1986年 ポルトガルGP

22年目にしてつかんだ悲願の初タイトル
1986年シーズン、第14戦の舞台はポルトガルのエストリル・サーキット。全16戦で戦われるシーズンは、終盤戦を迎えていました。首都リスボンの西30kmに位置するリゾート地のエストリルにあるサーキットは、1周4.350kmと短めですが、あらゆるタイプのコーナーと1本のストレートがあり、温暖な気候ということも相まって、シーズンオフのテストにも多用されていました。一方、レースでは追い抜きが難しく、予選順位が重要となるコースでした。
1986年F1は、1.5ℓターボエンジンのみのレギュレーションとなり、パワー競争が熾烈になっていました。Hondaは前年投入し4勝を挙げた新設計のRA165Eをさらに磨き上げ、F1で初めてテレメトリーシステムを採用したRA166Eを投入。燃費性能を向上させたことで、この年さらに厳しくなった燃焼搭載量の制限も味方につけ、パワーだけでなくその他の性能でも抜きん出ていました。そのRA166Eを搭載するウィリアムズFW11は圧倒的な速さを見せ、シーズン序盤からネルソン・ピケとナイジェル・マンセルの両ドライバーが激しい優勝争いを展開。第13戦イタリアGPを終えた時点で、チャンピオンシップ・ポイントはマンセル61点、ピケ56点と拮抗し、それを追うアラン・プロスト53点、アイルトン・セナ48点という状況です。一方、コンストラクターズ・チャンピオンシップでは、ウィリアムズ・ホンダが117点と、2位マクラーレン・TAGの75点に大差をつけていました。ちなみに、当時は上位6位までがポイントを獲得し、優勝9点、2位6点、3位4点、4位3点、5位2点、6位1点が与えられ、ドライバーズ・チャンピオンシップは全16戦中上位11戦分の合計が有効得点となるルールでした。

9月21日に行われた決勝レースは70周で行われ、2番グリッドからスタートダッシュで首位に躍り出たマンセルが独走して優勝を飾り、シーズン5勝目を挙げました。フィニッシュまでトップを守り続け、予定していたタイヤ交換を34周目に済ませた後も2番手走行のセナを8秒後方に従え、フィニッシュ時には2位との差が18秒以上という圧倒的な勝利でした。この勝利によって、マンセルのチャンピオン奪取の可能性は現実的になってきました。

この年「エース」としてチームに加入したピケをもタイトルの有力候補でしたが、このレースでは、フラストレーションが溜まるレースを強いられていました。予選ではタイムアタック中にアンダートレイが緩む事態が発生し、6番グリッドという不本意な位置から決勝に臨むことになったのです。それでも速さに勝るピケは、8周目までには3番手に上がるものの、その前に立ちはだかったのがポールシッターのセナでした。背後につけるピケの動きに巧みに反応し、付け入る隙を与えないセナを、ピケはなかなか攻略できず、レース中盤のタイヤ交換後も2番手争いは続きました。ピケはセナの背後に付きすぎたためブレーキがオーバーヒートし、冷却のためいったん下がり、復調すると再度セナに迫る展開が続きます。しかし、レース終盤の64周目にリヤブレーキの変調で単独スピンを喫し、後続のプロストにポジションを明け渡しました。

一方、首位マンセルから16秒遅れながらも2位走行を続けたセナは、最終ラップになってガス欠状態に陥り、力なくコース脇にストップ。ピケとの接戦で想定以上に燃料を使ったためでした。結果、プロストとピケがポジションを上げて2位、3位となり、ウィリアムズ・ホンダは1−2こそ逃したものの、両ドライバーが表彰台に立つ好成績となりました。
この第14戦を終え、コンストラクターズ・チャンピオンシップでは、首位ウィリアムズ・ホンダが130点となり、2位のマクラーレン・TAGの81点に49点差をつけました。シーズン残り2戦での逆転は不可能となり、ウィリアムズ・ホンダのコンストラクターズ・チャンピオンが決まったのです。Hondaにとって、待望の初のタイトル獲得であり、1964年のF1初挑戦から22年目にして掴みとった栄冠でした。
ドライバーズ・タイトルも確実視され、マンセルとピケ優位で最終戦オーストラリアを迎えます。しかし、マンセルはレース終盤の突然のタイヤバーストによりリタイア。ピケも想定外のタイヤ交換を余儀なくされ、ピットインする事態に見舞われます。その間隙をついたプロストが勝利し、大逆転で2連覇を達成します。ウィリアムズ・ホンダのダブルタイトル獲得は、まさかの結末によって、翌年以降に持ち越されました。
