1980-1982 Honda NR500 [NR2/NR3/NR4]
GP500ワークスロードレーサー

2万2000回転まで回したスペンサー

text=KIYOKAZU IMAI

1981年イギリスGPを走るフレディ・スペンサー&NR3。2ストローク車がひしめくなか、4ストロークエンジンのサウンドを唯一轟かせながら激走した。(Photo/Shigeo Kibiki)

可能性が示された1981年ラグナセカ&イギリスGP

レースを走れずに終わった最終モデル「NR4」

1981年7月、NRプロジェクトは2.5X仕様のNR3をAMAロードレース選手権のラグナセカ大会に持ち込んだ。それは特別な一戦であり、AMAのレギュラーライダーたちに加え、当時現役の世界グランプリ王者であったヤマハのケニー・ロバーツなどがエントリーしていた。そこへホンダはNR500で挑むことにしたわけだが、そのライダーにはフレディ・スペンサーを起用した。

このときまだ19歳であったスペンサーだが、彼のことをホンダは世界チャンピオンになる逸材として早くから目をつけており、1980年の暮れには日本へ呼んで鈴鹿サーキットでNR500をテストさせていた。そこで彼が乗ったのはTフレームのNR2だったが、初めてのコースとマシンでありながらスペンサーは500ccクラスのコースレコードに近いタイムをいきなり叩き出した。そして1981年7月のラグナセカでも、本番1週間前の事前テストで初めてNR3に乗ると、やはりレコードに迫る速さを見せていた。

果たせるかな、スペンサー&NR3は7月19日の決勝の前日に5周で行われた予選ヒートレースを制した。それも、ヤマハYZR500に乗る“キング”ケニー・ロバーツを突き放しての勝利。2年にわたって国際舞台で結果を残せず表情を曇らせ続けていたNRプロジェクトの面々は溜飲をついに下げることができたのだった。

ただし、ラグナセカ戦の本番である2回の決勝ヒートレースで、スペンサー&NR3は結果を残せなかった。ヒート1では6周目にバルブスプリングが折損。タコメーターを見ず、エンジン回転が伸びなくなったところでシフトアップするという高負荷なスペンサーの乗りかたによって、NR500のエンジンは未知の領域である2万2000回転まで回され、バルブスプリングが限界を超えてしまったのだ。また、ヒート2ではプラグコードの接点が外れてリタイアしたが、これも2万2000回転という高回転運転から来たものと考えられた。

しかしながら、そこまでエンジンを回してポテンシャルを出し切ればNR500はあのケニー・ロバーツの前だって走れると実証されたのはNRプロジェクトにとって大きな収穫だった。

NR500で1981年イギリスGPに挑んだスペンサーは、彼が不慣れであった押し掛けスタートで大きく出遅れたが、それからは圧倒的なスピードで突っ走り、並み居る2ストローク勢をところ構わず次々に抜き去っていった。(Photo/Honda)

ラグナセカ戦の翌々週には世界グランプリのイギリスGPがあった。このレースに出場した唯一のNR3-2.5Xに乗ったのは、正規ライダーの片山敬済ではなく、スペンサー。すべてを察していた片山が、イギリスGPを走る役はスペンサーに譲ったのだった。

エントラントの層が一段と厚い世界グランプリ戦ではラグナセカでのAMA戦のようにはいかなかったが、それでもスペンサー&NR3は予選で11位につけた。決勝ではスタートで大きく後れ、出走した40台の最後尾近くからレースを開始。それからの数周において19歳のアメリカ人ライダーがNR500で見せた走りは凄まじく、4周目には5番手にまで浮上するという驚異的な躍進を見せた。

だが、NR3の2Xエンジンは5周目にして息の根を止めてしまった。またもスペンサーは、2万2000回転とも2万3000回転とも言われる掟破りの領域まで回して走っていたのだ。そこまで回されると、特殊材料であるマルエージング鋼の改良版MAS-2で作った特別なバルブスプリングでももたなかった。

NRプロジェクトのスタッフたちはもちろん落胆した。しかし、NR500が世界グランプリにおいても明らかな速さを示し、このマシンを見るヨーロッパの人々の目を変えさせたことは確かだった。

スペンサーがNR500に乗りラグナセカとイギリスGPで見せた速さは、NRプロジェクトのスタッフたちに大きな喜びと自信をもたらした。(Photo/Honda)

まだまだ速くできる──それは、NR500の開発に携わってきたスタッフたちに共通する思いであった。とはいえ、その思いを果たすのは困難であることを彼らは理解していた。なぜなら、このときのNRプロジェクトは、もう一方で進めていた新型GP500ロードレーサー「NS500」の開発の最終局面を迎えており、NR500はもはや本命マシンではなくなっていたからである。