1980-1982 Honda NR500 [NR2/NR3/NR4]
GP500ワークスロードレーサー

外注の車体をまとって

text=KIYOKAZU IMAI

1980年モデル「NR2」の企画背景と技術仕様

モノコック断念、マックストンフレームを採用

1980 NR500 [NR2](Photo/Shigeo Kibiki)

エンジンは、横長の長円形という横断面形状をした燃焼室/ピストン/シリンダーを持ち、1気筒につき8本の吸・排気バルブを備えた4ストローク・V型4気筒・500cc。車体は、モノコックフレームを筆頭に、同軸スイングアームピボットや倒立フロントフォークなど、ほかに例を見ぬ技術を数多く採用。極めて特異な成り立ちのマシンであった初代NR500(開発記号「NR1」)の実戦参加は、結果的には1979年世界グランプリロードレースの2戦のみで終わったが、ホンダはシーズン終了後もこのモノコックフレーム車の性能向上を図る開発を意欲的に続けていた。

だが、1980年の3月に至ったところで、NRプロジェクトの総責任者にして、当時のホンダの二輪車開発におけるリーダーでもあった入交昭一郎が、同プロジェクトの一大方針転換を打ち出した。NR1のモノコックフレームとそれに連なる車体技術の開発は打ち切り、今後のNR500の車体は標準的な技術仕様にしていく、というものだ。

NR1の最終仕様。カウル形状がオリジナルモデルから大きく変わっているほか、タイヤは前後18インチとなり、正立式フロントフォークをテストしていた。(Photo/Honda)

独創的な技術による車体をものにしようと奮闘してきたNRプロジェクトのスタッフたちは一様に憤った。彼らに向かって入交は、「モノコックの可能性を否定するわけではない」としながら、その整備性の悪さがレースでは決定的な問題となっている点を指摘し、「これまでのような結果にもならない結果ではもう話にならない。やりたいことをやる時期は終わっており、いまは、やらねばならないことだけをやるときである」と語った。

車体の自社開発は継続するが、その技術仕様は標準的なものへと舵を切る。エンジンについては、NRプロジェクトでは「UFO」と呼んでいた長円形ピストン・8バルブのコンセプトのまま4ストローク路線を突き進む。これが新たな方針となった。

1980年3月のNR1開発テスト走行の合間に語らう面々。写真右から、NRプロジェクトの統括リーダーであった福井威夫、NR500の開発ライダーを務めた木山賢悟、そしてNR500のレース契約ライダーであった片山敬済。(Photo/Honda)

だが、その時点では当座の1980年モデルであるNR2のための車体は設計図すら存在せず、それをNRプロジェクトがまっさらの状態から開発してシーズンに間に合わせるのは、時間的にも人員的にも不可能であった。そこでホンダは、NR2の車体については“外注”という苦肉の策を取ることにした。

外注先は、イギリスのマックストン・エンジニアリングというヨーロッパの二輪レース界では名の知れた独立系のフレームビルダー。ホンダが世界グランプリ活動の欧州拠点としてイギリスに設立したHIRCO(Honda International Racing Company Ltd.)のマネージャーであるジェラルド・デビソンが紹介してきたのだった。

NR2の車体については、そのすべてをマックストンに任せる。一方、NRプロジェクトの車体チームでは、1981年シーズンへの投入を目指すNR3の車体開発を進める、ということになった。