つじ:ほかにも、いろいろ要望が出たようですが?
山中:たとえば電波。アメリカでは軍事基地の横を通ったりすると強い電波により、オーディオに影響が出ました。それは日本じゃ確認ができなかった。
古川:その話は、初めて聞きました。
山中:そういう想定外のことがあるから、現地の環境で確認する必要があるわけです。
古川:基地の近くは電波が強烈なんですか。
山中:それは強力。だからノイズが入っちゃう。でもゴールドウイングのユーザーは「基地の脇だから少々の雑音など仕方ない」と済ませてはくれないでしょうからね(笑)
つじ:シートについては、GL1100やGL1200の開発でずいぶん変化していったことが語られましたが、ここでGL1500を眺めると、改めて普通のバイクのシートとはずいぶん違うなって、皆さん感じませんか?
古川:アメリカでは、ほとんど直線の道を延々と長時間走っていくから、体を動かす場面が少ない。そういうシーンでの快適性を丹念に追求したんだなと感じます。
山中:ライダーの快適性も重要だけど、とくに着目すべきはパッセンジャー側。後席に座る奥さんのほうが、長時間乗っていると足が疲れるんですよ。足の運動が皆無だから。そこでパッセンジャー用のステップボードを60mmほど、レバーで上げ下げできるようにしたんです。また、長時間乗っているとお尻が痛くなる問題は当然あり、徹底的に工夫はしていたんですが、現地ライダーからは「尾てい骨周辺やお尻の下面だけで支えるのではなく、お尻のまわりでも支えてほしい」という声が出ましたね。
古川:そういう要望もあったんですか。
山中:それは事前にある程度分かっていたんで、けっこう作り込みはしていたんです。ただ、国内では完全な評価はできない。現地で改めて試そうと考えていた。日本にはそういう評価をするアメリカ人ご夫婦って、まずいませんよね。それに、向こうは奥さんの意見が強いですから。
つじ:財布を握ってますものね。
山中:そう、ダメといったらダメ。しかも奥さんたちの比較対象は家のソファーなんですよ。家のソファーより快適にしてほしいと言う。家のソファーの場合、バイクのシートよりもかなり大きいのに、小さなバイクのシートで家のソファーよりも快適にしてほしいと要求されました。
古川:ソファーよりも……。
つじ:でもそのテストライダーの奥さんは、バイクメーカーの開発テストをしているって意識はあまりなさそうですね。
山中:ないでしょうね。我々はまずバイクに合ったシートを考えるのですが、その奥さんはバイクの前提がありませんからね。
つじ:でもだからこそ、その奥さんの声に価値がある。そこに対応する用意もされていたのですか?
山中:もちろん。日本から数種類、アレンジしたシートを持って行きました。それでも対応できない場合を考えて、工業用ミシンと発電機をバンに載せ、シートの専門家にも同行してもらいました。
古川:出先でシートまで縫ってたんですか! すごいことですね。誰もいない砂漠の真ん中でやってるわけでしょう?
山中:そうそう、砂漠の真ん中でテストと改良。短時間じゃ分からないから、長時間にわたって試乗してもらいました。かなり走ったあとで感想を聞く。そこで「あそこが悪い」とか「ここがどうの」と注文が出る。それに対応するよう、シートを縫い直す。「これでどうでしょうか?」って、また走ってもらう……。その繰り返しですね(笑)
GL1500初期段階のイメージスケッチとクレイモデル
つじ:ボディーも、従来のバイクの概念を超えていますね。もはや、パニアケースとかトップケースの装着っていう感じではない。
山中:そうですねぇ、あのサイドケースやトップケースは、付属している「物入れ」ではなく、ボディーそのものという考え方で作った。シッカリ感とか、高い剛性が要求されますね。トップケースなど、パッセンジャーの体を支えるものでもありますし。とはいえ現地テストで、サイドケースの蓋を開いた状態でテーブルにしたいと注文が出たのには驚いた。
黒須:テーブルに?
山中:休憩時にジュースなどを置いて飲むとか、そんな使い方を考えたんでしょうね。あの蓋にそんな強度を持たせるのは……というのは技術者感覚で、奥さんはそのくらい気まま。
黒須:それはさすがにお断りしたんでしょうね?
山中:お断りしました(笑)。
黒須:それにしても、あのケース類の蓋というかハッチの剛性感って、まるでクルマのドアを閉める時の心地よさレベルになってます。外観的な面でも、一般的なバイクの作り方とはかけ離れていますね。
山中:企画の最初の段階から四輪車のように一体感を出そうと決めていました。物入れ部分は一体化させる、各ボディーパネルの継ぎ目を見せない、ボルト類を露出しない。そのために、四輪車のデザイナーを引っ張り込んでデザインした。そうして出来上がったのがGL1500なんです。
黒須:デザインはそうでも、製造ラインは二輪車のものじゃないですか?
山中:一般的な量産ラインで組むことは当然、最初のデザイン段階から考えてましたよ。
黒須:部品の設計から?
山中:ええ。最も苦労したのは、デザインを見ながら、どういう部品構成にしていくか、どうやって組んでいくのか、あるいはどうやって部品を作るかを決めていく作業です。すべてをイメージしながらの設計ですよ。あと、バラバラの部品を一気にラインで組むとものすごく大変なんで、フロントまわりやリヤまわりをアッセンブリー化して作っておき、それをシャシーにゴソッっとつけられるのがベスト。最初からその方向でデザインも設計もしました。
黒須:それはすごい発想でしたね。
井上:僕らが開発したGL1800でも、外観にボルトが見えないというのは重視しました。そこにはもう、いろいろな手法を使うんですけど、ゴールドウイングというバイクでは当たり前のことだと思い込んでいました。今の話をお伺いして「なるほど、だから僕らは一生懸命ボルトを隠してたのか、そういうことか」という思いです。今さらながらその価値を見いだし具現化したバックヤードが分かったという気持ち……。もっと早くお話を聞けば良かったなぁ。
山田:GL1800をベースに、F6BとかF6Cを開発していた時なんですが、なんでこういう仕様になっているんだろう? っていう我々の感覚では理解できない部分に出会うんですよ。で、変えようとするじゃないですか。
つじ:でも簡単に変えられない?
山田:そう、単純に変更すると不具合が出たりする。FI(電子制御燃料噴射)のポンプでも開発中にトラブルがありました。燃料が、タンクとインジェクターの間を循環しない“リターンレス”にしたんです。その途端、先の根布さんの話に出ていたベーパーロックが起こった。燃料配管がシリンダーヘッドの上を通ってるんで……。
つじ:ガソリンが熱くなって沸騰し、気泡が配管に溜まってガソリンが流れなくなるわけですね。
山田:実際に開発現場で試作車をいろいろテストをしてみると「元のレイアウトにはちゃんと理由があったのか」って感心することが多々ありますね。
ゴールドウイング F6B(2015年モデル)
ゴールドウイング F6C(2015年モデル)
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つじ:ゴールドウイングを分解する今の若いエンジニアの方々は、40年間の奮闘を見ていくわけですね。たとえばウインドスクリーンの下方から風を入れるっていうのもGL1500からですね?
山中:そうです。ウインドスクリーンの内側が負圧になって、走行風が後方から巻き込んでしまう。それを解消するために、スクリーン下方に通風孔を作って、負圧になるのを抑制したんです。
古川:温風が出るっていうのもGL1500から、でしたよね?
山中:温風は、けっこう大変だったんですよ。熱は当然ラジエターからもらってるんだけど、原理はともかく実際に機能を持たせるとなると、いろいろ工夫が必要になるね。
つじ:開発者として、どんどん快適にというのならクルマに乗ればいいじゃないかと思いませんでした? それとも心底から納得してました?
山中:もちろん納得、確信ですよ。バイクにはクルマにはない楽しみ方が間違いなく存在しますので。こういうバイク、乗り物の楽しみ方もあるっていうのは、アメリカの地でヒシヒシと感じましたからね。
つじ:正直なところ私、ゴールドウイングというバイクの本当の価値が、GL1800でアメリカの道を走ったときに初めて分かりました。
古川:僕も実際にアメリカを走って、いろいろな発見がありました。ビックリしたのは、風を受けて斜めになりながらも、ちゃんと直進していくこと。
山中:あれはビックリするよね。何もない荒野の直線路だと、横風がモロに来る。それに、あの大きなパネルで構成されたボディーだからな。
古川:そういう横風を受けたときの安定性はどうあるべきか、風のために車体が傾くのは仕方ないとしても、その中での安定性を確保する技術を考えたりします。
井上:僕は日本では実感できない距離感というか……。砂漠の中の直線路で、前に見える山とかが何十マイルも先。そんな環境では多少の走行スピードの違いがあっても、どのみち簡単には景色が変わらない。ただただ路面が後方に流れているだけ。だから急ごうっていう気にならないんですよね。そうするとウインドプロテクションの重要さとか、オーディオの価値とかが分かる。たまには足を動かしたいなとか思ったりする。日本では北海道を走った時ですら、その感覚は分からなかったですね。アメリカを走って、初めてなるほどと実感しました。
GL1800と聞き手のつじさん。アメリカの試乗会にて
つじ:そういう雄大な話の一方で、世界初となる二輪車のリバース機構、後退装置をGL1500は装備しました。
黒須:大きな車体ですし重量もあるので、やっぱりユーザーの声を聞いてのことなのかな?
服部:駐車場で向きを変えるだけでも、相当なスペースが必要なのでリバースがあるとラクになると要望されたとか?
山中:実は世界初の機構って、一般ユーザーの方々は見たことも聞いたこともないのだから、具体的な要求は出てこない。なかなか事前に欲しいという声にならないんですよね。だから開発者はアンテナを高くして、こういうのがあったらどうだろうと、発想していかないと。以前、私が別の機種の開発でアメリカに出向いていた時、レストランから出てきたご夫婦を見た。で、そのご夫婦が乗るゴールドウイングの駐車スペースは、少し前下がりだったのかな。旦那さんだけじゃ重くて後ろに下がれなくて、そこで奥さんがゴールドウイングを前から押してたの。
つじ:奥さんが押してた?
山中:そう。それを見て「ああ、これじゃ高級車とは言えないよ」って思った。その時点では、私がゴールドウイングの開発をやるとは思ってなかったけれども、ですよ。それで実際に開発に携わった時に、そのシーンがもうピピっと蘇ってきてね。皆さんもいろいろなシーンを見て、どう発想するかが重要ですよ。アンテナを高くすると、いいものが生まれる。
古川:リバース機構を備えたGL1500がデビューした時の、その新しい商品価値に対する評価は、すごく良かったでしょうね。
山中:全米ディーラーミーティングの会場で、リバース機構の映像を流したら、スタンディング・オベーションが起きて「新しいツーリングバイクの時代が来た」と拍手が鳴りやみませんでした。
つじ:ゴールドウイングというバイクが世に生まれ、それが独自の進化を40年間も続けてきてる。これってHondaが創造した世界なのか、それともアメリカの人々の要求から生まれたものなのか。このあたり、皆さんはどう思います?
古川:GL1100とGL1200を開発された根布さんのお話を伺ったときには、ユーザーの方々とHondaが一緒に作り上げてきた印象でした。それが山中さんの代に入ってから、提案型っていうんでしょうか。新しい価値を提案するような流れになった気がします。そうした進化を受け継ぐ我々は、もっと新しいものを作らなきゃいけないな、と思いますね。
服部:提案型っていうの、やっぱりこれからどんどんやって行かなければ。誰しもが思い浮かべる『いいもの』って、だいたいすでに存在している。もっと先を、さらなる先を行けるような物作りをして行けるようにしないといけないですね。
黒須:昔の開発の仕事って、どうだったんだろうって想像しながら今日はここに来ました。それで実際にお話をお伺いして、やっぱり人間が車体にまたがって乗るもの、一般的なクルマとは違う趣味性のようなものを提案するのが大事なんだなって思いました。そのためには資料を見るだけではなく、実際に使われている環境に行って、自分で見て感じることが必要なんだなって。
山田:僕たちが作ったバイクに乗ってくださるお客様の想定というか、使用される地の文化とかユーザー感覚では、どういうものが大切か。そこを現地で体感し熟慮して、開発につなげていく重要さを強く感じましたね。
山中:ユーザーの要望や不満を聞いて、それを消化するだけではなく、さらにその先を行くアイデアに結びつける。そのへんの領域になるとプロダクトアウトだよね。ここ、ものすごく大事だと思う。
つじ:発想、ですね。
山中:こういう機会なんで、ぜひ皆さんにお伝えしたい顛末をひとつ。私がゴールドウイングの開発を始めるとき、Honda二輪車開発の総括責任者から「お前は金持ちの気持ちになって作れ」って言われたんです。その場では「そんなすごい給料もらってないです、先に給料を上げてもらわないと」って冗談で返したんだけどね。でも、のちに冷静に考えて決心した。「よし俺は二輪車のキャデラックを作ろう」って。
つじ:キャデラックですか?
山中:キャデラックっていうブランドは、アメリカを代表する高級車で、歴代のアメリカ大統領の専用車にもなっている。しかも、いろんなことを最初に提案してるんですね。セルモーターであったり、エアコンだったり。みんなキャデラックからなんですよ。
山中:そこで、俺は二輪のキャデラックを作るぞって決めたんですよ。具体的な結果は、あのボディー形状だったり、リバース機構だったりとなるんですがね。さて、皆さんが今後どういうものに挑戦するのか。そんな視点に立つと、何を見て何を考えなければいけないのかが、もっと分かっていくんじゃないかな。まず、そんなイメージを作り上げてください。将来こういうものにしたいっていうイメージをね。それを念頭にユーザーの声を聞くっていうスタンスがいいんじゃないかな。そうすれば、装備仕様などを採用するときの判断基準が明確になると思うんです。
つじ:ゴールドウイングは、すでにライバルのない世界に入っています。今後、新たなゴールドウイング開発を若い皆さんが担うチャンスが来たら、先輩諸氏が思いもつかなかったものを創造していただけるよう期待しています(笑)
一同:任せてください。
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