1980-1982 Honda NR500 [NR2/NR3/NR4]
GP500ワークスロードレーサー

新たな本命マシンNS500の傍らで

1982年のシーズン開幕前、ホンダはイタリアのミザノに新型マシンNS500を持ち込んで走行テストを実施した。トランスポーターからマシンを降ろす作業を行っている写真右端の人物は、NRプロジェクトの統括リーダーで、のちにホンダの社長を務める福井威夫。(Photo/Shigeo Kibiki)

車体もエンジンも新たに設計したNR3の走行テストが始まり、しかし実戦デビューはまだであった段階の1981年1月、NRプロジェクトはNR500を主役の座から降ろす決断を下していた。

当時のホンダは「HY戦争」と呼ばれる二輪車販売競争の真っ只中にあった。負けることは許されず、それはリザルトが販売に直結するレースにおいても同じ。すると『できるだけ早く勝つこと』が求められた。

そこでNRプロジェクトは、新型GP500ロードレーサー「NS500」を企画した。ライバルと同じ2ストロークで、しかしライバルとは違うV型3気筒という形式を選んだエンジンを新たに作り、NR3のものを踏襲した技術仕様の車体に積む、という成り立ちのマシンである。1981年の年明けから開発を始め、同年10月にはプロトタイプを完成させた。さらに4カ月強が経った1982年3月には、ホンダの新たなワークスレーサーとして、同年のシリーズ開幕戦であったアルゼンチンGPにおいて世界グランプリにデビューさせた。

2ストローク車であるNS500は1982年のシーズン序盤から高い競争力を見せ、同年7月のベルギーGPでスペンサーの手により初優勝を飾った。(Photo/Shigeo Kibiki)

1982年のホンダは、世界グランプリに送り込むのはNS500だけとした。

ただし、NR500のプロジェクトを打ち切ったわけではなかった。前年である1981年の10月には、4代目のNR500である「NR4」の開発をスタートさせていたし、1982年の全日本ロードレース選手権には鈴鹿で開催された3大会にNR3-2.5Xの改良モデルを送り込んだ。いずれのレースにおいても木山賢悟が乗り、勝つことはできなかったが、2ストローク勢とほぼ互角に渡り合う性能を示した。

するとNRプロジェクトとしては、進化させたNR3が世界グランプリでどのくらいの位置を走るのかを見てみたくなった。そこで、当初の予定になかった世界グランプリ3戦へのスポット参戦を実施。起用したライダーはNR1やNR2のテスト経験を持つロン・ハスラムで、初戦のダッチTTでは12位に。そして、2戦目のベルギーGPでは11位に入り、NR500はあと一歩でポイントを獲得できるところまで迫った。

なお、このベルギーGPではNS500がフレディ・スペンサーにより優勝。彼にとってもNRプロジェクトにとっても初めての勝利が2ストローク車によって飾られ、NR500の健闘は目立たぬものとなってしまったのは皮肉だった。

4ストローク車でのレース経験を豊富に持っていたロン・ハスラムが乗り、世界グランプリでは10位以上が対象となるポイント獲得にNR500は迫った。(Photo/Shigeo Kibiki)