豊かな個性とチームワーク ニューイヤー駅伝3連覇へ

~小山 直城 選手・青木 涼真 選手・中山 顕 選手 インタビュー~

ニューイヤー駅伝で2022年、23年と2連覇しているHonda陸上競技部は、1500mからマラソンまでの各種目で活躍し、日本陸上界を牽引するチームになりつつあります。今回は先日のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で優勝した小山直城選手、3000m障害を主戦場とし、今夏の世界選手権で決勝進出を果たした青木涼真選手、ニューイヤー駅伝2連覇に大きく貢献した中山顕選手という、ニューイヤー駅伝3連覇へのキーパーソンとなる3選手にインタビュー。抱いている「夢」や、その実現に向けた「挑戦」、ニューイヤー駅伝への思いについて聞きました。

地道な努力を積み重ねた小山 チーム3連覇と個人の区間賞獲得へ

小山直城の名が広く知れ渡ったきっかけは、10月15日のMGC優勝でした。自身が「暑さがあまり得意ではないので、寒かったことが良かった」と語るように、冷たい雨が降る過酷な条件を味方につけ、最後まで力強く走り続けた姿が印象的でした。残り2kmで後続と10秒差に開いた時、「今日は勝った」と確信したそうです。

小山: 自分にとってはまずMGCに出ることが目標でしたが、出るからには2位以内でゴールをしたいと思っていました。家族やチームメイト、スタッフ、職場の方々が応援に来てくれて、優勝という形で終えることができました。レース後に「おめでとう」と言ってもらえたのは本当に嬉しかったですね。

小山は「今回のMGCよりニューイヤー優勝の方が嬉しいです」ときっぱりと言い切ります。ルーキーイヤーから駅伝メンバーとして襷をつなぎ、チームがニューイヤー駅伝初優勝を遂げた3年目は、3区で9人抜きの快走。2連覇を果たした今年は、エース区間と言われる最長22.4kmの4区を任され、3位から首位へと押し上げる力走を見せました。

小山: 初優勝した時は23位で襷をもらって追い上げるという走りでしたが、今年は初めて先頭を走り、良い経験になりました。前に他の選手はいないですし、中継車のすぐ後ろを走るのは気持ち良かったです。何より、優勝のゴールシーンではみんなで集まって胴上げをして、盛り上がれたのが楽しかったです。

「高校の時から駅伝で成長させてもらった」と話す小山。東京農業大学時代の最大の目標は年始の大学駅伝でしたが、チームでの出場は叶わず、本戦出場を逃した各大学の選手から成る選抜チームの一員として、2年時にオープン参加扱いで走ったのみでした。だからこそ、Hondaに入社する際、明確な目標がありました。

小山: まずはニューイヤー駅伝に出ること。Hondaは選手のレベルが高いので、メンバーに入るだけでも大変です。練習の質も量も大学の頃に比べて上がりました。例えば距離走は、大学時代は25kmが最高でしたが、社会人では30kmが当たり前。今では40km走もこなします。1年目は先輩たちにガムシャラについていくだけでしたが、ニューイヤー駅伝出走を目指して、とにかく頑張りました。

地道な努力を重ねて、1年目に出場を果たしたニューイヤー駅伝を、小山は「駅伝で襷をつなぐことが嬉しかったですし、憧れだった設楽悠太(現・西鉄)さんと同じチームで出られて楽しかった」と振り返ります。2年目以降のニューイヤー駅伝では、チームの優勝や個人の区間賞を意識するようになりました。そして3連覇がかかるニューイヤー駅伝が近づいてきています。

小山: Hondaのチームは個性豊かです。いろんなタイプの選手がいますし、チームワークもあります。メンバーに入るには、ただタイムが速いだけでは選ばれず、坂に強い、風に強いなど何か個性がないといけません。自分はマラソンに取り組んでいるので、長い距離や単独走になりやすい後半区間が向いているのかなと思っています。2024年も出走メンバーに入り、チーム3連覇と個人の区間賞、その2つを達成できるように頑張ります。沿道での声援は力になりますので、当日はたくさんの熱い応援をお願いしたいです。

自身の競技力向上とともに、胸に抱く夢も少しずつ変化してきました。新たな夢や目標を持ち続けられる理由をこう語ります。

小山: 中学で陸上を始めた頃の夢は、年始の大学駅伝を走ることで、社会人になってからの目標は、まずはニューイヤー駅伝出場でした。入社3年目に10000mで27分台を出して、マラソンに移行した時、マラソンで世界大会を目指そうという思いが芽生えました。今は世界の舞台で8位入賞が夢であり、目標です。

陸上が好きで、走ることが楽しいんです。そこを大切にしていきたいと思っていて、世界のいろいろなマラソン大会に出たいというのが究極の夢です。だから1年でも長く競技を続けられるようにしたいと思っています。

2連覇の立役者となった中山 同期で活躍する小山の存在が刺激に

ニューイヤー駅伝2連覇の立役者となったのが、2019年入社の中山顕です。両大会では6区を任されました。青木から2位で襷を受けた22年は区間賞の快走でトップを奪い、23年も素晴らしい走りで首位を守りました。中山は「5区までの選手が良い流れで持ってきてくれて、最大限の力を発揮できました」とチームメイトの奮闘に感謝を惜しみません。

中山: ニューイヤー駅伝はチームの最大の目標ですし、会社や家族、地元の友人も注目してくれます。優勝した時もみなさんが喜んでくれました。自分としても一番力を入れたいし、そこだけは外せません。例えば夏に故障していても、「ニューイヤー駅伝には絶対に間に合わせる、必ず走るんだ」と自分を奮い立たせています。僕が活躍して、翌日の大学駅伝で母校の中央大学の後輩たちに勢いを与えられたら、という思いもあります。

Hondaに入社した際、中山は2つの夢を持って新生活をスタートさせました。

中山: ニューイヤー駅伝の初優勝と、マラソンで国際大会に出ることが入社した時の夢でした。中央大学の藤原正和駅伝監督がHondaの選手時代にどちらも成し遂げられなかったもので、大学を卒業する時、「それを託す」と言ってもらいました。そのうちの1つ、ニューイヤー駅伝初優勝は達成しましたが、優勝したら次も負けたくないという気持ちがより一層強くなりました。チームのみんなも今では何回でも優勝したいと考えています。2024年に3連覇を達成し、応援してくれる人たちに自分の走りで元気を与えたいと思います。

もう1つの夢の実現に向けては、今年3月の東京マラソンでフルマラソンに初挑戦しました。ハーフマラソンではチーム最速の1時間00分38秒を持つ中山。しかし、42.195kmという距離、特に“30kmの壁”に阻まれ、厳しい結果に終わっています。

中山: 30km以降でペースが一気に落ちてしまいました。マラソンでは、自分の力が全然足りてないなと。故障がどうしても多く、小山のように練習を継続していないとマラソンでは力を発揮できないと実感しました。今年3月の東京マラソンの後に練習を再開し、故障で一時離脱しましたが、8月後半に練習に本格復帰してからは順調で、11月の東日本実業団駅伝でも区間賞を獲得できました。

Hondaで過ごしてきた約5年、チームメイトは年齢に関係なく気さくで、食事の時なども楽しい雰囲気があると中山は感じています。一方、トレーニングになると全員の気が引き締まり、意識の高い選手が多いと言います。

中山: 練習の設定ペースが速いにもかかわらず、集団から離れる人は1人もいません。自分もそういう中で練習し、少しは力がついていると思いますが、怪我を繰り返しています。その点、小山は365日を陸上のために生活しているストイックな選手で、大きな故障なく積み上げることができています。今は小山とは差をつけられていますが、同期の活躍はすごく刺激になっています。

夢の実現に向けてチャレンジを続けている中山。夢が大きければ大きいほど、うまくいかない時や苦しい時があるはずですが、中山にはそれを乗り越える自信があります。

中山: 大学時代も、一般入試を通って入部した準部員から始まって、大学駅伝を走ることができました。周りが無理だと言う中で、「自分ならできる」と信じてやってきました。実業団選手たちと争うマラソンという舞台に上がりますが、自分には成功経験があるので、諦めずに頑張ればまた成功をつかめると思っています。ただ、途中の結果は気にしないようにしたいです。自分ができる準備とプロセスだけを大事にして、1日1日やるべきことを積み重ねていきたいです。

青木が感じるHondaの強さ 選手同士のリスペクトが相乗効果を生む

小山の1年後輩にあたる青木は高校時代、埼玉県の公立男子校という同じような境遇で活躍する小山に憧れていました。法政大学に入学した頃、「将来は興味があるエネルギー関連の道に進めれば」と考えていましたが、2年時から3000m障害や駅伝で結果を出し、「自分の可能性を見てみたい」と実業団に進むことを決意。小山がいたHondaに2020年春、入社しました。

青木: 入社当時は、個人的に大きな目標を立てられるレベルではなかったですし、まずはニューイヤー駅伝初優勝に貢献したいなと思っていました。先輩には設楽悠太さんを始め、憧れていた小山さんもいて、同期には伊藤達彦や土方英和(現・旭化成)といったトップ選手ばかり。とにかく自分が埋もれないように、駅伝のメンバーに入れるようにということを考えてスタートしました。

入社直前の3月、新型コロナウイルス感染症の影響で、世界大会の延期が決まりました。その時、伊藤と交わした「これから1年あったら(世界の舞台に)行けるんじゃないか」という何気ない会話が、青木を突き動かすことになります。

青木: (伊藤)達彦は出られそうだったので、一緒に出たいなと思いました。自分の可能性を試す1歩目だった気がします。達彦は僕が練習でやることを見ていて、「それ何?俺もやる」というタイプ。1やらないといけないことを5とか10やろうとするので、僕もサボれないという相乗効果がありました。コロナの影響で試合がなかった時期も、ずっと練習できるのでラッキーと捉えて、ガムシャラにやっていたイメージです。充実していました。

「自分が爆発できる舞台を想像しながら練習していた」という時期を経て、着実に力をつけた青木は、1年目からニューイヤー駅伝のメンバーに選ばれました。レース中に負傷した伊藤から16位で襷を受けると、5区で11人を抜く区間2位の好走。チームの窮地を救いました。そして、個人種目でも世界の舞台に挑戦することとなります。

青木: 実業団の駅伝は大学駅伝よりレベルが高いので、やっていて楽しいです。そういう舞台で1年目のニューイヤー駅伝は自分の中で会心のレースができたと思っています。国際大会は出場が決まった時は嬉しかったですが、本番では惨敗し、全く満足できませんでした。その頃から、もう1つ上のステージに行きたいと考えるようになりました。

自らの目標を1つずつクリアし、2年目にはニューイヤー駅伝初優勝のメンバーに名を連ねます。大学時代から駅伝などで活躍してきた青木ですが、その頃とは違った充実感を感じています。今年のニューイヤーでは3年連続3度目となった5区で、初の区間賞を獲得し、チームの2連覇に大きく貢献しました。

青木: 初めて駅伝で優勝して、しかもそれが全国レベルの大会だったので本当に嬉しかったです。個人では少しずつ結果を出せるようになっていましたが、みんなと一緒に練習する中で、このチームには良い選手がたくさんいて、日本で一番強いチームだとずっと思っていました。僕が憧れていた小山さんも、当時はそれほど注目を集めていませんでしたが、こういうすごい選手がいるというのを多くの人に知ってほしかったんです。優勝できた時にそれを証明できたことが嬉しかったです。

今年の世界選手権ではついに決勝進出を果たした青木。「いつもスタンドから眺めていた舞台に立てたら人生が変わるかもしれない」とレースに臨みましたが、戦い終えると「ここはまだ終わる所じゃない。決勝に出たら出たで、もっと高みに、という欲が出た」と明かします。ニューイヤー駅伝も2度優勝した以上、もう2位では納得できないと強い意志を持っています。

青木: ニューイヤー駅伝は何としても勝ちたいですね。個人としても良い走りがしたいです。Hondaは選手みんなの仲が良く、それぞれの選手をリスペクトして相乗効果を生んでいます。ニューイヤー3連覇となると、黄金時代と言えるでしょうし、今も1人1人がどんどん強くなっているチームなので、ミスなく勝ちたいと思います。

個性豊かでチームワークがあるHonda陸上競技部。選手それぞれが夢を持ち、その実現に向けたチャレンジを続けています。チーム目標であるニューイヤー駅伝3連覇を目指し、選手たちは応援を力に変えて、新春の上州路を駆け抜けます。