昨年9月の東京世界陸上以来となるマラソンは、幾度となく世界記録が誕生した屈指の高速レースに挑む。小山直城、マラソン9戦目は大きなチャレンジとなる。
「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場権獲得となる2時間6分30秒を切りやすいレースを走りたいと考えて、ベルリン出場を決めました。ここ2年、世界大会の日本代表に選んでいただいていたので順位を狙うための強化をしてきましたが、さらに上を目指すため、スピード強化を進めようと考えたんです」
その狙いから、前半戦シーズンは5000m、10000mへの出場機会を増やした。小川智監督は「本人が話す通り、スピード強化が夏までのテーマでした。ここ数年はスパイクを履いて走るトラックレースを避けてきた傾向がありますが、ここで一度、スピードを戻しておかないと上は目指せませんので、スピード練習も、試合の出方も近年にはない形で進めてきました」とその意図を語る。
結果として6月の日体大長距離記録会5000mで13分45秒61、7月の全日本実業団選手権10000mで28分20秒47をマーク。ともに自己ベスト更新とはならなかったが、小山自身、「これまでのトラックは力を入れて走る感覚がありましたが、マラソンをイメージし、楽にスピードを出せる形が作れています」と、タイムだけでは測れない収穫を上げた。同様に小川監督も「欲を言えば10000mで27分30秒くらいをもってマラソンに挑みたいところですが、全日本実業団はチームメイトの中野翔太、大島史也とともに自分たちで引っ張って走ったレース。それを考えれば、だいぶスピードが戻ってきた手応えがあります」と及第点の評価を与える。
スピード強化に励む間も月間800km程度の走行距離を維持し、本格的なマラソン練習に備えた。夏までの強化はほぼイメージ通りだったと2人は口を揃える。

チャレンジという意味では、今回のベルリンに向けたマラソン練習の序盤、他の実業団チームの合宿に参加したこともかつてない取り組みだった。そこにも小川監督の明確な狙いがあった。
「今までのやり方だけだと小山の成長に限界がありそうでしたので、劇的な変化をもたらすためにHondaとはカラーが異なる、練習量の豊富なチームに送り出しました。強い選手はしっかり練習をやっていることを実感して戻ってきましたので、成果は大きかったと思います」
またそこで補強トレーニングも新たなメソッドを学んできた。Hondaも体幹トレーニングは以前から力を入れているが、その重要性を再認識し、より意欲的に行うようになったことも収穫だと小川監督は話す。
その後のマラソン練習もこれまで以上のボリュームで消化。メニューに大きな変化はないものの、準備段階から距離をしっかり踏んできたことに加え、「スピードの余裕度はこれまでになく感じます」と小山自身、前半戦の取り組みをマラソンに生かせる手応えを得ている。途中、小さな故障で練習が空いた期間もあったが、それも「疲労が抜けた」とポジティブに受け止めており、影響は少ない。夏の準備に関しては概ね、順調という認識だ。

今回のベルリンマラソンの目標は2時間6分30秒のクリア。小山の自己ベスト2時間6分33秒を上回るものだが、あわよくば2時間5分台まで狙い、近い将来の日本記録更新の足がかりにしたいと話す。同時に小山自身の個人的な思いもここで果たすつもりだ。
「Hondaの歴代マラソン最高記録は設楽悠太さん(現西鉄)が2018年に出した2時間6分11秒で、これを上回りたいと思っているんです。悠太さんは自分にとって憧れの存在で、Hondaへの入社を決めた理由のひとつも悠太さんがいたから。その悠太さんを超えたいという思いは自分にとって大きなモチベーションになっています」
またMGCの先に控える世界大会で戦うためにも今回のレースは大きな意味を持つ。24年、25年と連続して日の丸を背負って走り、ともに23位。だが、24年の大会では20kmを前に先頭集団から離れたが、昨年の東京世界陸上では30km付近までそこにつくなど、レース内容は確実に上がっている。次に出場する世界大会では最後の勝負所まで先頭集団で戦いたいという思いがあり、そのきっかけをここでつかみたい。
「25kmを越えてからの走りが世界と戦ううえでの自分の今のテーマ。今回は1km2分58秒前後のペースメーカーに付くことを想定していますが、やはり25kmくらいで一度、苦しくなると思うんです。そこからどう粘っていくかを考えて、練習に取り組んでいます。補強などで体作りを進めるのもそのためですし、これまでの8戦の経験から、苦しくなってからの走り方も変わってきました。今回は記録を狙うレースですが、そこを克服していくことが、今後の勝負のかかるレースに生きてくると考えています」

一方で小川監督はレース内容以外のところにも収穫を求める。
「23年のMGCで勝って日本代表になって以降、その責任感からか、少し守りに入り、義務感で走っているような感じを受けます。今回、世界のトップクラスの選手と走ることで、そこで勝負するためには何が必要かを改めて感じ、チャレンジする面白さや純粋に楽しんで走る気持ちを思い出してほしいですね」
今年30歳となった小山だが、まだ伸びしろを大きく残しており、それを結果につなげるためには内面の変化が必要だと小川監督は見ている。小山自身、ベルリンが近づくに連れ、かつてない気持ちの昂りを感じており、特に8月の北海道マラソンで後輩の丹所健が2位に入り、MGC出場を決めたことは大きな刺激となった。
「あそこまで走ると思っていなかったので、驚きましたね。ただ余裕を持ってレースを進めていましたし、35km以降もスタミナ切れを起こさず、最後まで押し切ったところに気持ちの強さを感じました。次は自分の番です。ベルリンではしっかり記録を狙い、結果でHondaのマラソン組を引っ張ります」
その言葉からはHondaのマラソンエースとしての矜持が滲む。今回のベルリンマラソンは結果はもちろん、将来につながるさまざまな収穫を求めて走るレースだ。小山の新たなターニングポイントとなることを期待したい。
(取材・文:加藤康博)