ホンダ車の中核を担う技術となるアルミツインスパーフレームの誕生
NV0Bの「コンベンショナルな車体レイアウト」の中核を担ったのは、目の字断面アルミツインスパーフレームである。桁部に使用したアルミ押し出し材の角パイプには補強のための板(リブ)が2枚仕込まれており、それを輪切りにすると断面が「目の字」に見えることから「目の字断面」と呼ばれた。
このフレーム形態は、NV0Bの開発がスタートする前の1984年8月末に完成したGP250ワークスロードレーサー「NV1A」(※公式には「RS250RW」という名称が与えられたマシンだが、その実態は初代NSR250であり、開発者たちもそう認識している)で初めて採用されたものだった。テストを通じて良好な性能が確認されたため、NV0Bにも使うことにしたのだ。
この新機軸の生みの親であるHRC車体設計技術者の工藤隆志は次のように語っている。「鉄に対して応力集中に弱いアルミを使う場合、細い角パイプを組み合わせても剛性を出しにくく、大きい断面の角パイプを使うことが理に適っています。ただ、何もせずに断面だけ大きくしていくと変形する可能性が高まり、すると計算上の剛性を確保できなくなる。そこで、角パイプの中にリブを入れて、断面が崩れないように支えたのです」
先代のNV0Aの車体もツインスパー形態といえるものだったが、それぞれにプレス成形した部材を溶接でつなぎ合わせて作るプレスフレームであった。それは、きちんと設計すれば高い剛性を得られるし、部位によって板材の厚みを変えるなどの変更によって剛性のコントロールが可能なフレームではあった。しかし、製作における作業量がとても大きいうえに、転倒などで歪んだ場合の修正や、使用途中でモディファイすることなどが難しかった。一方、機械的に製造できるアルミ押し出し材を使ったフレームは、製作も修正やモディファイもプレスフレームよりはずっと簡単で、かつ、一定レベルの軽さの中で高い剛性を確保できるというメリットがあった。
目の字断面アルミツインスパーフレームは、NV1A(RS250RW)で開発され技術が確立されると、NV0B(NSR500)、そしてNW1A(RVF750)と、1985年シーズンに投入されたHRCのワークスロードレーサー3機種に使用された。目の字断面アルミ角パイプの断面寸法は、GP250レーサーのNV1Aで40mm×80mm、GP500レーサーのNV0Bで40mm×100mm、TT-F1レーサーのNW1Aで40mm×90mmとされていた。この断面のサイズや縦横比、リブの数などは、のちのフレーム剛性に対する考え方の変化に応じて変わっていくことになる。
さらに、その後に続いた1980年代後半のHRC製ロードレーサーの車体は、モノコックフレームをトライした1988年のRCB400という例外を除いて、ことごとく「目の字断面」あるいは「日の字断面」(※中に仕込むリブが1枚のもの)に。そして、その技術はストリートバイクの車体にも広く使用され、1980年代後半から1990年代のホンダのスポーツバイクを語るうえで欠かせない技術となった。
目の字断面アルミフレームは、TT-F1ワークスレーサー「RVF750」の初代モデルであるNW1Aにも採用された。同車は、この年は世界耐久選手権シリーズから外れた単独イベントとして4月28〜29日に開催されたル・マン24時間でデビュー。ところが、出場した2台ともにフレームの破損によってリタイアした。ヘッドパイプまわりのフレーム下側のガセット部とエンジンハンガーを取り付けるブラケットの間の部分が、応力集中により破断したのだ。
フレームの作りはNV0BやNV1Aも共通しており、しかも両車はすでに開幕していた世界グランプリを走っていた。幸い、戦い終えていた南アフリカGPでトラブルは出ていなかったが、HRCは目前に迫っていたスペインGPを前に慌ててフレーム補強を行い、事なきを得たのだった。