1979 NR500 [NR1]
GP500ワークスロードレーサー

プロジェクトの名は「New Racing」

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1978年11月にNRプロジェクトが作成した『NRロードレースプロジェクト PHASE-1 推進計画書』に記載された、「究極目標」に達するための具体的な手立てを示したフローチャート。スタッフのモチベーションを上げるべく、ライバルメーカーのことを「敵」という強い言葉を使って表現しつつ、戦う相手を知ることと戦うための力をつけることの2系統からのアプローチとしている。
※1:「UK HIRCO部隊」とは、NRプロジェクトがイギリスに設立する世界GPレース活動チームのこと。「HIRCO」はHonda International Racing Company Ltd.の略。
※2:「UFOエンジン」とは、長円形ピストンエンジンのこと。機密保持のため、NRプロジェクトでは8バルブ・長円形燃焼室/ピストン/シリンダーの技術を「UFO(Unidentified Flying Object。未確認飛行物体)」と呼んだ。
※3:「DESCエンジン」とは、燃焼室内の混合気の密度を過給器なしで高めるシステムを装備させたエンジンのこと。「DESC」はDirect Exhaust Super Chargeの略。排気ポート側に備える混合気バルブを2度開きカムによって制御しようというアイデアだったが、NRプロジェクトでは実現されなかった。

新規レースプロジェクトの名は「New Racing」、略して「NR」に決まり、プロジェクトを遂行する部署の名は「NRブロック」となった。

ここに集結した技術者の多くは、レースやレーシングマシンの開発に携わった経験を持たぬ者たちだった。ホンダは「人材育成」というテーマに沿って人集めを行ったからである。みな、優れた能力の持ち主だったが、レースにおける開発課題や要求の絶対値は量産車の世界とはまた違う。それを経験することで技術者としての度量が格段に高まるということをホンダは1960年代のレースを通じてよく理解していた。

他方、もうひとつのテーマである「革新技術の創造」にはどう取り組むか? つまり、新たに開発するGP500ロードレーサーをどういうマシンにするのか?

当時のGP500レーサーのレギュレーションでは、エンジンは2ストロークであろうが4ストロークであろうが、シリンダーは4気筒まで、ギアは6速までとされていた。世界グランプリロードレースにおいて4ストローク車が2ストローク車と互角に渡り合えたのは1975年頃までで、NRプロジェクトの検討が進められた1977~1978年当時の500ccクラスはすでに2ストローク車だけの世界となっていた。

同じエンジン回転数であれば燃焼の機会が4ストロークの倍あり、同じ排気量となればより大きなパワーを得られることが自明の2ストロークは、部品点数が少ないため軽量に作れ、整備性も高い。レースでの使用を考えれば、利点が断然多いことは間違いなかった。

「それでも……」と、総大将の入交とプロジェクトリーダーの福井は思った。「ほかと同じではおもしろくない」と――。

NR500のエンジンは、吸・排気バルブを持つ4ストロークに決まった。ただし、同じ排気量から2ストロークと互角以上のパワーを狙うため、吸・排気バルブや点火プラグは倍の数を備えることになり、燃焼室やピストン本体などは通常の4ストロークエンジンとは様相がかなり異なるものとなった。(Photo/Shinobu Matsukawa)

2ストロークを採用すればパワーは確実に出せるだろうが、革新技術を生み出すことはないだろう。それに、商品力を強化したいスポーツバイクのエンジンは4ストロークであり、新型GP500レーサーもそうであることが望ましい。つまり、4ストロークで2ストロークを上回ってみせればいいのである。これはそういうチャレンジなのだ……。

やがて「NR500」と命名されるマシンは、当時のGP500レーサーでは唯一の4ストロークエンジン車とすることが決定した。