レースを走れずに終わった最終モデル「NR4」
4ストロークの長所を武器に雨の鈴鹿200kmで勝利をつかむ
1981年オーストリアGPを行く片山敬済&NR3。この年もNRプロジェクトはライダー1名の体制で世界グランプリに挑んだ。(Photo/Shigeo Kibiki)
3代目のNR500であるNR3は1981年のシーズン開幕と同時にデビュー。まずは、この年からホンダがワークス参加を開始した全日本ロードレース選手権の鈴鹿サーキット開催レース2戦に出て、2戦目の日本GP(※当時は全日本戦として開催されていた)でNR500の開発ライダーでもあった木山賢悟により4位を得た。
ヨーロッパでは、この年も片山敬済が唯一のホンダワークスライダーとして戦ったが、NR3は性能向上を示しつつもトラブルを相次いで起こし、リタイアを繰り返した。とどめは5月のフランスGPで、漏れ出した自車のエンジン冷却水に乗って片山は転倒し負傷。次のユーゴスラビアGP、そして日本で予定されていた鈴鹿200kmへの出場のキャンセルを強いられた。
1981年鈴鹿200kmを走る木山賢悟&NR3。予選も決勝もウェットコンディションとなり、NR500の扱いやすい出力特性と木山の奮闘が最高の結果をもたらした。(Photo/Honda)
その1981年の鈴鹿200kmでNR3は、長円形ピストンエンジン車による史上初の、そして結果的には最後となる公式戦優勝を飾ることになった。
大会名のとおり200km、鈴鹿サーキットを34周するレースであり、2ストローク勢は途中での給油が必須だったが、4ストロークで燃費に勝るNR500は無給油で走り切ることができた。加えて、予選も決勝も雨天で行われたため、2ストロークの比でない広さのパワーバンドを持つNR500の柔軟な出力特性がウェット路面で強力な武器となった。さらに木山の優れたライディングも相まって、NR3はレース後半には首位に。その後、さらにペースを上げてライバルを突き放し、かけがえのない勝利を得たのだった。
NR500に初優勝をもたらした木山。表彰式では、レースで被っていたヘルメットを観客席に投げ込むなどして喜びを弾けさせていた。(Photo/Honda)
NR500の勝利に沸いた鈴鹿200kmの次にNRプロジェクトが臨んだレースは6月最終週のダッチTTで、完全ダブルクレードルのNR3-2Xフレームに、ミシュランの新型16インチフロントタイヤに対応するジオメトリーを与えた「2.5X仕様」の車体と、130PS目前まできた2Xエンジンを持ち込んだ。このNR3-2.5Xを駆り、片山敬済はレース終盤には10番手を走行。NR500の世界グランプリ初ポイント獲得が見えてきた。ところが、最終ラップでACジェネレーターのローターが破損してしまいリタイアせざるを得なかった。
NRプロジェクトは、続くベルギーGPとサンマリノGPへの出場を取りやめ、NR3-2.5Xを携えて北米大陸へ向かった。カリフォルニアのラグナセカ・レースウェイで開催されるレースに出場するためであった。