1980-1982 Honda NR500 [NR2/NR3/NR4]
GP500ワークスロードレーサー

レースを走ることなく終わったNR4

4代目のNR500であるNR4が搭載した3Xエンジンのシリンダーヘッド。各気筒に8本ある吸・排気バルブの径は吸気側が18mmで排気側が16mm。歴代NR500の本番車用エンジンでは一貫してこのサイズだった。(Photo/Honda)

NR500の1982年世界グランプリへのスポット参戦3戦目はイギリスGPであった。ロン・ハスラムが乗った改良版NR3-2.5Xは、このレースではキャブレターに不具合を抱えてしまったが、母国グランプリを諦めたくないハスラムは奮闘を続け、15位で走り切るという結果を残した。そして、NR500の次のモデルであるNR4がヨーロッパへ送られることはなかったため、この1982年イギリスGPが、NR500が、ひいては長円形ピストンエンジン車が出場した最後の世界グランプリ戦となった。

それから1カ月あまりが経った同年9月、NR500の最終モデルとなったNR4が実戦デビューを迎えた。

NR4が搭載したV型4気筒は「3X」というエンジン開発記号で呼ばれるもので、前作である2Xの多くの部分の設計を引き継ぎつつ、新しい設計思想に基づいて軽量化や小型化を大胆に図った仕様となっていた。シリンダーボアは単気筒テストエンジン「K0」から変わりなく採用してきた長径93.4mm/短径41.0mmという寸法で、90°のVアングル、37°(吸気側18.5°/排気側18.5°)のバルブアングル、吸気側7.0mm/排気側6.5mmのバルブリフトは前作2Xと同じ。ただし、2Xでは前側シリンダーバンクが水平となる角度での搭載であったところを、3Xでは25°起こした形にしてエンジン前後長を短縮している。

3Xエンジンのアルミ鍛造ピストン。ピストンリングはNR500の歴代V型4気筒では一貫して3本で、トップリングとセカンドリングは自己張力タイプ、一番下のオイルリングは波形のエキスパンダースプリングを内側に仕込んだタイプを使った。(Photo/Honda)

3Xエンジンにおけるカムギアトレインは1X以来のエンジンセンター配置だが、そのシャフトはエンジンのケースで支持する方式を採り、従来のカムギアホルダーを不要とした。こうした設計変更により、エンジンの横幅は先代の2Xの360mmから320mmへと40mmも縮めた。また、1個だけで数百グラムあるホルダーによるクランクシャフト支持方式を改め、クランクケースでベアリングのアウターレースを押さえ込む形態としたほか、別体シリンダーをやめ、アッパーケースにバレルを埋め込んだデザインに。同時にウェットスリーブ(スリーブライナーが冷却水で直接冷やされる形態)化した。これらの変更により、十分なケース剛性を確保しつつ軽量化を実現。NR2が搭載した1Xエンジンの単体重量は64.5kgあったが、3Xでは54kgに抑え込んだ。

最高出力は135PS/19,500rpmで、同じ1982年の2ストロークエンジン車NS500の最高出力を15PSも凌駕するパワーを発揮した。この3Xエンジンを搭載するNR4の車体は30mm幅の5角断面アルミパイプで形成したダブルクレードルフレームで、完成車の車両重量は140kg(※エンジンオイル&冷却水入り/燃料なし)。パワーウェイトレシオは1.04で、NRプロジェクトがスタートしたときの目標値1.08を上回っていた。

90°V型4気筒である3Xエンジンの右側面。シリンダーヘッドカバー、キャブレターボディ、オイルパンなどの荷重がかからない部品はマグネシウム合金製として軽量化を徹底。(Photo/Honda)

同排気量の2ストロークエンジン車と互角以上に渡り合える性能を備えた最新鋭NR500は、1982年の全日本ロードレース選手権の最終戦である日本GPにおいて初の実戦を迎えた。その決勝日は9月12日。NRプロジェクトを母体とした株式会社ホンダ・レーシング(HRC)が二輪モータースポーツ専門のホンダ100%子会社として同月の1日に立ち上がったばかり、というタイミングだった。

しかし、大型の台風がNR4のチャンスを奪った。予選は大雨のなかで強行されたが、かなり危険なコンディションであり、HRCはライダーの木山賢悟に全力でのタイムアタックを避けさせた。そのため、木山&NR4の予選結果は14位にとどまった。そして、一夜明けた決勝日も大荒れの天候となり、500ccクラスの決勝は開催中止に。この年の全日本戦はもうなく、世界グランプリで唯一残っていた西ドイツGPにNR4を持ち込むプランもなかった。結果的に最後のNR500となったNR4は、その能力を示す機会を一度も持てぬまま、まさにお蔵入りとなったのである。

1983年フレディ・スペンサー仕様のNR4。このマシンにスペンサーが乗ってレースを走ることはなかった。(Photo/Honda)

ここに一枚の写真がある。赤と紺の配色が世界グランプリで見られたものとは逆だが、1983年シーズンにのみ使用されたホンダワークスのカラーリング。そして「FREDDIE」のネームと彼の1983年のゼッケン。この年、フレディ・スペンサーは2ストロークのNS500を駆って世界チャンピオンとなったが、写真のマシンはそれではなく、NR500の最終モデルNR4である。

1983年にNR4が出場したレースはない。それでも、革新技術で勝つことを目指そうとするスピリットは失われていなかった。NS500の開発スタッフの多くはNR500の開発に携わった者たちであり、彼らは長円形ピストン・8バルブという空前絶後のエンジンを積んだマシンでの挑戦にプライドを持っていた。だからこそ、いわば究極のNR500であったNR4にその性能を示すチャンスがなかったことを残念がった。そしてこう思うのだった、『もしNR4にフレディを乗せて1983年を戦うことができていたなら……』。