第Ⅱ章
世界に広がる事業展開

第5節 アジア大洋州
 第1項 アジア大洋州

アジア初の新機種、ブリオ・アメイズを開発

 アユタヤ工場が被災したころ、タイでは、インド市場でのコンパクトセダン需要の高まりを受けて、ホンダR&Dアジアパシフィック(以下、HRAP)で初の新機種開発が進行していた。
 もともと、アジアの車両開発は日本で行われていた。需要のあるところで生産するという考えのもと、ホンダは各国に生産拠点や販売拠点を置いていたが、研究開発については、各地域に地域ニーズを理解するための企画部門は設置したが、新機種開発を行う研究所は開発拠点の分散や拠点を築くデメリットなどを考えて設けていなかった。しかし、アジアで現地の人と共に開発を行う拠点を設けることが今後の発展につながると考え、HRAPを現地法人化し、さらに一歩踏み込むこととした。

ホンダR&Dアジアパシフィック(HRAP)

ホンダR&Dアジアパシフィック(HRAP)

 これに伴い、HRAPでは研究開発に携わる人材を新たに採用。日本の研究所での研修や、HRAPでの現地調達部品の開発という実務レベルの実習を経て、メンバー一人ひとりが実力をつけていった。そして、いよいよ2010年からアジア向けのコンパクトセダンを開発するタイミングが訪れたのである。
 新機種開発が始まった時は、何もかも手探り状態だった。仕事の進め方ひとつ取っても、実際にやってみて問題解決のためのルールを決めていくなど、試行錯誤の連続。そうした中、HRAPでは、シンプル・集中・スピード・コミュニケーションを行動要件に定め、実践していった。企画・デザイン・設計・テストが一貫して行える研究所で、全員が同じ敷地内の建物で仕事をしているため、問題が発生してもすぐに関係者同士が話し合える風通しの良い環境にあった。打ち合わせや決裁もスピーディー、まさに即断即決で事を運ぶことができた。それが、開発期間の短縮と開発コストの低減を可能にしたのである。
 そして、2年間の開発期間を経て誕生したのが、BRIO AMAZE(以下、ブリオ・アメイズ)だ。5ドアハッチバック・ブリオのプラットフォームをベースとし、都市部でも扱いやすい全長4m以下のコンパクトな車体サイズに、存在感のあるデザインと、リア席周りを充実させながらゆったりとした室内空間、容量400Lのトランクスペースを実現。車体は、専用セッティングを施した前・後サスペンションにより、乗り心地と快適なハンドリングを両立させた。45万4,000バーツからと、タイ市場でも求めやすい価格を設定した。

新機種開発というHRAPの現地スタッフにとって得難い経験となったBRIO AMAZE(ブリオ・アメイズ)

新機種開発というHRAPの現地スタッフにとって得難い経験となったBRIO AMAZE(ブリオ・アメイズ)

 残念ながら、ブリオ・アメイズは大ヒットには至らなかった。しかしながら、新機種開発という体験は現地スタッフにとって得難いものだったのは間違いない。当時、ブリオ・アメイズ開発の開発責任者(LPL)を務めた蟻坂篤史は、次のように振り返る。
 「開発を完了させるという目的の共有、各々の領域への責任感、そして、最終的に自分たちが開発した車両が世の中を走る喜び。ここからくる一体感とエネルギーによって、開発は成功しました。メンバーの意識やつくり上げた文化が伝承されていくことによって、HRAPは地域に根付いた研究所として、これからも機種開発を行っていくでしょう」

HRAPの開発メンバー(2012年)

HRAPの開発メンバー(2012年)

インドネシアの環境政策適応モデルBRIO SATYA(ブリオ・サティヤ)

 ホンダのインドネシアにおける四輪車生産販売合弁会社、ピー・ティ・ホンダプロスペクトモーター(以下、HPM)は、2003年からカラワン市で四輪車を生産してきたが、2014年、同国でのホンダ製品の需要増加に対応するために第二工場を新設・稼働させた。これにより、生産能力は年間20万台に拡大。そして、同年、市場ニーズに合致した新モデルとして、MOBILIO(以下、モビリオ)とBRIO SATYA(以下、ブリオ・サティヤ)の2機種の生産・販売を開始した。いずれも85%を超える高い現地部品調達率を達成し、拡充した生産体制のもとで現地生産が行われた。
 モビリオは、インドネシア国内で最も販売台数の多いマルチパーパスビークルの低価格帯市場に、ホンダとして初参入したモデルである。徹底的な現地調査を行い、道路状況・天候・使い勝手など、市場ニーズに基づいて開発された。3列シート7人乗りという広々した座席空間が特徴だが、長さを抑えて駐車場に収まりやすいコンパクトサイズに設計。また、路面状況を考慮して、SUV並みの車高で軽快な走行性能を実現した。
 一方のブリオ・サティヤは、かねてインドネシア政府が検討し、2013年7月に正式に制定されたLCGC(Low Cost Green Car)政策の条件を満たすモデルとして投入された。LCGC政策では、一定条件を満たす低価格・低燃費の小型車は、車体価格の10%の奢侈税(贅沢税)を全額免除する優遇措置が得られる。ブリオ・サティヤは、タイから供給されて販売するアジア戦略車、ブリオをベースに開発され、4気筒1.2Lエンジンを搭載し、この排気量クラスでは最も高出力な65kWを誇りながら、優れた燃費性能を両立させた。
 モビリオは厳しい競合にもまれ、成果を出すことはできなかった。しかし、ブリオ・サティヤはインドネシア市場で支持され続けており、2022年にインドネシアでHPMが最も多く販売したモデルに成長した。

1.3L 5ドアハッチバックのアジア戦略車BRIO(ブリオ)をベースに開発されたBRIO SATYA(ブリオ・サティヤ)は全てインドネシアの工場で生産

1.3L 5ドアハッチバックのアジア戦略車BRIO(ブリオ)をベースに開発されたBRIO SATYA(ブリオ・サティヤ)は
全てインドネシアの工場で生産

アップグレード戦略でマレーシアの国外トップブランドに

 マレーシアでは、経済発展によって2011年に1人当たりの国内総生産(GDP)が1万USドルを突破。所得水準の向上に伴い、手ごろな価格で品質と性能に優れたクルマのニーズが高まっていた。当時、マレーシア国民車メーカーのモデルが優位に立ち、自動車市場全体の50%以上のシェアを占めていた。ホンダの合弁会社、ホンダマレーシア*4(以下、HMSB)は、2000年から現地生産を開始し、積極的に四輪事業を展開していたが、ミドルクラスやアッパークラスのセグメントが中心。現地のユーザーは、国民車以外のクルマ(非・国民車)に買い替えたくとも、価格がネックになって国民車を選ばざるを得ないのが実情であった。
 そこで、HMSBは非・国民車に対する潜在的需要を見込み、そこに重点を置いたアップグレード戦略を2011年に策定した。この戦略は、手ごろな価格でコストパフォーマンスに優れた新型のシティとJAZZ(以下、ジャズ)を投入することで、国民車との価格差を最小限に抑え、アッパーコンパクトセグメントに進出するというもの。発売時期は2014年。成功すればHMSBの販売台数は倍増し、2016年までに10万台の大台に乗せるのも夢ではなかった。
 国民車との価格差を縮めるにはコスト削減が必須の要件だが、そう簡単にはいかなかった。厳しい目標原価設定になかなか到達せず悪戦苦闘する一方で、生産能力倍増のために第二ラインの建設は着工し、待ったなしの状況。販売増を見越して新規販売店の選定も始まっていた。なんとしても目標原価を実現しなければいけない。打開策として、エンジン組み立ての子会社を設立し、現地調達率を上げることが決まった。巨額の投資は大いなるチャレンジであった。
 さらに、マレーシア政府が省エネルギー自動車の生産強化を中心とした政策を発表したため、政府に働き掛け、支援を要請した。シティ・ジャズともハイブリッド車があったので、現地でハイブリッド車の組み立てを行うことで補助金を得ようとしたのだ。交渉は難航したが、粘り強い対応で獲得した。
 こうした取り組みの結果、2014年にシティとジャズを目標とする価格で発売することができた。いずれも抜群のコストパフォーマンスにより、ユーザーからの高い評価を獲得。販売台数は予想を大きく上回り、ベストセラーを記録した。
 さらなる展開として、アップグレード戦略のもとで価格で競争優位性のあるHR-Vを2015年にラインアップに追加した。HR-Vの成功とシティ・ジャズの販売増により、HMSBの2015年の販売台数は約9万5,000台、シェアは14.2%に達し、2010年の倍以上の水準を達成。マレーシアにおいて非・国民車メーカーのトップブランドに名乗りを上げたのである。

  • :ホンダ・マレーシア Sdn Bhd.
アップグレード戦略のもと発売されたシティ

アップグレード戦略のもと発売されたシティ

市場拡大を見込み、インドで四輪車生産ライン倍増

2014年HCILは年間24万台の完成車生産能力を持つラインを稼働させた

2014年HCILは年間24万台の完成車生産能力を持つラインを稼働させた

 2013年、ホンダのインドにおける四輪車生産販売会社、ホンダカーズインディア・リミテッド(以下、HCIL)は、市場拡大を見込んで、事業強化に舵を切った。2008年からボディパネルやエンジン部品を生産していたラジャスタン州のタプカラ工場(第二工場)敷地内に、2013年、ディーゼルエンジン部品の生産ラインを稼働させ、さらに2014年には、第二工場内に四輪完成車組み立てラインと鍛造鉄部品生産ラインの稼働も開始した。これにより、HCILの完成車生産能力は、ウッタルプラデッシュ州のグレーターノイダ工場(第一工場)と合わせて年間24万台となり、それまでの12万台から一気に倍増することになった。
 このタイミングでHCILがインド市場に投入したのが、アジア向けモデル、アメイズのディーゼルエンジン搭載モデルだ。このモデルに搭載するエンジンは第二工場に新設されたラインで生産された。ディーゼルエンジン搭載のアメイズは、パワーと低燃費を両立し、競争力の高いモデルとして期待が高まった。2014年から2015年にかけて累計10万台を販売し、市場に受け入れられていった。
 続いて、2016年にHCILは、アジア市場をメインターゲットとして開発したSUVのBR-Vを発売した。SUVらしい外観とハンドリングに加え、7人乗りの広々とした室内空間と多彩なユーティリティを兼ね備えたモデルで、スポーティーな走行性能と優れた燃費性能を両立した。しかし、期待に反してBR-Vは苦戦し、大きな成長を見込んだ計画は変更を余儀なくされた。

2030年ビジョンに基づき、効率化へ転換

 良いものを早く、安く、低炭素でお客様にお届けするという2020年ビジョンに基づいて、2010年代はスピード感あふれる攻めの戦略を展開したホンダであるが、経済・市場の大きな変化への対応を迫られた。このため、2016年、長期フォアキャスト視点と将来からのバックキャスト視点を踏まえて策定されたのが、「すべての人に、生活の可能性が拡がる喜びを提供する」をステートメントとする2030年ビジョンである。
 アジア諸国でも、2010年代に3+1戦略を展開したが、成長力の鈍化や労働力人口の減少の兆しにより、期待したほどの自動車購入層の拡大が見込めなかったため、計画を見直し、新たな手を打つ必要があった。そこでホンダは、市場拡大に合わせた台数成長と事業拡大を新たな戦略方針に定め、選択と集中で資源配分を最適化し、骨太の体質を構築することによって、プロフィットセンターとしての役責を担うことになった。SUVを含むアジア諸国での最適商品を一括企画により素早く開発し、高効率開発体制でより安く、部品共有化でよりつくりやすい、買いやすい製品づくりを推進することにしたのである。
 効率化を進めるために、生産体制の再編が行われた。2020年、フィリピンでは、ホンダ・カーズ・フィリピンズ(HCPI)が四輪車の生産を終了した。フィリピン政府が経済政策により自動車輸入関税を下げた結果、タイから無関税で輸入が可能になったことを背景に、現地のニーズに合う製品を適正な価格で提供するには、効率的な資源配分・投入が必要との判断であった。
 マレーシア・ホンダ・オート・マニュファクチュアリング(M-HAP)では、四輪車のインパネ・バンパーの生産・輸出を行っていたが、その後補修パーツの生産・輸出に転換。税制面およびホンダ・アセンブリー・マレーシア(HASB)での部品生産供給増加に伴い業務量減少、2020年事業を清算した。
 インドでは、2020年末、四輪事業の基盤強化を目的に、国内の生産体制を再編した。第一工場の生産を停止し、それまで2拠点で行ってきた四輪車生産を、第二工場に集約したのだ。これは、将来に向けた持続可能な事業基盤強化のための生産効率向上を目的としたものである。

ベトナムの通勤風景(2010年代)

ベトナムの通勤風景(2010年代)

市場は変われど、アジアの熱量は変わらない

 アジア大洋州は、国・人種・宗教・文化・政治体制・経済規模、あらゆる面で多様性を持つ地域である。しかし一方で、成長し、伸びゆく市場という、多くの人がアジア大洋州に抱く、共通したイメージがある。かつてはホンダもアジア大洋州において、伸びゆく人口や成長を続ける経済を追い風に、大きな成長を遂げてきたことは事実である。現地のパートナー企業とともに、ユーザーや社会のニーズを満足させる商品開発・生産の現地化や仕事の現地化、最大限の利益を現地に再投資し活動を一層拡大させる富の現地化、そして駐在員が積極的に地域に密着し、現地アソシエイトへ仕事を委譲する人の現地化を進めた結果である。
 しかし現在、この成長し、伸びゆく市場というアジアのイメージは変えなくてはならない時期にある。タイをはじめ、すでに数カ国では、労働生産人口が減少局面に入り大きな経済成長は望めなくなっている。2010年代後半からは、かつて打ち立てた成長継続を前提とした戦略と現実にギャップが生じ、複数の生産拠点閉鎖を含む厳しい事業改革を断行してきた。成長の裏には、こうしたいくつもの苦渋の決断があったことを忘れてはならない。
 今後、アジア大洋州において、かつてのような経済の成長を前提とした戦略を描くことは難しい。加えて、ホンダが進めるものづくりの進化や電動化については、国の政策の遅れやインフラ基盤の脆弱さなどにより、アジア大洋州地域は最も困難が多い地域でもある。だが、アジアは依然としてこうしたチャレンジングな環境で活気があり、生きる喜びを楽しむ「明日を信じる熱量」にあふれた地域でもある。この「アジアの熱量」だけは、昔も今も変わらない。ホンダがアジア大洋州のお客様の生活の向上に寄与し、社会の役に立ち続けるという視点を忘れず、パートナー企業とともに挑戦し続ければ、今後も必ず競争に勝ち抜き、成長し続けることが可能であろう。