメカニックが、時には国境に近い辺境の地までさまざまな店舗を巡回し、店舗のメカニックとともに整備点検を行った。また、点検を受けたお客様にはホンダロゴ入りジャケットをプレゼントするなど、さらなる拡販につながる施策にも取り組んだ。2018年には、サービスクリニックとともに安全運転講習も開催。3エリアで実施し、1,000名以上が参加するなどHMKの活動がお客様に浸透していった。
HMKの前に集まったAce125バイクタクシードライバーたち
さらに同年、より低価格な新型小型二輪車CG110がラインアップに加わった。基本的な性能や装備はナイジェリア仕様と同等のバイクタクシー用だが、リアキャリアをより大きくするなど、ケニア仕様となっていた。2019年以降も、Ace125は根強い需要を取り込み、Ace110も徐々に販売台数を増やしていった。その後、Ace125Tuffも加わり、より充実したラインアップとなっている。
2013年に、小さな町工場は生産能力2万5,000台/年で稼働を開始した。その後、一部設備を追加するなど、2023年現在、3万5,000台/年まで拡充した。わずか5店舗でスタートした販売網は、2022年、111店舗まで拡大した。HMKは、今後も大いに期待できるケニア市場で、着実に成長を続けている。
可能性を秘めた「地球最後のフロンティア」
さらに続くアフリカ市場への挑戦
多種多様な国・文化が集まるアフリカ市場。経済状況を見れば、10年ほど前のアジア諸国の水準と同一規模の新興国が多く存在しており、ホンダは今後も人口と所得の急拡大が予想される有望な市場と捉えている。多くの国が課題を抱えながらも、世界市場で「地球最後のフロンティア」と呼ばれるゆえんもそこにある。
2023年3月、欧州・アフリカ・中東地域本部 アフリカ中東事業部 部長を務める山下孝幸は、アフリカ事業のこれからについて、次のように語った。
「ホンダはアフリカで1980年代からビジネスをスタートし、地域の成長とともに歩んできました。しかしながら、脆弱なインフラなどにより社会・経済的に不安定な課題を抱えている地域でもあります。そのような厳しい状況下に直面した時、ホンダはアイデアを出して乗り越えてきました。それはアフリカ市場開拓への挑戦そのものです。今後も、過去と同様に厳しい環境が待ち受けていると思いますが、そのような局面でもこれまで以上に、『あきらめずに、チャレンジし続ける』精神のもと、さらなる成長を目指していきたいと思います」
ユーザーの特色に合わせた安全運転普及活動を推進
HMN内施設で開催される安全運転講習
1989年に、当時の主要顧客であった法人ユーザーを対象に、日本の鈴鹿で研修を受けたインストラクターによる実技指導も含むセーフティライディングスクールをスタート。その後も対象者を広げ、警察の白バイ隊には大型バイクCBX750の講習を、バイクタクシードライバーには後席に人が乗車した状態での講習を実施するなど、安全運転の普及と健全な二輪車市場の発展に注力している。