1979 NR500の車体技術
text=KIYOKAZU IMAI
1979 NR500 [NR1](Photo/Shinobu Matsukawa)
エンジン以上に新機軸のオンパレード
モノコックフレーム、同軸ピボット、倒立フォーク
部品点数が多い4ストロークエンジンは2ストロークよりどうしても重くなる。つまり、同じ排気量で同等のパワーを出せたとしても、車体はライバルより軽いものにしなければ、パワーウェイトレシオを互角以上にできない。また、ホンダが新たに生み出すGP500レーサーは、車体においても次世代の二輪車になにがしかの提案をするものであってほしい。
NRプロジェクトの総大将である入交昭一郎は、そんな思いで初代NR500(NR1)の車体についてあれこれ考えていた。だが、彼のそもそもの専門はエンジン。そこで車体に詳しいある研究員に「何かおもしろいアイデアはないか?」と尋ねた。その研究員とは神谷 忠。ホンダのテストライダーを務めながら二輪のさまざまな在りかたを探求してきた人物であり、二輪の社内レーシングチームであるブルーヘルメットの創設者でもあった。
カウル類を外してもまだカウルをまとった状態に見えてしまうのは、モノコックフレーム車である初代NR500(NR1)ならではのところ。ホイールベースは1380mmで、同じ1979年のスズキRGB500より25mm短く、ヤマハYZR500とは同等だった。(Photo/Shinobu Matsukawa)
神谷は、彼が個人的に温めていた考えを入交に話した。それは車体をモノコック形式で作ること。四輪では一般的だが、二輪ではまともな実例がほとんどない技術だった。
そいつはおもしろい、と入交は思った。だが神谷は「レースではやりたくないねぇ」と言った。レースでよい成績が残らなければその技術も否定されてしまうことが見えていたからだ。しかし、「エンジン側がゼロスタートするんだから、車体側も冒険すればいい」という考えであった入交の頭には、もうモノコックしかなかった。そこで神谷をNRプロジェクトへ引き込んだ。そして彼をNR1の車体関係の監修役に据え、モノコックフレームの開発を進めるよう命じたのだった。
神谷が温めていたモノコックフレームのアイデアはストリートバイク用を想定したものであり、NR500用については、どういう形状にし、エンジンやステアリングヘッドパイプやスイングアームピボットをどう持たせるか、といったところのすべてをイチから検討して、作り上げていく必要があった。ちなみに、NR1の車体をほかの形態のものにするような別案はいっさいなく、開発者たちはモノコック路線一本で突っ走った。
モノコックの本体といえる外殻部分の材料には薄いアルミ板を選び、当初は1.6mm、最終的には1.2mmの板厚のものを使用した。当時のロードレーサー用フレームの主流であったダブルクレードル形式にしてもその後のツインスパー形式にしても、車体にかかる荷重をエンジンがまともに受けることはないが、モノコック形式はエンジンを車体の強度部材として使う。それの剛結には、モノコックの左右両サイドからφ6mmボルトを計18本使って留める形が採用された。
その結果、完成車状態でのNR1の車体剛性は、クロムモリブデン鋼パイプで作られたダブルクレードル形式が標準であった当時のGP500レーサーとはレベル違いの高さとなった。それでいて、総アルミ製のモノコックフレームは単体重量5.5kgで仕上げられ、「車体はライバルより軽いものに」という目標をクリアした。