女性だから、子どもがいるから、時短勤務だから。働く女性についてまわる常套句であり、否定しがたい現実を突きつける言葉でもあります。大切なのは、それを言い訳にしないこと。プロパーでHondaに入社し、産休・育休を経てなお活躍し続ける青山 舞子が体現するしなやかな働き方とは──?
青山 舞子Maiko Aoyama
日本本部 商品ブランド部 商品企画課
2006年Hondaに新卒入社。
国内営業部門のマーケティング戦略課に配属となり、3~4年従事。
販売店Honda Cars埼玉にて約1年間、販売店に出向。
マーケティング部門に戻り、その後1年間の育休に入る。
育休から復帰後は、商品ブランド課で育児と仕事を両立しながら商品企画に携わる。
仕事も、家庭も。両方を選んだから今がある
ビジネスパーソンとしての能力や挑戦の可能性、成果に対する評価の如何に、性別は関係ありません。
男性だろうと女性だろうと、成果を出す人が評価され、次のステップへの道が開かれる。
本質的な公平性は、社会にも企業にも認められて然るべき価値観です。
……だけど実際には、働く女性の迷いや不安は尽きません。
現在のところ、「子どもを産む」のは女性に限られているから。
そして、ワーキングマザーにとって仕事と子育ての両立は、目の前の日々においても、将来を思い描く場合にも、切り離して考えられないファクターだから。
Hondaの青山 舞子も、ひとり娘を育てながら働くワーキングマザーです。
青山 「2013年に娘を出産して、翌年4月に復職しました。一度販売店に出向経験はあるものの、入社以来一貫してマーケティングや商品企画などの部門の仕事に携わっています」
大学卒業後、2006年にHondaに入社した青山。
就職、結婚、出産というライフイベントをへる中で、仕事におけるキャリアをどのように考えているのでしょうか?
青山 「率直に言うと、具体的に決めたり考えたりしていない、というのが答えですね。キャリアプランを描きづらい仕事や会社というわけではありません。ただ、結婚や出産は少なからず仕事に影響を与える出来事なので、思い描いた通りにいかない可能性があるのは事実です。だからこそ『自分はこうしたい!』とかっちり決めるよりも、状況に応じて柔軟に対応したいと思いながら働いてきました。今も、そのスタンスは変わりません」
かつて、女性の働き方──むしろ生き方は、“仕事か家庭”という二者択一のもとに成立していた時代がありました。
仕事第一でバリバリ働くか、結婚して子どもができたら家庭に入るか。
今でこそ、ワーキングマザーという呼び名や時短勤務などの働き方は市民権を得てきましたが、そうでなかった時代があるのも確かです。
そして、女性の新しい働き方が普及し、浸透していくプロセスとほぼ時期を同じくして、青山も結婚・出産・復職といった変化を経験してきました。
「私は、二者択一の人生は送りたくない。どちらも選びたい」
彼女の想いは切実に、明晰に響きます。
仕事と子育てを両立し、母として働き続ける人生を選びたい。
「それが、自分にとっては自然な選択だったから」と答える青山ですが、もちろんその決断の先にあった道は、険しいものでした。
時間の制約から意識を解き放ち、常に自分の大切なものを見つめて働く
復職した青山の奮闘は、まず「時間との戦いを辞める」ことから始まりました。
どんなひとにも、1日に与えられるのは24時間。
その中で、仕事や家事、子育てに時間を振り分けていかねばなりません。
青山 「仕事を再開すれば娘を保育園に預けることになり、一緒に過ごせる時間が短くなります。でも、大切なのはどれだけ長く一緒に過ごすのか、ではなく、子どもとの時間をどう過ごすか。自分の考え方そのものを変えました。それは、復職にあたっての大きな変化でした。これは、仕事にも当てはまる考え方です。重要なのは長く働くことではなく、限られた時間で如何に成果を出すか。物事を測る意識の指標を、時間の長さではなく時間の使い方や、その結果として得られるものへと変えたんです」
青山自身の状況で言えば、意識改革が不可欠だったという背景もあります。
青山 「夫は新幹線通勤で、平日はいわゆるワンオペ育児。しかも、待機児童問題が取りざたされていたころのことで、通えることになった保育園が自宅から遠くて……送迎に時間がかかり、復職したころは毎日くたくたでした。時間が限られているように、私ひとりができることにも限界があります。家事の分担などは夫と何度も話し合い、お互いに無理のない範囲でなんとかこなせる体制をつくっていきました。家族の理解や協力は本当にありがたいです」
完璧は求めない──
仕事と家庭と子ども、優先順位は状況次第で変化して当たり前。
優先順位の低いものから手放して、空けた時間を優先順位の高いもののために充てる。
キャリアの選択と同様、青山の考え方はどこまでも柔軟です。
硬さや厚さとは一線を画するしなやかな強さは、働く女性たちに、輝きと可能性を授けてくれるヒントになるかもしれません。
そしてもうひとつ、青山には働く上で大切なものがありました。
それは、Hondaで働き続けるという決意。
人生の岐路に立ったとき、結婚や出産を経て自らの仕事を考えるときに、Hondaを離れる選択肢はまったくなかった、と青山は断言します。
青山にとって働くことは、Hondaで働くこと。
そこには忘れられない経験と、会社への特別な想いがありました。
尖りのなかに熱さを感じるHondaらしさが、がんばる力をくれる
実は、青山自身は「車にはまったく興味がない(笑)」というタイプです。
Hondaを好きだったのは家族の方で、Hondaの製品やレースを楽し気に見つめる姿が幼心にも興味深かった、と言います。
青山 「そんなふうに人の心をつかむものをつくり出す会社っておもしろいな、と感じていました。反面、私を含め女性の友人たちは、車やバイクには全然興味がないわけです。熱狂的なファンが大勢いる一方で、会社にも製品にもまったく興味のない人もたくさんいる。それが、Hondaのイメージでした」
ファンならば、それを“尖っている”というHondaならではの魅力と語るでしょう。
製品への興味はなかったまでも、そういった側面に気付き、心を引かれて入社したあたり、青山自身にもHondaらしい尖ったマインドが備わっていたのかもしれません。
そんな青山には、忘れられない仕事がふたつあります。
ひとつは、入社3年目のころに経験したモデルチェンジにともなうマーケティング業務。
もうひとつが、2019年にプロジェクトリーダーを務めた商品企画の案件。
青山 「片方は仕事を覚えたての若手で、もう片方は時短勤務という制約付き。どちらも自ら『やらせてください!』と手を挙げて参画した仕事で、そしてどちらも周りの皆さんに本当に助けてもらった仕事です。がんばりたい想いだけでは、やりきれなかったでしょう。上司や先輩方、メンバーの皆さんには感謝しかありません。なぜこのふたつが印象に残っているのかというと、挑戦する前にダメだとは言われなかったからなんです。会社としては『今はまだ力不足だろう』『時短勤務だから荷が重いんじゃないか』とも言えたはず。でも、Hondaはその判断をしないんだと実感しました」
Hondaは『能ある鷹は爪を出せ』と言う会社。
想いや挑戦意欲がある社員には、会社が後押しをする社風が根付いています。
青山 「もちろん、手を挙げた以上は本気でやりきらなければならないし、成果を出さなくてはいけません。でも、若さや時短勤務を理由に挑戦の芽を摘むことは絶対にしない。そこにも、私はHondaらしさを感じます」
チャンスを求める人、それに本気でコミットして成果を出そうとする人には、チャンスを与える。やりきろうとする本気には、本気のサポートで応える。
Hondaには、愚直で、熱のある息づかいがみなぎっています。
その熱さを肌身に感じていればこそ、ワーキングマザーでも、時短勤務でも、積極的にチャレンジしようと思えるのでしょう。
成果を出して輝き続ける姿が、未来の女性たちの希望に
Hondaで働く女性たちは、あまり群れることがない、と青山は言います。
青山 「決して仲が悪いわけではなく(笑)女性だけで何か新しい取り組みをしよう!という発想があまりない、といったイメージです。同じお子さんのいる女性社員の方たちとは、よく情報交換や仕事の工夫を共有します。ワーキングマザーと言っても、価値観や家庭の状況は一人ひとり違います。誰かと自分を比べても、何もはじまらないんですよね。サポートや協力はするけれど、比較はしない。あえて『女性だから!』と主張する必要がないのは、Hondaのフラットさが良い意味で現れているのではないでしょうか」
その言葉通り、青山は時短勤務ながら他の社員と同じように成果を出し、周囲に劣らぬペースで主任への昇進を果たしました。
青山 「8時間勤務の人たちに対して、私は時短の7時間勤務。アウトプットも8分の7で良いとは思わないですが、かといって8分の8にするのは実際のところ難しいです。だから、たとえ量では及ばずとも、時間当たりの効率では誰にも負けないように努力する。これが、私のスタンスです。主任への昇進はひとつの例ですが、きちんと評価される働き方は常に模索し続けていきたいですね」
復職当初は、とにかくハードルを下げて何とか仕事と育児の両立をめざしていた青山。
数年が経った今、少しずつその心にも変化が兆してきています。
青山 「これからのキャリアをどうしたいか、そのためには何をすべきか。最近ようやくそういったことを考える余裕が出てきました。自分自身をきちんと見つめ、進むべき道を開いていきたいと思います。中でも強く感じているのが、自分はHondaという会社に育ててもらったということ。ここから先は、次の若い人たちに私が得たものを伝えていく段階だと考えるようになりました」
青山自身には、ロールモデルと呼ぶべき存在はいませんでした。
でも、もしかなうのならば、若い世代の女性社員が人生の変化に直面して迷ったり不安になったりしたときに「あの人がいるからもうちょっとがんばってみようかな」と思われる存在になりたい。
別に、人生は二者択一じゃない。
できること、できないことはあっても、すべてをあきらめる必要もない。
彼女の姿と歩んできた道のりが、後に続く女性たちにとってひとつの道しるべとなったなら。
恩返しのような気持ちも抱きながら、青山は自らの選択で働き方を、生き方を選んでいくことでしょう。
青山 「実は、私が商品企画を担当した車が走っているのを見て、娘が『お母さん、あの車かわいいね』と言ったんです。母親が関係しているとは知らないようでしたが、素朴なひと言がとてもうれしかった」
Hondaの一員として、そして、しなやかに強い母としての輝きを、にこやかに語るその笑顔が証明していました。