1979 NR500 [NR1]
GP500ワークスロードレーサー

1977年12月「世界グランプリ復帰宣言」

NR500のデビュー戦となった1979年イギリスGPに現れたホンダのトランスポーター。そのサイドパネルにあしらわれたチーム名は、ホンダの世界グランプリロードレースへの復活を高らかに告げていた。(Photo/Shigeo Kibiki)

RSCによるRCB1000の開発と耐久レース参戦は、ホンダがワークス活動を再び行うための地ならしをする役割を果たした。そしてホンダは、世界グランプリロードレースへのワークス参戦再開を正式に決定。1977年12月10日、日本の新聞に広告を打って「世界グランプリ復帰宣言」を行った。

参戦開始は1979年で、挑むのは最高峰の500ccクラスであることをここで公表。ただ、使用する車両については言及していない。なにしろマシンのことは、この時点では何も決まっていなかったからである。

一方、社内では新規レースプロジェクトの企画書が「宣言」の日付で作成された。そこでは、次の3点がテーマとして定められていた。
①革新技術の創造
②人材の育成
③3年以内に世界チャンピオンに

シルバーストーン・サーキットで開催された1979年イギリスGPでのホンダのピット内の様子。写真右側には、現地に出向いていた本田宗一郎と入交昭一郎の姿が見える。(Photo/Honda)

必要となる新型GP500ロードレーサーを開発する組織を作るのもこれからであった。そのトップは、当時の二輪車開発における総大将でもあった入交昭一郎。プロジェクトの統括リーダーには、のちに本田技研工業の社長を務める福井威夫が起用された。彼らの最初の仕事は、マシンの設計や実験を行う技術者を二輪や四輪の量産車開発部隊から引っこ抜いて回ることだった。また、鈴鹿製作所の第1工務課を率いていた柳瀬弘一をマネージャーに起用。彼が中心となって、マシンの部品製作や組み立てに従事する技術者を日本各地の工場から集め、新規レースプロジェクトを遂行するブロック(※「ブロック」はホンダの企業用語で、一般企業では課に相当する部署のことをいう)が100名規模で形成されていった。