1980-1982 Honda NR500 [NR2/NR3/NR4]
GP500ワークスロードレーサー

難関ニュルブルクリンク北コース戦を走り切る

1980年イギリスGPのプラクティス出走前のひとコマ。写真右から、メカニックの杉原真一とカルロ・ムレッリ、チーム監督を務めた関口則夫、ひとり置いてキャブレター担当の技術者の阿部 清、そしてライダーの片山敬済。(Photo/Shigeo Kibiki)

マックストンフレームのNR2は1980年のシーズン開幕から時間がだいぶ経った6月21日にレースデビューを迎えた。世界グランプリ戦ではなく、イギリスのドニントンパークで開催されたインターナショナルレースでのことで、HIRCOのマネージャーであるデビソンが並行して監督していたホンダ・ブリテン(イギリスのホンダ二輪インポーターチーム)の契約ライダーであったミック・グラントとロン・ハスラムが乗車。レースではともにクランクピンの破損によってリタイアした。ただ、ハスラムが駆ったNR2がまずまずの速さで周回を重ねてみせ、NRプロジェクトにとって励みとなった。

ドニントンで出たトラブルへの対策はそれなりの時間を要するものであったため、NR2の次の実戦は7月19日にイタリアのミザノで行われたインターナショナルレースとなった。1980年におけるホンダの唯一のワークス契約ライダーであった片山敬済が初めてレースでNR2に乗り、トップから約5秒遅れの3位でフィニッシュ。NR500史上初の決勝完走を果たした。

そしてNR2は7月最終週のフィンランドGPでようやく世界グランプリに姿を現した。ところが、プラクティスでピストンが焼き付いてしまった。同じトラブルがまた出てしまうのは確実と判断されたため、ホンダはNR2の決勝出場を取りやめる判断をせざるを得なかった。

イマトラの公道コースで行われた1980年フィンランドGPでの片山&NR2。エンジンの問題により、予選タイムを記録する前に走行を打ち切らざるを得なかった。(Photo/Shigeo Kibiki)

検証の結果、フィンランドGPでのトラブルはオイルパン形状に起因するオイル潤滑の不具合によるものと分かった。対策部品を急造し、それを携えてNRプロジェクトは8月第2週のシルバーストーンに乗り込んだ。NR500としては2年目のイギリスGPである。

ライダーは、前年大会と同様に片山とグラントのふたり。彼らはともに前年の予選タイムを約3秒更新したが、それでもグラントは再び予選落ちとなってしまった。一方、片山は29位で予選を通過。臨んだ決勝では、押し掛けスタートでエンジンがなかなか始動せず1周目をほぼ最下位で終えたが、その後は上々のペースで安定的に走り続けた。そして最終的には15位にまでポジションを上げ、NR500で初めてグランプリレースを走り切った。

1980年イギリスGP決勝を走る片山&NR2。写真で背後につけているスティーブ・パリッシュらを押さえ切って15位でフィニッシュした。(Photo/Shigeo Kibiki)

1980年シーズンに残る世界グランプリレースはもう最終戦の西ドイツGPしかなかった。峠道のように激しくうねるニュルブルクリンク北コースがその舞台だった。ホンダからは片山のみがマックストンフレームのNR2で出場し、予選は15位。決勝は、1周が22.835kmあるコースを10周するものだったが、片山&NR2は果敢に、しかし確かな足取りで走り続けた。レース半ばには11番手につけ、10位以上に入れば果たせる選手権ポイント獲得が見えてきた。だが、レース終盤にエンジンが不調に陥り、順位をひとつ落とす。それでもNR2は止まることなく走り続け、12位で難関コースでの一戦を走り切った。

1980年西ドイツGPでニュルブルクリンク北コースを駆ける片山&NR2。このマウンテンコースでの世界グランプリレース開催はこれが最後に。(Photo/Shigeo Kibiki)