Honda SPORTS
厳しい時代を経験したベテランと強く勢いがある若手 Honda陸上競技部 飛躍の原動力
~木村 慎 選手・森 凪也 選手 インタビュー~
ニューイヤー駅伝で2022年、23年と2連覇しているHonda陸上競技部。年始には3連覇も期待されています。1500m〜マラソンまでの各種目で活躍し、日本陸上界を牽引するチームになりつつあります。今回は、そんな陸上競技部のベテラン代表として入社8年目の木村慎選手と、若手代表として入社2年目の森凪也選手にインタビュー。抱いている「夢」や、その実現に向けた「挑戦」、ニューイヤー駅伝への思いについて聞きました。
2連覇のアンカーを担った、ベテランの木村慎「若手には負けたくない」
2023年元日のニューイヤー駅伝で、アンカーとして2連覇のゴールテープを切ったのが、木村でした。出走メンバー7人の中では、チームの在籍年数が最も長い2016年入社。高校や大学では駅伝で全国の舞台を何度も経験し、Hondaでも4年前のニューイヤー駅伝に出場しています。それでも6区の中山顕から襷を受けた時は、今まで味わったことのない重圧があったと振り返ります。
木村: 4年振りのニューイヤー駅伝で、しかも先頭で襷をもらい、今までの人生で一番緊張したと言っても過言ではありません。しかし、直前の11、12月は自信の持てるような練習ができていたので、緊張しながらも普段通りのレースで力を発揮できたと思います。
近年のHonda陸上競技部は、選手層が厚みを増し、駅伝メンバーに入るためのチーム内競争は年々厳しくなっています。これまで木村は、怪我の影響でメンバー選考の対象にさえならず、歯がゆい思いをしたシーズンも少なくありません。2022年のニューイヤー駅伝も、創部51年目にして悲願の初優勝を遂げた喜びがあった一方で、複雑な感情もあったと吐露します。
木村: 当時在籍していた設楽悠太(現・西鉄)さんや先輩の田口雅也さん、自分を含めて、今までチームを作ってきたメンバーで果たせなかった優勝を、若い後輩たちが中心となって達成しました。嬉しい気持ちがあった一方、悔しい気持ちもありました。その時に、来年は僕らのようなベテラン組が走って優勝に貢献しようと、より一層、気持ちが高まりました。実際、この1年は強い後輩たちに負けないように練習してきたつもりです。
2連覇の後も、木村は長く喜びに浸ることなく、次なる目標に向かって突き進んできました。木村の今の主戦場は、マラソンです。大学卒業の際、就職先をHondaに決めたのも、OBの藤原正和氏(現・中央大学陸上競技部駅伝監督)や石川末廣ヘッドコーチらを輩出したようにマラソンが強いイメージがあり、Hondaに入れば自分もマラソンで活躍できると考えたからです。
木村: 今シーズンの個人としての一番の目標は、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で優勝することでした。目標は達成できませんでしたが、昨年10月以降、入社して初めて練習を1年間継続できて、ニューイヤー駅伝、2月の別府大分毎日マラソン、10月のMGCと、自分の中では納得のいくレースができ、自信がつきました。力がついてきているという感覚はあります。
世界の舞台に日本代表として出場する――。本格的に陸上を始めた高校生の頃に抱いた夢は、29歳になった今も変わりません。夢は大きいほど、実現が難しくなります。木村の場合、社会人になってからは度重なるケガにも苦しんできました。そうした困難に屈することなく、夢に挑戦し続ける原動力はどこにあるのでしょうか。
木村: 応援してくれる人がたくさんいてくださることです。辛い時やケガをして沈んでいる時にたくさんの人に声をかけてもらい、食事に連れていってもらうこともありました。そこでまた頑張ろうという気持ちに何度もしてもらったので、自分が元気に走ることで恩返しをしたいと思っています。今年のニューイヤー駅伝でも、以前勤務していた部署の方が現地まで応援に駆けつけてくださり、自分が走れない時期も、どんな時でも変わらず応援をしてくれていることに、胸が熱くなるものがありました。
木村は、Honda発祥の地、静岡県浜松市出身です。実は父親もHondaに勤めていて、ホンダ浜松(当時)の陸上競技部に所属していました。Hondaは子どもの頃からずっと応援していたチームで、当時選手だった陸上部OBに職場で会うこともあるそうです。
木村: マラソンをやりたくて入社しましたが、父親がHondaの選手として走っていたこともあり、Hondaにはとてもいいイメージがありました。製作所の近くに実家があり、私もよく製作所の付近を走っていました。製作所の敷地内で開催される「ホンダ夏祭り」に参加したこともあります。この身体はHondaで構成されていると言ってもいいくらいです(笑)。
親子そろってHondaで活躍している木村。2024年はニューイヤー駅伝3連覇への期待がかかりますが、実力者がそろうHondaでは、駅伝メンバーに入ることも簡単ではありません。とくに勢いもある若手の選手たちからは、いつも大きな刺激を受けています。
木村: 若い選手の、限界を決めないような走りを見ると、自分も頑張らないといけないと思います。自分がどうやって強くなるかを探求し、苦手なところを克服しようと考えながら練習を継続できる選手が多いので刺激になります。自分も若手に負けたくないという気持ちがあるので、後輩がどんどん強くなればなるほど、自然と自分を高みへ連れていってくれる感じがしています。
例えば、入社2年目の森凪也は、5000mなどトラック種目を専門としていることもあり、マラソンがメインの木村と一緒に練習をする機会はそう多くありません。しかし、木村の森に対する印象を聞くと、若手選手の競技に向かう意識の高さやチームの雰囲気の良さが伺えます。
木村: 凪也は陸上に関しては、とてもインテリジェントです。大学時代に海外のチームに参加した経験があるからか、走るだけではなく、筋力トレーニングなども自分で一生懸命取り組めるような選手です。普段はのほほんと可愛い感じなのですが、一方でツッコミ担当みたいなところがあります。チームにはボケたがる人が多いですが、凪也はツッコんでくれるので重宝されています(笑)。
そんな頼もしい後輩やチームメートとともに挑むニューイヤー駅伝。2度の優勝を経て、Hondaへの注目度がますます上がったと木村は感じています。そして、Hondaの代表としてニューイヤー駅伝に出場するなら、どの区間でも区間賞を取らないといけないと考えています。
木村: 自分がニューイヤー駅伝で活躍することで、社内や世の中の人々に自分のことをもっと知ってほしいです。今、Hondaでは伊藤達彦や青木涼真、小山直城の知名度が高いですが、ベテラン組もまだまだ頑張っているぞ、と。木村慎ファンをもっと増やしたいですね(笑)。
2連覇の舞台に立てなかった森凪也「このチームでなら強くなれる」
初優勝したニューイヤー駅伝で感じた悔しさをバネにしたのが木村なら、2連覇で味わった悔しさを飛躍のきっかけにしたのは森でした。当時は入社1年目ながら東日本実業団駅伝に出場。しかし、本戦は走ることができませんでした。
森: 大学4年生のシーズンで結果が振るわなかったので、入社1年目は、小川監督とも「少しずつ取り戻していこう」と話していました。思っていたより良い形で取り組めていましたが、ニューイヤー駅伝の出走メンバー選考の段階で、先輩たちに全然歯が立ちませんでした。本番で走れなかったこともそうですが、全体の練習についていけないことがあり、悔しかったです。だから来年こそはメンバーとして出場したいと、ニューイヤー駅伝への思いがより強くなった状態で2年目がスタートしました。
このタイムを切りたい、この大会で入賞したいといった具体的な目標は掲げませんでした。第一に考えたのは、「自分の取り組みを継続する」というシンプルな姿勢でした。それを貫き、積み上げていった結果、森は5月に5000mで13分35秒45、7月に13分28秒35と自己記録を連発するなど、着実にレベルアップを遂げました。森自身も成長に手応えを感じています。
森: 自分の状態を把握する力は高い方だと感じていましたが、自信がない時はそれがブレてしまったり、周りの人がやっていることにつられてしまったりします。でも今は、自分が休んでいても、良い意味で周りの結果が気にならないですし、自分のペースで練習できています。自分の取り組みに自信が持てるようになったのは成長した点だと思います。大学時代は弱みを見せないようにしていた部分がありますが、Hondaのような強いチームでは、背伸びをしても勝てません。しっかり練習して、休む時はしっかり休む。それが次の練習につながります。そういう良いサイクルで毎日を送れています。
夏の鍛錬期を経て、駅伝シーズンに入っても森は好調を維持しています。自身2度目の出場となる11月の東日本実業団駅伝では、重要な1区を任され、トップから3秒差の区間3位。結果的に総合2位でフィニッシュしたチームに良い流れをもたらしました。
森:
良い流れで練習ができていたので、ここで走れないとダメだなと。去年の大会では5区を走らせてもらったのに区間7位と失速してしまった反省があります。だから今回は、自分がチームを引っ張っていけたらと思っていました。小川監督から言われていた「3秒差で来るように」という走りができたのは合格点です。
Hondaには他にも強い選手が多いので、今回の結果でニューイヤー駅伝の出走メンバーになれるわけではありません。とにかく僕は自分が出せる最大限の結果を目指すだけ。それでダメだったら仕方ないと思っています。でも、東日本実業団駅伝で良い感覚で走れたことは間違いありません。
森は中央大学時代、正月の学生駅伝に2回出場し、4年時には“花の2区”と呼ばれるエース区間を担いました。しかし、いずれも満足のいく走りができず、応援してくれるたくさんの人たちの期待に応えられなかった悔しさが残っています。「正月の駅伝で結果を残したい」という思いは、社会人になってからも変わっていません。ニューイヤー駅伝2連覇を間近で見たことで、むしろその思いは強くなったかもしれません。
森: 自分はこの強いチームに在籍しているんだと誇りに感じましたし、良い環境でやれているんだと改めて思いました。1年間を先輩たちと過ごす中で、ニューイヤー駅伝にかける思いが強く、みんながそこに向かって取り組んでいるところにHondaの強さがあると感じました。そして、その中に自分も加わりたいなと。在籍している自分が言うのも変な話ですが、チームへの信頼が高まり、このチームでなら強くなれると確信しました。
森のような若い世代は、木村たちのようなベテラン勢をどのように捉えているのでしょうか。
森: 木村さんは、走りの面ではとても強くて異次元だったという印象がありました。僕が入社した頃は怪我明けのメニューをやっていて、優しく接してくれたことを覚えています。木村さんを含めた先輩方は、厳しい世界で何年もやってこられていることに尊敬しますし、その中で強いチームを作り上げてきたことが本当にすごいと思います。
森には「トラックで世界大会に出場したい」という夢もあります。例えば、5000mにおける今年のブダペスト世界選手権の標準記録は13分07秒00。森の自己記録とは20秒以上の開きがありますが、そこに少しずつでも近づいていこうとチャレンジを続けるつもりです。
森: 今の段階では世界大会は現実的ではありません。でも、1年で4秒ずつ縮められたら、5年で届く可能性もあるので、1年1年継続して積み上げることを大事にしていきたいです。今は夢と思っているぐらい遠い存在ですが、積み上げていく方式でやらないと届かないという意味では、今の自分に合っていると思いますし、こういう状況を今は楽しめています。まだ若いですし、自分の中で伸びしろを感じているので、どこまで行けるかを楽しみながら挑戦していきたいです。
森はこの1年間、ニューイヤー駅伝に出走し、3連覇することを目標に練習に取り組んできました。2024年の大会は出走メンバーとしてチームに貢献したいと意気込みます。
森: 2連覇しているチームの歴史をつなぎたいと思っています。希望の区間は1区です。そして東日本実業団対抗駅伝で逃した区間賞をとりにいきたいです。注目度の高い大会なので、応援してくれる人たちのためにも頑張ります。